「引退」を撤回してサラリーマンとの“二刀流”へ 大分B-リングス・水本大志

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2023年07月14日 18:11  ベースボールキング

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大分B-リングスでプレーする水本大志 [写真=阿佐智]
◆ 現役プロ選手とサラリーマンの「二刀流」

 先日、ボディビルの取材に行った。そこで出会う選手たちのほとんどは職を別に持ち、日々競技に打ち込んでいる。中には競技にハマってしまって、それまで就いていた職を投げうち、トレーニングをしやすい環境を求めて転職する選手もいる。長い人生を考えると、傍目には“何もそこまで……”とも思ってしまうのだが、自ら選んだ競技生活を邁進する彼らの目は輝いていた。

 その点、その頂点にプロのある野球は恵まれていると言えるだろう。プロ野球は我が国において有数の人気スポーツ。トッププロになれば、巨万の富と名声を手にすることさえできるのだから。

 ただし、それはNPBというトッププロリーグの一部の選手のことであって、そこに手の届かない選手にとって学卒後のプレーの場は、社会人野球となる。その社会人野球でも、有力実業団チームに入ることができれば生活の心配もなくある程度は競技に専念できるが、クラブチームではそうもいかない。


 NPBという夢をあきらめきれない選手たちには、近年は独立リーグという選択肢も提供されるようになってきているが、薄給の上、練習環境も満足に整っていないこの場は、そう長くいるところではない。選手の平均在籍年数は約2年。ほとんどの選手はこの年数で自らの限界を悟り、セカンドキャリアへの道を踏み出してゆく。

そんな独立リーグで、現役プロ選手とサラリーマンの「二刀流」に挑戦している選手がいる。


◆ 独立リーグを代表する和製大砲

 梅雨の明けきらぬ福岡・筑後のホークスタウン。世界一と言っていいファーム施設の一角にあるサブ球場では、ヤマエグループ九州アジアリーグ公式戦が行われていた。

 ソフトバンク三軍との交流戦は、独立リーグにとっては「ガチモード」のゲームである。三軍とはいえ、ソフトバンクは大分B-リングスを圧倒していたが、ライトの守備についていた選手にだけは警戒を緩めず、ベースコーチからもランナーに対し、注意が促されていた。そこにあったのは、水本大士26歳の姿だった。


 地元・九州の西南学院大から都市対抗野球の出場経験もある社会人の強豪・熊本ゴールデンラークスに入団。3年前、ゴールデンラークスがプロ化して火の国サラマンダーズとなった際に、独立リーグの世界に飛び込んだ。

 ゴールデンラークスを保有する企業「鮮ど市場」に会社員として残る選択肢もあったが、NPB入りを目指していた水本に迷いはなかった。

 サラマンダーズでは、主力打者としてチームを牽引した。初年度の2021年は、本塁打・打点の二冠王。そして昨年も打率は3割を超え、2年連続の打点王に輝いた上で、2位に終わった本塁打もその本数を6本から16本へと大きく伸ばし、チームの「独立リーグ日本一」に貢献した。

 リーグの本塁打王が18本を放ったドミニカ人スラッガーのイスラエル・モタ(元巨人)であったこと、他リーグの選手で彼の本塁打数を上回る者がいなかったことを考えると、水本は独立リーグ界における日本人No.1スラッガーだったと言っていいだろう。


 それでも、ドラフト指名はなかった。大学を出て3年目。客観的に自分を見つめた上で、退団を決意した。つまりは「プロ野球選手になる」という夢を断ち切ったのだ。

 独立リーガーだって、給料をもらいながらプレーしているのでれっきとしたプロではないかと人は言うが、水本にとって「プロ」とはあくまでNPBを指す言葉だった。

 しかし、まだプレーを諦めたわけではなかった。リーグから公示された水本の扱いは「自由契約」。別の場でのプレー継続に可能性を残すものだった。彼は、現役生活の最後を国外で送ることでけじめをつけることにしたのだ。


