嘉門タツオが初めて語る“最愛の妻”との14年 がん末期の妻に用意した「花道」とその後も続く物語

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2022年11月30日 11:30  AERA dot.

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嘉門タツオさんと妻のこづえさん(写真=本人提供)
たった今、息を引き取ったばかりの妻に、夫は大きな拍手を送った。「あっぱれや」。今年9月に、妻の鳥飼こづえさんを亡くした嘉門タツオさん(63)。交際前に悪性脳腫瘍をわずらい、自分の命が長くないことを悟っていたかもしれない妻と過ごした14年間には、夫婦だけの物語が詰まっていた。


【写真】少年時代の嘉門タツオさん*  *  *
 2007年。食事仲間の先輩が宴席に連れてきたのが、こづえさんだった。その場は神妙なお見合いのような感じでもなく、かといって、どちらかがひとめぼれして猛アタックしたというわけでもない。初対面では、お互いにそんなに意識はしなかった。
 
 結婚願望なしの49歳中年男。一方、こづえさんは医師という仕事ひと筋で、友人から「プラチナのよう」と形容されるほどのお堅い性格。年も6歳下だった。そんな2人をみこしに担ぎ上げたのは、嘉門さんの仲間たちだ。
 
 こづえさんも連れられてやってきた、とあるイベントの打ち上げ。


「後から聞いたんですが、一緒に飲んでいた北野誠や桂雀々たちが、僕がトイレに行ったときなんかに『タツオを頼むわ』って彼女に言ってたそうなんですよ」
 
 はしご酒したあと、こづえさんと一緒にタクシー乗り場まで行ったのに、彼女を一人で車に乗せて見送ろうとした嘉門さん。


「送っていけやー!」
 
 鈍すぎる独身男の背中を押して、車に押し込んだのは北野誠さんだった。

「周りが、これが僕のラストチャンスやろうって勝手に思って雰囲気づくりをしてくれたんですよ。僕が自分から頑張らなくてもいい状況を作ってくれて。せっかくやから、乗っかろうと思ったんです」

 眼科とアンチエイジングの分野で活躍していた「プラチナ」のエリート医師は、なぜか嘉門さんのことを面白がり、惹かれた。歌い手風情がと不信感を持たれたか、こづえさんの母親は交際に猛反対。だが、意外にお似合いな2人に心変わりしたのか、何度か会ううちに「式はちゃんと挙げなさい」と言うようになった。交際から半年後にゴールインして、東京と大阪で2度、結婚披露宴を行った。




「わたし、2002年に悪性脳腫瘍の手術をしたけど、もう大丈夫だから」
 
 こづえさんが、がん患者であることを打ち明けたのは付き合い始めて間もないころ。
 
 いつ再発するかわからない悪性腫瘍。3カ月に1度、病院でMRI検査を受け状態を確認していた。それでも、「彼女は、自分の命に対する不安を表に出したことはなかったんですよ。本人が大丈夫って言うんやから、大丈夫なんやろうと僕も思っていました」

 だが、病気の影響で、徐々に右半身の自由が効かなくなっていた。結婚して1年ほどたつと、歩くときにステッキが必要になった。利き手である右手でカルテを書くことが難しくなり、こづえさんは医師の仕事を断念した。

 それ以降、こづえさんは嘉門さんの仕事場へも連れ立って来るようになった。嘉門さんの曲作りにもかかわり、積極的に自分の考えを伝えるようになった。
 
 カラオケは大好きだったが音楽には門外漢のこづえさん。そんな妻が仕事に口を出してきたら怒ってしまう夫もいそうだが、あっさりと仕事のパートナーとしても息が合ってしまうのが、このカップルの不思議なところ。

「メロディーが違うとか、歌詞のこの部分、もうちょっと違う言い回しがいいよ、だとか、的を射ていることを言うてくれるんですよ。仲よくさせていただいている宇崎竜童さんと妻の阿木燿子さんは夫婦で曲を作っていて、もし結婚することがあれば、そんな夫婦がいいなって憧れていたんです。まあでも自分にそんな話があるわけないわなって思っていましたけど、あったやん!って」
 
