七尾旅人はなぜ、そしてどんな姿勢で、歌をつくり続けてきたのか?デビュー25周年を飾る代表作を語る

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2023年03月10日 09:01  CINRA.NET

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Text by 天野史彬
Text by 山元翔一
Text by 田中一人

2023年、デビュー25周年を迎えた七尾旅人。2022年9月に発表されたCD2枚組、90分に及ぶアルバム『Long Voyage』は、七尾自身の肉親の死をきっかけに制作された前作『Stray Dogs』(2018年)に通底していたパーソナルなあたたかさと、『911FANTASIA』(2007年)のような大作に見られた時空を瞬間的に行き来するようなダイナミクスを併せ持つ、七尾旅人にしかつくりえない濃密な一作である。

本作で七尾の歌とともに海に出るのは、『Stray Dogs』のツアーをともにした小川翔(Gt)、Kan Sano(Key)、Shingo Suzuki(Ba)、山本達久(Dr)から成る「ストレイ・バンド」の面々や、細井徳太郎(Gt)や石若駿(Dr)といった七尾よりも下の世代のプレイヤーたち。そして、沢田穣治の手によるによるストリングスアレンジもまた、悲しみと祝福を刻む七尾の歌世界に見事に寄り添っている。

1曲目“Long Voyage「流転」”にはじまり、最終曲“Long Voyage「筏」”に至る、「生」の航海。本作には、七尾の過去作に比べてももっとも多くの演奏者が参加しているが、同時に、不思議と、彼が小さなライブハウスなどでひとり弾き語りをするときに見せる、あの瞬間的なたゆたい――音と体と魂が一致し、一音一音がすべての記憶を抱きしめて連なっていくような、あのあまりに儚くて魅惑的な一瞬が、過去のどの作品よりも鮮明に捉えられているようにも感じる。

『Stray Dogs』リリース時に取材をした際、七尾は「僕のなかには、メディアでは脚光を浴びていない、決して忘れてはいけない人たちの横顔が、泣き顔とか、小さい笑顔とかが、いっぱい蓄積されている」と語っていた。きっとこの言葉は七尾にとって音楽をつくり続けるひとつの大きな理由で、今回も、七尾はさまざまな人々の表情を、その音楽に刻んでいる。

いかにして本作『Long Voyage』は生まれたのか。七尾にリモート取材で話を聞いた。

七尾旅人(ななお たびと)
シンガーソングライター。1998年のデビュー以来、ファンタジックなメロディーで世界の現実を描き続けて「うた」のオルタナティブを切り拓き、音楽シーンの景色を少しずつ変えてきた。パンデミックのなか放置された感染者や困窮者に食料を配送する「フードレスキュー」を継続しつつ完成させた2枚組ニューアルバム『Long Voyage』を2022年9月14日にリリースした。愛犬家だが、犬に振り回されっぱなし。日々の情報はTwitterやnoteで発信中。

−アルバム『Long Voyage』は、旅人さんのアルバム史上最大規模のゲストプレイヤーを招いて制作されたということですが、バンドの演奏に乗って聴こえてくる旅人さんの歌声にも、とても穏やかなものを感じます。

七尾:今回、40代になって初めてのアルバムで、デビューした10代のころには「その年齢になったらどうしてるんだろう? 枯渇してたら嫌だな」なんて思ったものですが、かつてなくフレッシュな気分で制作できました。相変わらず曲も収録しきれないくらい書けていたし、念願のバンドレコーディングが叶ったことは体験として大きかったですね。

七尾:バンドに関して言うと、はじめたての高校生みたいな気分なんです(笑)。そもそも自分はバンド志望で、メンバーを探すために高校を中退して四国から上京して来ましたが、うまく結成できないままソロデビューしてしまい、ガットギターの弾き語りを基本にしたライブを長いあいだやってきました。

ぼくの弾き語りって、囁き声から叫び声にいったり、テンポが変わったり、音量や間合いの扱いが独特なんです。それに対して、ドラム、ベース、ギター、鍵盤みたいな編成の、いわゆるスタンダードなバンド形態は音量のダイナミクスやリズムをある程度、平坦になるように揃えていかなきゃいけないもので。

自分はまだその辺が得意ではないのが不安点でしたが、メンバーがぼくのスタイルについて深く理解してくれていて、最少のサウンドピースで最大の効果をあげる演奏を実現してくれました。素晴らしい仲間と、10代のころからのバンドの夢を叶えることができて、本当に感慨深かったです。人生、なにがあるかわからないなと思いましたね。

−今作がバンドサウンド主体の作品になったのは、前作『Stray Dogs』のツアーをともに回った「ストレイ・バンド」の存在が大きかったようですね。ストレイ・バンドのメンバーである、小川翔さん、Kan Sanoさん、Shingo Suzukiさん、山本達久さんは、今作にも参加されています。