◆ 第2の人生を歩む決断を下した直後に思わぬオファーが

 「自分がこの独立リーグという環境でうまくいかない中で、結果的にはNPBには行けなかったんですけど、もしチャンスがあるなら挑戦したいっていう思いでした」

 水本は昨シーズン後の決断を振り返る。

 そんな彼が目指したのは、ラテンアメリカのウィンターリーグだった。

 「去年初めて、モタとか外国人いっしょにプレーして、自分のレベルを痛感したんです。それまでは独立リーグでは自分が一番遠くに飛ばせると思っていたんですけど、彼の打球を見て、ここ(九州アジアリーグ)で一番になっても意味ないなって。もうNPBは諦めていたんですけど、好奇心というか、野球をもう少し勉強したいかなって、そういう気持ちの方が大きかったですね。もちろんもっとレベルの高いリーグでやってみたいというのもあったんですけど」


 モタのエージェントに頼むと、コロンビアを紹介された。日本ではなじみのないリーグだが、1948年からの歴史を持ち、2020年からはラテンアメリカウィンターリーグのチャンピオンシップであるカリビアンシリーズに参加。一昨年には名門チーム、カイマネス・デ・バランキージャがチャンピオンに輝いている。過去にはルートインBCリーグから選手が何人か挑戦もしている。

 しかし、結局コロンビアの球団との契約は獲得できなかった。「死に場所」を失ったかたちになった水本だったが、もう現役に未練はなかった。25歳。セカンドキャリアに進むには、ちょうどいい年齢だった。年が明ける頃、水本は、サラリーマンとして第2の人生を歩むことを決めた。幸い就職先も決まった。


 そんな水本に待ったがかかる。リーグ発足以来、サラマンダーズの後塵を拝し続けている大分B-リングスからオファーが来たのだ。すぐには返答できなかった。

 「最初は、どうしようって。独立リーグはプロ(NPB)を目指すところでしょう。正直もう僕は目指してないですし。そもそももう就職決めてましたしね」

 渋る水本を球団オーナーの森慎一郎が口説いた。

 「才能ある選手がお金のせいで野球を続けられないのはもったいない。大分に来て仕事を続けながらプレーもできる環境を作ってあげたいんだ」

 この言葉に水本の心は動いた。幸い社業優先という条件付きで採用の決まった会社が理解を示してくれたこともあり、水本は大分でのプレー継続を決心した。


◆ 前代未聞の“リーマン独立リーガー”として

 「球団からもぜひ来て欲しいって言われて、若いチームを見て、僕にできることはないのか、力になれることがあるんだったらっていう思いで契約することにしました。体力的、技術的にはまだまだ大丈夫ですし。でももう自分の技術を高めるっていう感じではないですね。それより、ぜんぜん大したことないかもしれないですけど、僕が今までやってきたことを少しでも若い選手に伝えられたらな、その方が自分を生かせるのかなという思いですね」

 現在、水本は会社員と独立リーガーの二足の草鞋を履いている。今風に言えば「二刀流」ということになるのだろうか。

 平日は会社員として勤務。リモートワークとは言え、勤務時間は決まっており、午後6時に仕事が終わってから球団の施設で練習する。チームに合流するのは基本的に週末の試合だけ。要するに休みなしだ。

 九州アジアリーグも加盟する独立リーグの連合体・日本独立リーグ野球機構の各リーグは、数年前から選手のシーズン中の兼業を認めている。各球団が薄給しか選手に支払うことができないための苦肉の策だが、もともと水本のような野球がサイドビジネスになるようなことは想定していない。

 そのせいか、本業を他にもちながら野球でも報酬を手にするという水本の新しい取り組みに対しては、否定的にとらえる声もリーグ内からあがっているという。そういう声を払拭するためにも、水本の責任は重大だ。


 もし、このオフシーズンにコロンビアのチームから声がかかったら、どうすると聞いてみた。リモートワークであるなら地球の裏側でも日本の会社で働ける。水本は即座に答えた。

 「もう、こっち(会社)がメインなんで。コロンビアまでは…、無理っすね(笑)」

 この先については、まだわからないと言う。

 「もちろんまだまだやりたいですけど、何年も続けるリーグではないんで、ここは」


 取材の翌日、フィールドには水本の姿はなかった。東京の本社での研修に出席するためにチームを離れたのだ。

 水本を欠いた打線は振るわず、ソフトバンク三軍相手に完封負けを喫してしまった。リーマン独立リーガー・水本のプレーはまだ当分続きそうだ。


文=阿佐智(あさ・さとし)

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