浮=米山ミサが歌い綴る2020年代の「民謡」。帰る場所のない私たちを祝福するフォークミュージック

0

2022年12月28日 12:00  CINRA.NET

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

CINRA.NET

写真
Text by 大石始
Text by 山元翔一
Text by 木村和平

歌というものは本来、その土地とそこに暮らす人々の営みと深い関わりのあるものだった。社会が高度に発展するにつれ、地縁は薄れ、多くの人々が土地に根ざしたアイデンティティーを見失いつつあるなかで、さまざまな場所で分断が起こり、人と人のつながりを感じづらくなっている。そんないま、私たちはどのように「うた」を紡ぐことができるのだろうか。

この問いは、希望の見えないこれからの日本でどう生きていくかという未来へのビジョンにも関わってくるだろう。

浮(ぶい)のニューアルバム『あかるいくらい』は、「フォークロア」がキーワードとなりつつある日本のうたの世界に対し、静かに波紋を投じる作品だ。近年活動をともにする藤巻鉄郎(Dr)、服部将典(Cb)とのトリオ編成でレコーディングが行なわれ、イガキアキコ(Vln)やGOFISH・テライショウタ、白と枝(Cho)、森ゆに(Pf)らが浮の歌声を柔らかくサポートしている。

フォークと民謡と俳句をつなぎながら、誰にも似ていない歌を歌うシンガーソングライター、浮。彼女の歌世界に迫るべく、浮にとって東京の「ホーム」のひとつである吉祥寺で話を聞いた。

浮(ぶい)
米山ミサのソロプロジェクトとして2018年より活動をスタート。2019年に1stアルバム『三度見る』をリリース。折坂悠太が収録曲“街”をプレイリストで紹介したことも話題を呼んだ。2022年11月、3年ぶりとなる新作『あかるいくらい』をGOFISHやイ・ラン、NRQの傑作を世に送り出してきた「Sweet Dreams Press」からリリース。また、白と枝、松井亜衣とのユニット「ゆうれい」での活動も知られている。

―ここ最近、ライブで各地を飛び回っていますよね。一気に活動のフィールドが広がったのでは?

浮:たしかにすごく広がりましたね。もともと、いまのような活動が目標だったんですよ。東京に住まいを構えつつ、あちこちを回るという活動の仕方が。東京は情報が多すぎていっぱいいっぱいになっちゃうんです。

―では、なぜ東京に戻ってくるんでしょうか。いまの浮さんならばどこかに移住することもできると思うんですが。

浮:自分のなかでも矛盾しているんですけど、東京は「ひとり」になれるんです。ひとりでも目立たない。だから東京に戻ってくるんでしょうね。

こんなにいろんな場所から人が集まってくるところはないし、それ自体が豊かだとは言いたくないですけど、可能性がある場所だとも思います。そのなかでも以前住んでいた吉祥寺は残っているものが多くて好きなんです。

―旅先でいろいろなものに触れると思うんですが、そうしたなかで歌が生まれることもあるんでしょうか。

浮:うん、ありますね。ひとつの場所で1曲はできるかな。メモに単語を残しておいて、メロディーが浮かんだときにそれをつなぎあわせて曲をつくるんですよ。いろんな場所で思い浮かんだ断片をかき集めてつくりあげる感じというか。

―それはおもしろい。

浮:俳句や短歌の世界で活動する松井亜衣さんのワークショップに参加したことがあるんですけど、蜘蛛の巣状に「りんご」「赤い」「果物」と関連する単語をつなげていって、最後に出てきた言葉と最初の単語「りんご」をつなげて俳句をつくるというワークショップだったんですね。

そのワークショップにすごく感動して、作詞するときも参考にしています。一見関連していない言葉でも自分から出てきたものだから、そこからひとつの歌詞がつくれたらおもしろいなと思って。

―関連のない言葉を組み合わせることで何を浮かび上がらせようとしているんでしょうか。

浮:具体的なイメージというのはなくて、言葉の連なりとしておもしろかったり、そこから何かが感じられることがあったり、それぐらいでいいと思っているんですよ。受け取った人それぞれが意味や色彩を感じてくれたらいいなと。

―出身は湘南の茅ヶ崎ですよね?

浮:厳密にいうと生まれは藤沢で、育ちが茅ヶ崎です。内陸のほうで、海まで自転車で40分ぐらいかかるんですよ。森や林が多くて、周りは田んぼと畑ばっかり。

―浮という名義はもともとバンド名だったんですよね。鎌倉の長谷にある喫茶店「浮」に集う面々で結成されたと。

浮:そのころは歌謡曲やフォークが好きな人がリーダーで、その人がつくった曲を歌っていました。ポップな感じで、歌い方もいまとはだいぶ違ったと思います。

―ひとりで歌いはじめたのが2018年。

浮:そうですね。ぽつりぽつり、無理のない感じで歌いはじめました。友だちの家とか狭い場所でマイクを通さずに歌うことが多かったんですよ。そういう場所で歌いはじめたことも、いまの歌い方と関係しているのかも。

―ギターを弾きはじめたのはひとりで歌うようになってから?