七尾:ストレイ・バンドと一緒にやったことで生じた一番大きな変化は、自分とは異なった資質の人たちをパートナーにしたことかもしれません。

2月からスタートしている『七尾旅人 ワンマンツアー「Long Voyage」』のリハーサルより(ツアーの詳細を見る)

七尾:お互い20代のころからいろんな現場をともにしてきたドラマーの山本達久は、人間的にも自分と似た部分が多い人だと思ってるんだけど、そのほかのメンバー、Kanちゃん、Shingoくん、翔くんの3人は、どちらかといえば秩序を重んじるプレイヤーで、レールから過度に外れることがない。音楽的に無駄がなく、理に適っていることを大切にする。ぼくがそういうプレイヤーと一緒にやるのは、『Stray Dogs』のツアーが初めてだった。

2、30代のころはジャンルレスの即興演奏イベント『百人組手』を頻繁にオーガナイズして、ジャズ、ヒップホップ、ロック、ノイズ、伝統音楽、いろんな現場を横断しながら、頭のネジが外れてたり、目つきがヤバかったり、社会性に乏しかったりとか(笑)、無意識にどこか自分と似たタイプの人を集めてきて、ぶつかり合うっていうことを繰り返してました。

最終的には生物種を越境して、動物や昆虫たちとポリフォニックな歌劇のプロジェクトを立ち上げ、星のはじまりから文明の勃興、戦争の時代を描いたりと、けっこう極端なこともしてきましたね。

七尾:でも、ストレイ・バンドと一緒に演奏することを通じて、スタンスが似ているか否かが重要なわけではないと、考え方をあらためました。

特にぼく自身としても思い入れの強い“未来のこと”や“ドンセイグッバイ”のようなポップス寄りの楽曲をバンドで演奏することを考えたときに、もっともシンプルで豊かな音を引き出してくれるストレイ・バンドのメンバーは、一番信頼のおける面子だったんです。

年齢に多少ばらつきはあってもみんなおおむね同世代なので、若いうちには出せなかった感覚というか、饒舌すぎない喜びや哀しみのニュアンスが音のなかに自然と溶け込んでいて深みがあるんですよね。彼らのサウンドが大好きなんです。

ー同時に、今作には細井徳太郎さん、石若駿さん、高橋佑成さん、宮坂遼太郎さんといった旅人さんよりも若い世代のプレイヤーたちも参加されていますね。

七尾:ストレイ・バンドとはまた異なる、カオス寄りのアプローチで音をつくっていけるのが、徳太郎くんたち。演奏中にいくらでもぼくの脱線と悪ノリに付き合ってくれるジャズシーンの彼らは、もともとぼくが好んでセッションしていた無頼派のミュージシャンたちとも近い感覚がありますね。

たとえば徳太郎くんは昔、新宿ピットイン(※)でバイトをしていて、ぼくが梅津和時さんや坂田明さん、内橋和久さん、大友良英さんのような上世代の先輩方と即興演奏をやっているのをバーカウンターの向こうから見ていたそうなんですよ。そうやって広い世代のインプロヴィゼーションを見渡したうえで、彼自身がいま、果敢にいろんな形式の演奏にチャレンジしている。

七尾:ストレイ・バンドと一緒にやることで、過去のぼくにはあまりなかった秩序立ったアンサンブルにたどり着けた手応えがある一方で、徳太郎くんたちと一緒にやっていることは、むしろ2、30代のころに自分がやってきた試行錯誤と直接的に接続している感覚があります。

そういう意味で、徳太郎くんたちと演奏している時間は「若手とやっている」という意識より、「懐かしい」って感覚のほうが大きいかな。とにかく楽しくて、制作中ずっと笑いが絶えなかった。

10歳くらい若返って同世代の仲間と遊んでいるような感覚というか、もともとの自分の居場所に近い感じがして、不思議なホーム感がありました。彼らはまだ20代で、音楽的にも人間的にも本当に素晴らしい。希望しかないですよね。

−こうしてお話を伺うのは『Stray Dogs』リリース時のインタビュー以来なので、あらためて前作以降の流れのなかで、本作『Long Voyage』の制作がどのようにはじまっていったのか、教えていただけますか。

七尾:3.11震災時の作品『リトルメロディ』(2012年)と、それを引き継ぎながら発展させた『兵士A』(2016年)から『Stray Dogs』に至るまでの時期は、ぼくにとっては苦しい時期で。「その先どう生きていくのか?」といったことを一切考えられず、とにかく精一杯、目の前のことに取り組んでいる感じだったんです。