 趣味でも息が合っていた。2人の共通軸は「食」と「ワイン」。夕刊紙で食に関する連載を持ったことがあるほどの食通の嘉門さんと、ワインやシャンパンと、食べることが大好きなこづえさんは、住まいのある都内でも地方の仕事先でも、いつも一緒に外食に出かけた。

 予約の取れない人気店にくじけずに電話をかけ続けて美食を求めたり、今日の店はここが良かった、ここがいまいちだったなど、グルメ談義を交わした。夫婦でほれ込んだ焼き鳥屋には200回以上は通った。




 その趣味が趣味で終わらず、仕事につながってしまうのも、この夫婦ならではだった。


「歌うべきことは歌おう、歌にした方がいいことは歌にしよう」の考えで活動してきた嘉門さん。そんな“食べすぎ夫婦”で食に関する曲を作りはじめた。それを収録したのがアルバム「食のワンダーランド〜食べることは生きること〜其の壱」(2016年)である。


「カレー マイラブ」という曲を作った際には、夫婦で40軒はカレー店を食べ歩いて構想を練ったそう。曲作りのためにカレー店巡りをする夫婦は、この2人以外にはいないだろう。


「オリジナリティーがある2人ならではの考えを歌にしていこう、という関係性でしたね」
 
 アンチエイジングの医師だったこづえさんの思いをつづった「アンチエイジングの歌 入門篇」も作り、昨年、こづえさんが歌っている動画を撮影した。
 
 一緒に歌を作って、一緒に飲んで食べまくって、旅行もたくさん行って、次の曲の構想を練って。はた目にはちょっと不思議で、でも絶対に楽しいであろう夫婦の生活。だが、その未来を病魔は許してくれなかった。

 今年5月に、がんが再発。進行が早く、手術をしてもすぐに腫瘍は大きくなった。最後の望みをかけた薬も効かなかった。歩行がさらに困難になっていくこづえさん。介助の疲れが一気にたまり、嘉門さん自身も体調を崩して入院した。
 
 8月の終わり。もう歩くことができなくなっていたこづえさんを車いすに乗せて、病院から家に戻った。

 夫婦の、最後の21日間。


 嘉門さんが妻のために用意した看取りへの道は、にぎやかな花道だった。
 
 こづえさんが会いたいと願った、160人もの友人が続々と家にやってきた。部屋で宴会をして、こづえさんも一緒にワインを飲んだ。
 
 押尾コータローさんがギターを弾き、元JAYWALKの中村耕一さんが「何も言えなくて夏」を歌った。固形物が食べられなくなり弱り切っていく中、最後に北海道から送られてきたウニをチュルチュルっと、実に美味しそうに食べた。




 何もしゃべらなくなり、ベッドに寝ているだけになったこづえさん。
 
 9月15日。訪問看護師が、死が近づいていることを察知して嘉門さんと廊下に出て話をした。その間、わずか2分。嘉門さんが席を外しているうちに、こづえさんは旅立った。


「息を引き取る瞬間を夫に見せてくれなかった。これは、最もつらい瞬間に僕を立ち会わせないという彼女の演出なんだと。そんな信念が伝わってきて、拍手をしたんです。あっぱれや!って」

 身内だけで行った葬儀で、嘉門さんが妻にささげた2曲の歌がある。


「HEY!浄土〜生きてるうちが花なんだぜ〜」という終活をテーマにしたアルバムに収録された「旅立ちの歌」と「HEY!浄土」という歌。お墓の中の故人への思いと、故人が、お墓の中から見た思いをつづった曲だ。