浮:その前から簡単なコードぐらい弾けたんですけど、友達が1,000円でギターを譲ってくれたことなどもあり、あらためてギターを弾きはじめました。

ただ、音楽として聴くのは断然ピアノのほうなんですよ。母がピアノを家で弾いていて、子どものころから聴いて育ったこともあって。

―ひとりで歌ううえでは2019年、沖縄の石垣島に3か月ほど滞在したことが大きかったそうですね。

浮:石垣島に行く少し前から沖縄民謡が好きになりました。民謡って、暮らしから生まれるものであって、そこに音楽のルーツがあると思ったんです。日記みたいなもので、大事なことがすべて詰め込まれているんじゃないかって。

沖縄民謡と出会う前は歌を歌うって特別なことだと思っていたんですよ。だから、バンドが解散したときに歌もやめようとしていて。

―自分は特別な人間じゃないから歌うのをやめようと?

浮:そうですね。でも、石垣島の人たちは歌が共通言語になっていて、楽しくなれば踊るし、歌いたくなれば歌う。そこが本当に素晴らしいと思いました。

歌って決して特別なことではないし、私も自分をそのまま歌にしていこうと。そう考えるようになってからすごく楽になったし、生きるのも楽になったんですよ。

浮:ただ、こうやって自分のことを話すのはいまも不安で、家に帰ってから「大丈夫だったかな」と思うんですね。でも、自分のつくった歌に関しては何も恥ずかしくないんです。こっちのほうが本当の自分という感じがする。

―浮さんはライブで“てぃんさぐぬ花”や“安里屋ユンタ”といった沖縄の歌も歌っていますけど、すごく自然に歌に寄り添っていきますよね。ウチナンチュー(沖縄の人)のフリをしないというか。

浮:そう言ってもらえると嬉しいです。

―いまの浮さんは沖縄に住んでいないわけで、普段の環境は沖縄のように歌があふれているわけではない。浮さんの“てぃんさぐぬ花”や“安里屋ユンタ”には、「ほかの誰にもなれない」という覚悟が表れているようにも感じました。

浮:沖縄は大好きなんですけど、好きになればなるほど「自分は沖縄の人ではない」という気持ちが大きくなってきて。結局、自分は外部の人間で、本当の意味で当事者になることはできない。沖縄にかぎらず、どこに行ってもそう思います。

―生まれ育った湘南に対しては「地元」という意識はあるんでしょうか。

浮:私はどこが「地元」であるかそれほどこだわっていなくて。もちろん愛着はありますが、しまっておきたい思い出も置いてきたので、帰るには少し覚悟のいる場所でもあります。

―いずれどこかの土地に根を張りたいという気持ちもある?

浮:どこに根っこを張れるのかわからないし、いまは「張れないかも」という考えのほうが近いかもしれない。でも、たとえ海外のどこかに行こうとも結局、地球に住んでいるのは変わらないわけで、自分がどこかに住むとなったら、「ここは地球なんだ」と思えるところがいいです。

自分の表現のことを考えたら、絶対に土を踏む生活を送ったほうがいいし、鳥の鳴き声を聞いたほうがいい。もっと自然に生かされている場所にいかないといけないと思ってます。

―じゃあ、いずれ東京を出ることも考えている?

浮:そうですね。東京にいなくてもいいと思えるぐらい自分を確立できたという感覚もあるし、東京に一度帰ってきてほかの場所に行くというやり方が正しいのか、ちょっとわからないんですよ。

浮:いつも一緒に旅に出る友人が、「私たちいろんなところに行くけど、どこに行っても自分の居場所がないし、地元にもいるところがない。ずっと宙ぶらりんだね」って言ったことがあって。「この人もそうなんだ」と思ってホッとしたんです。私は宙ぶらりんであることがコンプレックスだったんで。

―たしかに浮さんの歌には「宙ぶらりんな人が歌うルーツミュージック」というような独特の手触りがありますよね。

浮:そうかもしれませんね。その概念だけを持って、私自身のアイデンティティーをつくっていくことができればいいなと思っています。宙ぶらりんであることを受け入れつつ、そのことについて考え続けないといけないとも思います。

―そう考えると、浮という名前は象徴的ですよね。根っこを張るんじゃなくて、水面でぷかぷかと揺らめいている感じというか。

浮:そう、曲名にしてもあとからしっくりことが多いんですよ。浮という名前もそうだし。

―今回のアルバムタイトル『あかるいくらい』もいろいろなイメージが湧き上がってくる言葉ですよね。

浮:1stアルバムのときにライナーノーツをお願いした瀧瀬彩恵さんという方は、「割り切れない世界に身を委ねる」と書いてくれたんですね。両極端にあるものを胸のなかに抱いていてもいい、と。それが今回のテーマにもなっているかもしれない。「あかるい/くらい」という対照的な言葉をひとつの単語として捉える感覚というか。