『兵士A』と『Stray Dogs』のCD版パッケージには初めて手紙のようなセルフライナーを入れたんですけど、じつのところ遺書のような感覚もあった。お客さんや、これまで関わってくれた方々に対して、なにかしらメッセージを残しておきたいと考えていました。

七尾:そこからもう一度人生を再起動して、こうしてポジティブな2枚組にたどり着けた理由はいくつかあると思いますが、一番大きかったのはパンデミックと向き合わざるを得なかったことかもしれないですね。

コロナ禍になって、ライブ現場がクローズに追い込まれ、仕事のほとんどが飛んでしまい、ぼくら音楽関係者が真っ先に経済活動から撤退することになりました。そんななか「架空のライブべニュー」というコンセプトで『LIFE HOUSE』という配信番組を立ち上げ、翌年には「フードレスキュー」(※)をはじめた。その流れが自分にとって大きかったように思います。

『LIFE HOUSE』には、ライブシーンの裏方さんやミュージシャンといった音楽関係者だけでなく、パンデミックによって余計に生きることの困難さが増してしまうマイノリティーの人たち、障害を抱えた方や、外国籍の方にも出てもらいました。医療従事者の方々や、学校に行けなくなってしまった子どもたちなんかも来てくれて。

七尾:投げ銭収益のすべてを、ゲストか、ゲストが指定した場所へ届け続けました。ぼくが個人で告知しているだけの弱小な番組だったので、少しでも視聴数を上げるために、ほとんど毎回、ゲストにちなんだ新曲を準備しました。

それから2021年に入り、さらに世の中が大変なことになりましたよね。行政からの支援食料や医療サポートが何週間も届かないまま、多数の家族が自宅に放置されて生死の境をさまようような状況が生まれてしまい、本当だったら助かったはずの人たちが命を落とすようになってしまった。

母親が子どもの目の前で死んでしまう、妊婦が救急病院に搬送されないまま流産してしまう、そんなニュースを繰り返し聞かされているうちに居ても立っても居られなくなり「フードレスキュー」をはじめたんです。やがて感染者だけでなく、コロナ失業などで追い込まれている方にも対応するようになりました。全国に食べものや物資を送る過程で、さまざまな境遇の方と直接メールのやりとりを重ねて、この過程でも新曲が生まれていきました。

七尾:これまでもイラク戦争のとき、また震災のときなど、さまざまなシチュエーションで曲を書き続けてきたけれど、今回のパンデミックでは外出を制限され身動きがとりづらかった代わりにリモートによるやりとりの機会が増えたことで、逆に普段は会いづらかったさまざまな方との関わりが密になった側面もあります。

『LIFE HOUSE』や「フードレスキュー」を継続する日々のなかで、世の中が混乱し、過酷さを増すほど個々人の存在が無視され、疎かにされてしまうことをあらためて痛感しましたが、音楽においては誰も疎外されてほしくないという思いが強まっていました。それで、なるべく一人ひとりに向けて固有の歌をつくれるように努力しました。そうして生まれた曲たちが、『Long Voyage』には多数、収録されています。

−結果として、本作はCDでは2枚組、90分を超える作品に仕上がっています。

七尾:かなり曲がストックされていたので極限まで削ったんですけど、それでも、どうしても90分は必要だったと思います。

『兵士A』と『Stray Dogs』は自分のすべてを注ぎ込みながら、内心、遺作のようなつもりでつくったけど、自分の悪い癖なのか、いざパンデミックがきて社会全体が大混乱になったとき、気力と体力がまた大きく復活するような感覚があったんです。頭も体も動くようになってきた。

−それはやはり、旅人さんの音楽は「個人」に向き合うことで生まれるからこそなのでしょうか。

七尾:ぼくの音楽のつくり方は、『雨に撃たえば…! disc2』(1999年)のころからそれほど大きくは変わっていないし、ぼく自体の基本は、前回のインタビュー(※)でお話ししたことと同一線上にあると思いますが、また社会状況が大きく変わりましたよね。局所的な災害ではなく、全世界的にここまでの混乱が広がるのをぼくらの世代が経験したのはおそらく初めてじゃないですか。

今作『Long Voyage』は、この全世界的な混乱に対してどのようにコミットしようかと試行錯誤するプロセスから生まれました。結果的に、これまで培ってきた自分なりの歌のつくり方や構成方法を結集した、総力戦のようなアルバムになったと思います。

七尾:長いあいだ自宅の本棚に放置していたカミュの『ペスト』(1947年初版)を、コロナ初年度に初めて読了して大きな感銘を受けたのですが、あんなふうに、この新しい時代のパンデミックを、ひとりのミュージシャンとして書き残しておきたいという気持ちもありました。ライブハウスは最初に感染源として糾弾された。歌い、奏でるという行為、仕事、ぼくたちのアイデンティティー自体がこれほど社会的に追い込まれる出来事は、これまでになかったですから。