 3年前にこづえさんの母が亡くなったとき。昨年、嘉門さんの母が亡くなったときの葬儀で、こづえさんが歌ってほしいとお願いしてきた曲だ。


「私の時も歌ってね、という彼女のメッセージだったんだ。そう理解したんですよ」

<早くお前に会いたいけれど もう少し浮世の風に吹かれてから行くよ♪>


<忙しいとは思うけれど たまには会いにきて欲しい 風になんてなるつもりはない そこにいるから きっといるから♪>


 こづえさんのそばでその2曲を歌い切った。泣きながら。


「納骨の日に、お墓の前でその歌をプレーヤーで流したんです。そしたら、線香の煙がふわっと広がってね。やっぱり彼女はこれを願っていたんだと、確信しました。なんとも不思議な体験でした」

 妻を天国に送って、夫婦生活はフィナーレ。と思いきや、物語にはまだ続きがあった。


 照れからか、介護されることについて、嘉門さんに感謝の気持ちをそれほど語らなかったこづえさん。だが、つい最近、こづえさんの昔からの友人と酒を飲んだら、いつも、病気の自分を助けてくれる嘉門さんのことをほめていたと聞かされた。別の機会に会ったこづえさんの友人からも、同じ話を聞かされた。


「自分が死んだあと、僕の耳に入ることが絶対にわかっていて、友人たちに伝えたんだと思うんですよ」


 数ヶ月前、車の中でこづえさんが突然、「何があっても、応援してるからね」と言ったことがあった。あまりに唐突で、しかも嘉門さんはハンドルを握っていたため、「おう」と返しただけ。忘れてしまっていたこづえさんの言葉が、今になって脳裏によみがえった。


 これもこづえさんの演出なんだと、嘉門さんは思う。

「職業柄、ただ嘆き悲しんでいていい立場ではないと自覚しています」と話す嘉門さん。こづえさんの遺志を継ぎ「アンチエイジングの歌」の動画を編集し、49日が終わった後、ユーチューブで公開した。夫の手で、念願の“歌手デビュー”を果たした。


 妻と生きた14年間のできごと。自宅で過ごした最後の21日間と、160人で見送った花道。妻が亡くなってから、宙を仰ぐような不思議な動作をするようになった2匹の飼い猫。そんな過去と今を、何か形にしていきたいと話す。
 
 だが、死別からわずか2カ月。今が苦しくないはずはない。取材中、嘉門さんは何度も眼鏡をはずして涙をぬぐった。
 
 思い出の店に行けば、妻の好きだった料理の味が心にしみて泣けてくる。行きつけの店で飲んでいても、こづえさんはもういない。


「いっつも、ここにおったなあってね」

 それでも、震える声で、一生懸命思いを話した。


「彼女が生きたことも、亡くなったことも、ちゃんと意味を持たせたいと思っています」
 
 物語を、続けるんやー。  
                ◆


 取材は、都内のホテルで行われた嘉門さんの、とあるステージの前だった。


「見てってくださいよ」
 
 本番ギリギリまで話してくれた嘉門さん。筆者にそう声をかけると、さっそうと衣装をはおりサングラスをかけて控室を出ていった。
 
 会場は控室の向かいの宴会場。お言葉に甘え、客席後方の壁際にいすを置き、座らせてもらった。
 
 不思議な光景だった。


 ついさっきまで亡き妻を思い涙していた男性が、「嘉門タツオ」としてお客さんを一瞬で爆笑させている。毒あり悲哀あり、ちょっとシモありの歌とトークに、筆者も仕事を忘れかけて吹き出した。
 
 中でも盛り上がったのは「炎の麻婆豆腐」という一曲。
 
 麻婆豆腐への愛や作り方を歌ったものだが、「麻(まー)と〜辣(らー)〜が〜♪」と熱唱するサビに入ると、お客さんがタオル代わりに卓上の白いナプキンをぐるぐる振り回す。
 
 アルバム「食べることは生きること〜」に収録された、こづえさんと一緒に作った歌。
 
 こづえさんは、いつも会場の、ちょうど筆者がいたあたりに座っていて、嘉門さんの歌にのってタオルをぐるぐると回していたそうだ。


 会場にいた嘉門さんのスタッフが、そう教えてくれた。(AERA dot.編集部・國府田英之)


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  • ええ夫婦やなぁ……グス。。(泣)なんか、聴きたくなってきた。。
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