―新作には“あかるいくらい”という曲も収められていて、そこでは<ほんとうのことは間違っていない、正しくもない/ほんとうであることだけが嘘ではない?>という歌詞があります。二元論的に分断されがちな現状に対する違和感が浮さんのなかにあるんでしょうか。

浮:ありますね。「正しさ」ですべてを測る流れがあって、自分の考えを発言しづらくなっていますよね。Twitterでもみんな自分の気持ちをつぶやいているんじゃなくて、自分が思う「正しいこと」をつぶやいている。

―わかります。

浮:正しさにはそれ以上の正しさであるとか、「それは間違っている」という意見を返すしかないじゃないですか。でも、素直に自分の気持ちを言葉にできていたら、話し合いがはじまると思うし、意見の擦り合わせができると思うんですよ。そういうことを考えるなかで、この歌詞が出てきました。

―浮さんの歌詞は分断の進む現状を嘆くだけじゃなくて、世界の複雑さに目を向けることの大切さが綴られているとも思うんですね。決して単純じゃない世界の豊かさといってもいいかもしれないけど。

浮:そうですね。曖昧なものの前で立ち止まるのも大事なことだと思っています。

―耳を澄ませると、苦しみや不安の言葉も聞こえてくるんですよね。ただ、「苦しい、つらい」と嘆くのではなくて、つらかったころを振り返るような、どこか客観的な視線があるのも独特の魅力になっているように感じます。

浮:私の場合、問題が解決したときにしか曲はできなくて。落ち込んでいるときに歌詞を書くこともあるんですけど、落ち込んでいる言葉そのままなので、曲になることはないです。歌いたくないし、それだけが自分ではないと思う。落ち込み、立ち直って大丈夫な状態こそが自分であって。

―おもしろい感覚ですね。

浮:だから、落ち込んだときに自分の歌を聴いて救われることがあるんですよ。前の自分に立ち直り方を教えてもらう感じというか。

―「歌によって誰かを救いたい」という気持ちもあるんですか。

浮:自分も無意識で耳にした曲に救われることがあるし、なくはないんですけど……処方箋みたいに「これ、聴いてみてください」という気持ちはないです。そういうふうに聴いてもらえたら嬉しいですけどね。

―アルバムには“とげぬき”という曲がありますけど、ぼくはまさに棘を抜くような歌だと思ったんですよ。棘はもう抜いたけど、刺さっていたときの痛みがまだ残っている状態というか。

浮:この曲、じつはしょうもない理由でタイトルをつけたんですよ。バイト先で棘がささっちゃった人に「五円玉できゅっとやったら抜けますよ」と教えたら、そのとおりにやって抜けた。「じゃあ、次の曲は『とげぬき』だね」と言われたことをなんとなく覚えていて。曲名はだいたいそんな感じでつけるんですよ。

―個人的体験がタイトルになっているとも言えますよね。暮らしのなかからこぼれ落ちた言葉というか。

浮:そういう曲が多いですね。“治る”だけちょっとイレギュラーで。吉祥寺で一緒に住んだこともある友だちがいるんですけど、その方の友人が今年亡くなってしまったんです。

私は人が亡くなったことで曲をつくることってあまりなくて、やっぱり生きている人に届けたいと思って、落ち込んでいる友だち向けてつくりました。

―なおかつ亡くなった方の供養でもある。

浮:そうですね。“治る”の間奏は少しレクイエム(鎮魂歌)のイメージがありました。

―その意味でいうと、浮さんの歌にはポップミュージック以前の歌のあり方も感じさせるんですよね。特に“つきひ”。初めてライブで聴いたとき、完全に浮さん流の「民謡」だと思いました。

浮:私もそう思います。

―琉球音階を使っているわけでもないし、方言で歌っているわけでもないのに、言葉や歌に民謡のニュアンスがあるんですよね。

浮:私は『スケッチ・オブ・ミャーク』(※)を見て知ったんですけど、神唄って音階というものもなくて、響きそのものを口から出すように歌ますよね。

あくまでも個人的な感覚なんですけど、私も歌っていると響きがぐるぐる回ってトランス状態になりかけることがあるんです。“つきひ”は石垣島で書いたんですけど、自分にとっても特別な曲です。

―今後どんなふうに歌を歌っていきたいと思いますか。

浮:日記をつけるように、自分の言葉を素直に歌っていきたいです。生活があって歌があることを忘れないように。それと、これからも旅を続けていきたいです。
    ニュース設定