ただ、それはあくまでも結果論で、やっぱり「明日はこの人に会うから、この人のための曲をつくろう」「こんな子の話を聞いたから、その子のことをどうしても歌にしたい」ってことの積み重ねなんです。「いま、こういう境遇の人がいるのに、そのことについて描いた歌が世の中にまったく存在しないな」というような違和感を軸にして、毎日毎日、曲をつくる。上手くいかなかれば、また違うものを書き直す。

そして、それらの歌をただ並べるだけではなく、映画や文学作品のように広く大きな射程を持ち、長い年月に耐え得るような作品をつくりたいという思いがあります。歌は、文字やカメラが発明されるよりずっと昔からある最古のメディアなのに、ほかのジャンルに比べてどうも消費的に扱われているケースが多い。どんなことでも音楽作品にできるということを証明したいという思いは、10代でデビューしたころから変わらないモチベーションなので。

七尾:ただ「楽しい」や「気持ちいい」もそれはそれで大事な価値ですし、そんな曲のなかにもぼく自身、好きなものはたくさんありますが、音楽表現にやれることは無限大だと思うので。この過酷な状況だからこそ、へこたれずに音楽の可能性を信じながら新しい切り口を見つけて、出会えた人たちと互いに共有していきたいと考えていました。

−たとえば、アルバムの中盤、ディスク2の冒頭に収録されている“Long Voyage「停泊」”は、1619年にアメリカに初の黒人奴隷が連れてこられた描写からはじまり、ノルマントン号事件やソマリア内戦、さらに2020年のダイヤモンド・プリンセス号での新型コロナウイルス集団感染に至るまで、さまざまな社会的事象が「航海」というモチーフでつながりながら歌われていきます。

−そこには、旅人さんが闘病中の愛犬を連れてフェリーに乗り込む様子など、とても個人的な景色も混ざり合っていますよね。この曲だけでなく、アルバム全体を通して、個人の奥に広がる社会、あるいは社会のなかにいる個人のありようが重層的に描かれていきます。

七尾:これはわりと初期から、ぼくが無意識にとってきたやり方かもしれないですね。20代のころにつくった『911FANTASIA』のときもそうだったなと。あのアルバムでも冷戦期60年代のアポロ月面着陸や、21世紀初頭の9.11テロからイラク戦争へ至る流れを描くなかに、ぼくのとても個人的な歌が混ざり込んでいました。

個人史と世の中の動きはつねに分ち難くリンクし、関係し合っているというのが、自分がこれまで生きて、生活してきたなかでの実感なのだと思います。個人はけっして歴史や社会から逃れることはできないし、歴史や社会もまた、個人から逃れることはできない。

たとえ話として適切かわからないですが、ぼくの祖父母は戦争を経験した世代で、過酷な戦地をなんとか生き延びた祖父の若かりし日のエピソードが“Long Voyage「停泊」”にも少し登場します。

−<1944年、祖父、南方戦線へ。>に続く部分ですね。

七尾:祖父母世代の戦争の記憶は、戦後生まれであるぼくの両親にも潜在的に刻み込まれている。彼らは1950年代終盤の生まれなんですが、このポスト団塊世代は目まぐるしく日本のポップカルチャーを発展させ、おかげでぼくも素晴らしい音楽を聴きながら育った。

だけど、少し年長にあたる団塊世代による革命闘争の成り行きやその後の転向を見ながら育ったポスト団塊世代は、政治や社会問題に無関心な人が多かったので、一部のパンクスなどの例外を除いて、社会意識を音楽にそこまで落とし込もうとはしなかったと思う。でも、だからといって社会や政治と無関係でいられたかというとそうではなくて、ノンポリであるということ自体、より強固にそれと関係してしまっているといえるわけですよね。

七尾:高度成長とバブル経済を経て、政治に無関心な日本人が多数を占めるようになっても、祖父母世代が戦時中に受けた傷や痛みは、ぼくの親世代にも無意識レベルで引き継がれてきたように思うんです。

たとえ本人たちが言葉にしなくても、祖父母世代が負っていた戦争や貧困からくる死の恐怖や、それをなんとか突き返そうとする、生への狂おしい渇望のようなものが強いデプレッションとなって両親にまで伝播していることを、子どものころから感じていました。

彼らは祖父母を内心で尊敬しつつも、その過剰さに振り回されながら、ある種の呪縛を断ち切ることを望みながら、大人になった。そして、そんな両親の子であるぼくにも、何十年も前の戦争の痕跡がかたちを変えながら入り込んでいる。こうやって自分の小さな家族を眺めるだけでも、日本の近現代史を見つめ直すことにつながるし、個人と社会はやはりつながっていますよね。

