オリックス・入来祐作コーチ、若手に望む「今の時間を大切にしてほしい」 21年ぶりの再会と突然の別れのはざまで

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2023年02月18日 08:12  ベースボールキング

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葬儀翌日にキャンプに合流した入来祐作コーチ[写真=北野正樹]
◆ 猛牛ストーリー【第61回:入来祐作 投手コーチ】

 2023年シーズンにリーグ3連覇、2年連続の日本一を目指すオリックス。監督、コーチ、選手、スタッフらの思いを、「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。

 第61回は、若い投手たちを指導する入来祐作投手コーチ(50)です。

 1年目の「観察」から2年目の「積極指導」を経て、3年目は厳しく自分に向き合うことを選手に求めています。今キャンプでは、甲子園の伝統の一戦で大乱闘を演じた元阪神のジョージ・アリアスさん(50)と21年ぶりに再会し“歴史的”和解を果たす一方で、巨人に同時在籍したこともある兄の智さんを交通事故で亡くす悲しい別れもありました。「今の時間を大切に、一生懸命やってほしい」。未来のある若い選手へのメッセージでもあります。


◆ 「2月1日から評価は始まっている」

「3年目は特にテーマはありません」と切り出した入来さんだが、「どんな状況であろうとも対応できる精神力、体力に技術を身につけなければいけません。それはそれは、大変な日々を送らなければいけない。そういう意味で、いつも厳しく選手を見守っています」というから、選手に自覚を求めているようだ。

 昨シーズン終了後からフェニックス・リーグ、秋季キャンプを通じ、口を酸っぱくして来たのは「2月1日から評価は始まっているんだぞ」という言葉だったという。

「昨シーズン、一軍で活躍した選手は猶予があるんです。その舞台に立てなかった選手は、まずブルペンを見て普段の動きも見ます。そこから評価が始まっているんです。『コイツ、いい球を投げるな』と興味を持ってもらうところから始まるんです」

 主に二軍を担当するコーチとして、一軍の勝利に貢献できるような選手を送り出すのが仕事。

 技術も大事だが「彼らは毎年、新人が入って来ていつも選手が入れ替わる競争の中に飛び込んできたわけですから、コーチとして張り切って選手に厳しく取り組ませようとは思っていません。ただ、野球選手として少しでもいい思いが出来るようにサポートは惜しみません」。あくまで主役は選手自身。どれだけ自覚を持って取り組むかということだ。


◆ 元阪神のアリアスさんと21年ぶりに“和解”

 うれしい再会があった。

 巨人時代の2002年7月25日、甲子園での伝統の一戦で、入来さんの投球を巡り大乱闘を演じた元阪神のアリアスさんとオリックスのキャンプ地で再会し、21年ぶりに“和解”が出来た。

 3日、ブルペンでの出来事。入来さんが視察に訪れていた吉村禎章さんや上原浩治さんらに挨拶に向かった際、一緒にいたアリアスさんを紹介されたという。

 「紹介されるまで全く知らなかったので驚きました。近くで会うのはあの時の乱闘以来ですが、言葉はいりませんでした。お互いに強いハグをしました」と入来さん。

 メジャーに挑戦し米国で生活したこともあり、通訳なしで約5分間、話したという。

「会えてうれしかったですね。懐かしさもありますし、互いに人生をかけてグラウンドで戦っていた2人が、今、こうして野球界に携わり会えたことに、感無量でした」と入来さん。「当時は大きく見えたのですが、意外に小さな方でしたね」とも。


 アリアスさんは、阪神入りする前はオリックスでプレー。巨人の米国OBスカウトを務め、現在は地元でベースボールアカデミーを運営している。

 入来さんも巨人から日本ハム、メジャー挑戦、横浜(現DeNA)、ソフトバンクを経て、オリックスで指導者の道を歩んで来た。ともにオリックス、巨人のOBで、現在も指導者として野球に携わっているという縁が2人を結び付けた。

 選手からは「仲良くなれたんですか」など心配する声もあったそうだが、入来さんは「戦っているわけですから喧嘩ではありませんが、そこには強い気持ちと体力と、日々の鍛錬で磨く技術というものがあります。一生懸命に技術を磨きどんな舞台でも戦う、興奮状態の中で技術を発揮していくのですから大変な作業だと思います。そこに飛び込んで来た選手たちには、並大抵なことではやっていけない世界なんだと分かってほしいですね」と戦いの場に立つための覚悟と努力を若い選手たちに知ってほしいと願う。


◆ 「すぐ近くで、いつも見てくれていると思います」

 一方で、悲しい別れもあった。

 約1週間後の2月10日夜、故郷の宮崎県都城市に住む介護士の兄智さんを交通事故で亡くした。

 11日午前1時ごろ、携帯電話に着信があり「父の身に何かが起きたのか」と、3月に88歳となる父、喜門さんの身を案じたという。

 しかし、電話は病院から智さんの事故を告げるものだった。

 キャンプイン前日の1月31日、母の墓参を済ませ実家に立ち寄ると、智さんも居合わせた。

「オヤジのことを頼むよ」「わかっとるわ」。現役引退後、長続きしなかった仕事も、介護士だけは「将来、オヤジの面倒を見る時に役に立つ」と言って気に入っていたという。

 鹿児島実業高校−三菱自動車水島を経て、近鉄にドラフト6位で入団。在籍した巨人では、ドラフト1位で入団した入来さんと2年間、同時に在籍。

 智さんがヤクルトに移籍した2001年の球宴では、史上初の「兄弟リレー」が実現し話題となった。


 近鉄時代はチームメートと派手な喧嘩を演じたり、巨人やヤクルト時代には捕手のサイン通りに投げなかったりするなど、エピソードに事欠かない、個性的な選手だった。

「人騒がせな、破天荒な人ですよ。どんな人とも裏表なく感情を正直に出して、したいこと、やりたいことしかしない、本当に手に負えない人でした。ずっと野球に携わっていますが、兄貴以上に破天荒な人はいません。だからどんな選手が来ても大丈夫なんです」

「派手な死に方をしてしまったのも、兄貴らしい。(コロナ禍でもあり)本当はこっそりと葬儀を執り行おうとも考えたのですが、兄貴の性格を考えると盛大にやってあげた方がいいかなと。兄貴も喜んでいると思います」と12日の通夜で報道陣に対応し智さんへの思いを語った入来さん。

 「行くぞ!」。出棺直前の葬儀会館に入来さんの大きな声が響いた。兄を追いかけるように小学2年から野球を始めた入来さん。

 常に兄の背中を追って来たが、一緒に過ごすのはこれが最後。天国へ旅立つ兄に送る惜別の声だった。


「私が野球を出来ているのは兄貴のおかげです。すぐ近くで、いつも見てくれていると思います」

 驚いたのは、葬儀翌日の14日から入来さんがキャンプに合流したことだった。高齢の喪主喜門さんに代わり対応に追われ、十分な休息も取っていないはず。


「練習前に、みんなに『今日から一緒に野球をやらせて下さい』とお願いしました。早く復帰して、兄貴の分まで頑張らないといけませんから。これまでとやることは同じですが、選手には今という時間を大切にして一生懸命頑張ってほしいですね」


 今を生きる若い選手たちに、後悔しないプロ野球人生を送ってほしい。潤んだ目で選手の動きを追った。


取材・文=北野正樹(きたの・まさき)

このニュースに関するつぶやき

  • 「派手な死に方をしてしまったのも、兄貴らしい。」なんというか身につまされますね…。粛々と死ぬのにも努めることが必要なんだなと。
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