人間の業は時を超えて連鎖し、受け継がれていかざるを得ない部分があり、同時に、歴史上のいろんな人々の営為や試行錯誤の積み重ねが、いまこの瞬間をつくっている。ぼくらの世界にあるよいものも、悪いものも、いま突然にして目の前に現れたわけじゃないんです。だからこそ、その成り行きを自分のこととして見守っていく必要がある。

−“Wonderful Life”では、いままさに自殺をしようとする男性や、性風俗で働きながら子どもを養う女性の姿が描かれていますが、この曲は個人と社会のつながりというものを自然なかたちで、でも強烈に感じさせます。ここで繰り返される<Wonderful Life>というフレーズは、この曲の登場人物たちにとってどのような意味を持つものなのだと思いますか?

七尾:この曲の冒頭で、飛び降り自殺しようかと逡巡している男性は、幼いころからどこにも寄る辺がなくて、ソウルミュージックを聴いているあいだだけ、束の間の安堵感を抱えています。

こんな曲をつくろうとした動機は、コロナ禍のあいだに自死のニュースが相次いだこと。とりわけ大きな問題だと思ったのは、女性や子どもの自殺者がかつてなく増えてしまったことで。それはこれまでにない出来事でした。社会経済状況などによって自殺率は推移しますが、その影響が現れやすいのは主に男性だった。今回のパンデミックは、そんな過去の常識も崩してしまいました。

なので女性や子ども目線の曲が無意識に増えていったように思いますが、“リトルガール、ロンリー”や“미화(ミファ)”など、ほかの収録曲と違って“Wonderful Life”の主人公が男性である理由は、先ほどの家族史の話ともつながってくる部分ですが、自分の肉親がひとつのモデルになっているからです。音楽が彼にとって最大の救いになっていました。そんなぼく自身の家族と、それから「フードレスキュー」で関わった困窮家庭の方々とのやりとりを重ね合わせながら、作詞していきました。

七尾:Aメロの部分では、パンデミック下の社会をさまよう家族の過酷な現状がスポークンワーズで語られますが、サビではちょっとソウルフルな感じのメロディーで<Wonderful Life>というフレーズが反復的に歌われる、まるで冷たいものと温かいものが同居したアイスクリーム付きのパンケーキみたいな構成になっているわけなんですが、この部分の歌詞について、自分でも厳密にきっちりと解釈を決め込んでいるわけではないんです。

ただ、ぼくにとっては、世の中の清濁を併せ呑んで、それでも響き続けるのがポップミュージックだから。人生はけっして楽しい日ばかりではないけれど、この荒涼とした世の中を、それでも希望とともに歩んで行くための祝福の言葉、ちょっとした「おまじない」のようなものとして、この<Wonderful Life>という言葉があるのかもしれないです。

この世界がどれだけ非情で過酷な世界だったとしても、それでも、一つひとつの命が、生を受けた瞬間にあらかじめ祝福されているような気がするんですよね。

−“ソウルフードを君と”のような曲も、社会的な事象や歴史的な背景の重なりとともに、いまを生きる個人の姿が浮かび上がってきます。

七尾:“ソウルフードを君と”は大航海時代、クリストファー・コロンブスのアメリカ大陸到着から、ネイティブ・アメリカンが虐殺されて、黒人奴隷が連れてこられるまでを語って幕開けするけっこう壮大な曲なんですが、それを料理という切り口でまとめています。

一見するとBlack Lives Matterの曲にも見えると思いますし、ジョージ・フロイドさんの事件を受けてつくったので実際にそうなんだけど、もっとも重要な部分は楽曲終盤に、アメリカ黒人料理としてのソウルフードの描写に呼応した子どもたちが口々に、日本に縁の深いさまざまな国々の料理名をあげていくセクションなんです。

ここで名前が挙がる料理たちが生まれた国……韓国やベトナム、ブラジル、フィリピン、あるいは沖縄料理の名前も出てきますが、そういったルーツを持つ方々は、全員とは言わないけど、日本という国のなかで過酷な境遇に置かれた経験がある人たちです。

七尾:アメリカ発のBlack Lives Matterに対しては、ロック、ジャズ、ソウル、ヒップホップなどブラックカルチャー由来の音楽に憧れ、多大な恩恵を受けながら成立してきた日本の音楽シーンもSNSのハッシュタグ付きコメントなどを使って共振する動きを見せましたが、これを一過性のトレンドとして消費して済ませてしまってはダメだと思う。

日本の歴史のなかで、ぼくら日本人がやってきたこと。我々がどれだけいろんな人たちを抑圧してきたのかってことに向き合う契機に変えていかないと。

結局は誰かの血を吸って成立させてきた豊かさであり、平和じゃないですか。それがバブル崩壊以降、経済的にも政治的にもグラグラと揺さぶられ続けて半壊に近いところまでいってるいま、戦後日本の真価が問われているよね。自分たちは一体何者だったのかってことをよく見直して、この先を模索していかないといけない。

−消費的な文化の影で、私たちもまた抑圧してきた立場の人間である。

七尾:この曲の終盤で各国のソウルフードの名が呼ばれたあと、実在の女の子が登場します。東北に住む、エリザベスという少女です。

コロナ初年度、ぼくのホームページに彼女の母親からメールが届きました。日本とアフリカ系のミックスであることを理由に娘が学校でひどいいじめにあい、転校しても収まらず、重度の拒食症になってひとかけらも食べられないまま、点滴だけで命をつないでいますと。パンデミックで入院患者は完全隔離され、もう何か月も会えていないとのことで、憔悴しきっていました。

母親とメールのやりとりを続けて親子の思い出などを聞かせてもらううちに、まだ直接には会えていないエリザベスさんの思いやりあふれる優しい人柄がわかってきて、彼女になんらかのメッセージがしたいと思うようになりました。それで“Three Leaves♣”という歌をつくってnoteに掲載したんですけど、“ソウルフードを君と”は、その曲から派生したものなんですよね。

エリザベスさんと“Three Leaves♣”について綴られた七尾旅人のnoteを読む(外部サイトを開く)

七尾:エリザベスは、どんなに学校でいじめられても怒りの感情を抱えることができない優しい子で、相手ではなく自分自身を責め、自己の存在をつよく否定する方向に向かってしまい、緩慢な自殺ともいえる拒食症の状態に陥った。

でも母親によると、ジョージ・フロイドさんが殺された報道に触れたとき、彼女は生まれて初めて怒りの意思表示をしたそうなんです。抑圧に対して抗おうとする人々の姿を見て、エリザベスの心のなかに変化が生まれた。

あれから3年近く経って、14歳だったエリザベスは、17歳になりました。彼女は最近、初めてのギターを手に入れたそうです。そのうち歌声を聴かせてくれるんじゃないかと楽しみにしています。

−先ほど旅人さんのご両親のお話が出たので伺いたいのですが、“『パン屋の倉庫で』”は、旅人さんのご両親や、実際にパン屋の倉庫で育った旅人さんの幼少期がモチーフとなっている曲だそうですね。なぜいま、こうした曲をつくり、歌おうと思われたのでしょうか?

七尾:この曲はパンデミックに入る直前の2020年1月くらいにつくったんですけど、子ども時代のパン屋の倉庫のエピソードについては、20代のころにもまったく違うメロディーで歌にしたことがあったんです。

そのときの歌は「プティット・ルミエール」というタイトルでした。これはフランス語で「ちいさな光」という意味で、実際に両親が働いていたパン屋さんの名前だったんです。その曲は結局、レコーディングまではいかず、お蔵になってしまったんだけど、いつかなんらかのかたちで歌にできたらいいなとは思っていたんです。

七尾:それが20年を経て、今回ようやくかたちになった理由は、前作『Stray Dogs』をつくる契機になった、肉親を自死で失うという出来事があったからだと思います。

アルバムをなんとか完成させましたが、気落ちが激しく、そこから先、音楽を続けていく理由を見失ってしまった。このままではどうにもならないのでなにか新しい挑戦をしながら回復を試みようと思い、仲間の力を借りて初めてバンド編成でツアーを回りました。

このときのバンドの手応えみたいなものが今作『Long Voyage』のレコーディングにつながっているなと感じますが、そのあいだに思ったのは、『Stray Dogs』は本当に力を注いだアルバムだったけど、足りない部分があったなってことで。

“きみはうつくしい”のように、誰かを鼓舞しようとする曲もあったし、沖縄・高江で機動隊にもみくちゃにされながらつくった“蒼い魚”とか、アフリカ・モザンビークのスラムに住むナジャという友人から幼少時の内戦について教えてもらってつくった“Across Africa”であったりとか、大事な相手に向けて呼びかけるためにつくった思い入れ深い曲が並んでいましたが、自分自身の家族の心を支えるような曲が入ってなかったんじゃないかと思ったんです。

肉親の自死を扱ったことで、家族を傷つけてしまったにもかかわらず、あとに残されてこれから生き続けていかなくてはならない家族の希望になるような曲がないような感じがしたんですよね。“天まで飛ばそ”も寂しい曲だし。今作にはどうしても、母親を励ますような曲を入れたかったんです。

七尾:なので『Stray Dogs』でやり残したこととして、“『パン屋の倉庫で』”を書きました。故郷の家族と、ぼくたちみんなが幼かった時代のことを書きたかった。

−「パン屋の倉庫」育ちということは、旅人さんにとって大きなアイデンティティーなんですね。

七尾:まぁ、誰だって親から「おまえは赤ん坊のころ、倉庫で育ったんだぞ」と言われたら、「マジで!?」となりますよね(笑)。食品倉庫で赤ん坊を育てるなんて、いまだったら炎上案件でしょう(笑)。おおらかな時代です。

−そうですね(笑)。

七尾:ぼく自身は幼すぎてそのころの記憶がないんですけど、当時の写真はいっぱい残っていて。高知の小学校の同級生だった両親は、東京のバスのなかで偶然再会したのをきっかけに二十歳そこそこで結婚したんです。母方の祖父がやっていた養護学校系列のパン屋さんでふたりして働いていた。

出産のときだけは高知に帰っていたので、ぼくは高知生まれなんだけど、親父がまだ学生だったのですぐ東京に戻って0歳から2歳になるちょっと前までパン屋の倉庫で育ちました。このエピソードは子ども時代に初めて聞かされたときからなんとなく好きだったんです。

2歳になり、東京を引き払って高知に戻ってきたとき、親父がタライのなかに海から持ってきた砂を入れてくれて、小さな砂場をつくってくれたことがあったんです。そのなかに手を突っ込んで砂の感触を知った瞬間に、どうも自我が生じたらしくて、そこからは記憶がちょっとずつある。みんなの顔とか、声とか、景色とか、当時の出来事を断片的に憶えていますね。“『パン屋の倉庫で』”は、そうやって意識が芽生える直前の、無意識のベールに包まれていた時代を歌にしていく作業で、特別な時間でしたね。

−“『パン屋の倉庫で』”が旅人さんの原風景につながっていて、なおかつ、残され、生きていく人たちへの想いから生まれた曲だというお話はとてもしっくりきました。『Stray Dogs』で描かれていたパーソナルな部分の、「その先」がこの曲にはあったんだなと。

七尾:“『パン屋の倉庫で』”と“ドンセイグッバイ”は、コロナ前、『Stray Dogs』のプロジェクトをやり終えた瞬間にできた2曲で、前作の流れを引き継ぐものです。濃いものが詰まっているなと思いますね。今作のなかではやや異質で、コロナ禍と関係なく生まれた。

パンデミックのあいだ、ぼくの大切な友人やお世話になった方が何人か亡くなってしまって、愛犬もがん闘病の末に亡くなってしまった。社会的なニュースの外側にも個人的に苦しいことが相次いでいたけど、そういうときに“ドンセイグッバイ”のような曲がちょっとした心の支えにもなってくれていましたね。

七尾:この曲は一見、普通のデュエットラブソングみたいな感じですが、やはり前作『Stray Dogs』から派生したもので、歌詞の内容も“Leaving Heaven”からスライドさせて持ってきている箇所があり、意識的に連続させています。こうやって、人生のなかで生じたひとつの出来事に対して納得がいくまで複数の曲を書き連ねていって、ちょっとずつ前に進めていくやり方がぼくは好きなんです。

それはさっきの歴史の話とつながっているかもしれないですね。解決していない事柄については、答えを急ぎすぎずに連続のなかで捉えていきたいという欲求が強くて。実際、1stアルバムから最新作まで、自分のアルバムは連関している部分が多いと思う。

「いま、こういう音楽が流行っているから、最新作は○○ビートで統一してみました」みたいなタイプのミュージシャンではないので。昔から自分自身、AとBは全然違う作品に見えて、じつは続きをやっていたっていう作家のほうが好きなんですよね。筋道がはっきりしているというか、納得度が高いものじゃないと、どうも気分的にのれなくて。

−アルバムの終盤に収録されている“미화(ミファ)”は、おそらく旅人さんにとって大切な人の名前が冠された曲なのかと思いますが、この曲は旅人さんにとってどのような曲なのでしょうか?

七尾:ミファさんは、ぼくが20代のころ熱心にライブを追いかけてくれていた在日韓国人の女の子ですね。ある日、彼女の妹さんからぼくのサイトにメールが届いたんです。「お姉ちゃんが飛び降り自殺を図って生死の境をさまよっているので一緒に励ましてほしい」と。けっきょく彼女は助からなくて、ずっと悔いが残っていました。

そのときの経験からこれまでも何度か曲を書こうと試みてきましたが、なかなかできなくて。20年近く経って『Long Voyage』――「長い航海」というアルバムの全体像が見えてきたとき、今作のフィナーレにミファさんの歌を入れることができたら本望だなと思ったんです。

七尾:あれ以来、彼女が心の奥底にずーっといるような感じで。ミファの存在は、ぼくが過去に書いたどの曲にも触れてくることだと思うし、今作のほかの収録曲“リトルガール、ロンリー”や“フェスティバルの夜、君だけいない”とか、もっと過去のアルバムでもいろんな曲の背後にいてくれた、とても大きな存在のひとりだと思います。

これまでは直接的に出してこなかったその名前を、今作にどうしても刻ませてもらいたいと思った。40代を迎えて、まだまだつくってみたいもの、アイデアは無限にあるけど、この年齢になると、人生が有限だってこともうっすらわかってくる。

もし自分が明日うっかり交通事故とかで死んじゃった場合、今作がラストアルバムってことになると思いますが、その場合、“미화(ミファ)”は『Long Voyage』だけでなく、これまでのぼくの作品全体のフィナーレとして響くようなものだと思います。

−本作のタイトルである『Long Voyage』とは、旅人さんにとってどういった思いのもとにつけられたタイトルなのでしょうか?

七尾:いろんな意味を持たせたつもりですが、突き詰めれば『Long Voyage』とは自分自身のこれまでの人生でもあるだろうし、いままで出会ってきた大切な人たち、それぞれの「生」についての言葉でもあると思うんです。

ミファは20代前半で亡くなってしまい、息子のように思って飼っていた犬は昨年14歳で亡くなってしまった。それぞれがどんな生を歩んで、どのくらいの長さを生きることができるのかは神のみぞ知るところではあるんだけど、たとえ短かったとしても、その一つひとつが長い航海のように感じて。年月の長短だけではけっして推し量れない密度を持った、尊い時間だと思う。

七尾:この3年、パンデミックで行動を制限されて、それぞれの個人が遮蔽空間に分断されたまま不確実な未来に向けて押し流されているようなこの感じが「まるで船旅のようだ」と思ったことや、自分の暮らす横須賀と東京を往復するなかで横浜ベイブリッジの真下に停泊して長期検疫体制に入っていたダイヤモンド・プリンセス号を頻繁に見たこととか、「船旅」というメタファーを持ち出した理由はいろいろあると思います。

でも最終的にはやっぱり自分が関わってきたすべての人たちや、まだ出会ってはいないけどこの先で会う人、もしかしたら一生出会うことなく他人のまま終わる人……可能であればすべての人に向けて祝福の言葉を投げかけられるような作品にしたいなという思いがあって、『Long Voyage』という言葉に行き着いたのかなと思います。海にぷかぷか浮かんでいる、ボトルに入った手紙みたいなものですね。

−本作をつくりあげて、未来に向けてはどんな気持ちでいますか?

七尾:今回、やっと「代表作」と呼べるものができたと思っていて。いままで一度も母親に自分のCDを送ったことがなかったんですけど、この『Long Voyage』は初めて送りました。手紙を添えて。

先々は、楽しくなってきましたね。初めてのバンドレコーディングで得たものが大きかったので、試したいことがいろいろ出てきています。真っさらな新しい道を歩き出す、デビューしたての新人みたいな感覚もありますね。

−2月18日から本作のツアーもはじまっています。『Stray Dogs』のツアーが『Long Voyage』の制作に大きな影響を与えていることを考えれば、今回のツアーにも期待は膨らみます。東名阪の3公演では、アルバムの完全再現をされるという、旅人さんのキャリアのなかでも初の試みがあるそうですね。

七尾:今作は自分にとってすごく適切な分量でつくらせてもらえて、曲順も十分に練り込むことができたので、アルバムをそのままの流れで演奏すればワンマンのセットリストになるんですよね。ツアーが本当に楽しみです。

東名阪は、自分としては過去最大規模になる7人編成で、2枚組アルバムを再現する予定ですが、それでもレコーディングメンバーの半分以下の人数なので、演奏を成立させるために、リハスタで各楽曲の再解釈を重ねていくことになるでしょう。もともとはほとんどすべて、ぼくひとりの弾き語りで作曲した歌なので、楽器のバランスを変えることで新たなアングルから光を当てた『Long Voyage』をお見せできると思います。

ソロやデュオ、またはトリオなどの小編成で演奏する街も多いですが、こちらは過去の思い入れ深い曲や、アルバムリリース以降につくった最新の歌を織り交ぜながら、もうひとつの航海を描いていけたらと思います。これまでそうだったように、きっとまたツアー会場に来てくれたお客さんとの偶然のやりとりからも新曲が生まれたりするんじゃないかな。

そしたら、そんな歌もセットリストに混ぜていって。船の上にどんどん仲間が増えてくるような感じになれば楽しいかもね。自宅でギター1本で歌をつくってるときは、それこそ筏(いかだ)に乗ってるみたいなものだけど、お客さんや音楽仲間の人生が合わさることで、これまでのぼくの航海は特別なものになっていたと思います。今回もぜひご一緒できたら嬉しいです。
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