苦戦が続くヤマハとホンダ。日本メーカー復活の処方箋(前編)/御意見番に聞くMotoGP

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2023年07月28日 22:40  AUTOSPORT web

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2023MotoGP:ドゥカティを追うヤマハのふたり
 2023年のMotoGPは第8戦を終えて7月はサマーブレイクとなりました。8月から後半戦を迎えますが、日本メーカーであるヤマハとホンダが後半戦に活躍できるのかが気になるところでしょう。

 そんな2023年のMotoGPについて、1970年代からグランプリマシンや8耐マシンの開発に従事し、MotoGPの創世紀には技術規則の策定にも関わるなど多彩な経歴を持つ、“元MotoGP関係者”が語り尽くすコラム第11回目です。

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⎯⎯さて開幕戦から荒れ模様だったMotoGPも8戦を消化して恒例の夏休みですが、これまでの結果を総括してみたいと思います。

 新規に導入したスプリントレースの影響なのか荒れたレースが続いたという印象は拭えないけど、やはりディフェンディングチャンピオンのフランセスコ・バニャイア選手が強くて、チャンピオン争いでは既に頭一つ抜け出してきたね。

 それだけじゃなくて、チャンピオンシップの上位3名のマシンは全てドゥカティ。それに上位8名のマシンが全て欧州メーカー製で、そのうち5台はドゥカティという破竹の勢いだ。

 一方で、ヤマハのファビオ・クアルタラロ選手が9位で、日本メーカー製のマシンに乗るライダーとしては最上位。言うまでもないけど、彼は2021年のチャンピオンで、昨年もバニャイア選手とチャンピオンを争ったライダーって事を考えると、これはかなり異常な事態だね。

「日本メーカーに何か異変が起きてる!」という印象を更に決定的なものにしているのが、ホンダのマルク・マルケス選手の不調なのだけど、マルケス選手だけじゃなくて、昨シーズン撤退したスズキからホンダに移籍した、ジョアン・ミル選手とアレックス・リンス選手も度重なる転倒で負傷して相次いで戦線を離脱している。ヤマハも不調だけどホンダは更に危機的な状況じゃないのって。

 そこで今回は、こういう事態に陥ってしまった原因はどこにあるのか分析して、日本メーカー再び勢いを取り戻すにはどうしたらよいのか、この夏季休暇の間に処方箋を考えてみようと思うんだ。

⎯⎯今シーズンの日本メーカーの不調は、たまたまこうなってしまった一過性の現象ではないという事ですね。

 その通り、これは今に始まった事では無くて実に根の深い問題なんだよ。

 処方箋を考えるにあたって、まず手始めに直近の10年間のMotoGPのチャンピオン争いの構図について考察してみた。2012年は、ホンダの提案によって5年前に990cc→800ccにダウンサイジングされた排気量が、今度は1000ccフルサイズに戻された年でもあるんだ。

 ただしボア81mmと4気筒以下という縛りが加えられたので、日本メーカーの技術的な強みを封じつつ、市販車ベースのエンジンでも参戦が可能になるよう意図されていたんだ。つまりDORNAによって欧州メーカーの参入を促し、結果的に日本メーカーの支配力を弱めるための10年計画が発動した年でもあるんだな。

⎯⎯確かパワーが出すぎて危険という事で800ccになったと聞いていますが、それを1000ccに戻すっておかしくないですか?

 それにはMotoGPを更にビッグビジネスにしたいというDORNAの思惑が絡んでいるんだ。見応えのあるレースにするには最低でも20台以上をグリッドに並べたいという信念があって、一方で日本メーカーはリソースの問題があって自社の参加台数を増やす気はない。

 レースの見栄えという点でも欧州メーカーがどんどん参戦してくる環境を整えないと、死活問題と考えていたようだ。カワサキが撤退したこともトラウマになっていたんだろうね。

 日本メーカーに依存しすぎるのは危険だぞと。それに敵対関係にあったSBKが市販車ベースとは言え、排気量で負けてるというのが我慢できなかったんじゃないのかな(笑)

⎯⎯ところで直近の10年間の振り返りでどんなことが見えてきたのでしょうか。

 この10年のうち、少なくとも前半は日本メーカーの天下だった事は明らかだね。800cc元年(2007年)に、ケーシー・ストーナー選手で初のタイトルを獲得したドゥカティが、再びゲームチェンジャーとなる事はなかったし、DORNAが画策した日本メーカーの支配力を低下させる試みは、この時点では具体的な成果としてはまだ見えて来ないんだ。

 でもDORNAの10年計画はエンジン台数制限とシーズン中のエンジン開発凍結とか、燃料タンク容量規制、共通ECUの採用から始まって共通ソフトウエアの適用とか、矢継ぎ早に実行に移されたので、日本メーカーの優位性はどんどん失われていったんだよ。

 それに対して欧州メーカーに対してはあからさまに甘々なルールが適用されたから、いまやドゥカティのみならずアプリリア、KTMと言った欧州メーカーが、コンセッション(優遇措置)の恩恵を受けて力を付け、MotoGPの地勢図は大きく書き換えられようとしているんだ。

⎯⎯そのDORNAの計画の効果が出始めたのはいつごろからですか?

 ドゥカティが昨シーズンに2度目のチャンピオンを獲得して、今シーズンもおそらくはドゥカティに乗る誰かがチャンピオンになることがほぼ確実視されている、という協力無比な存在になる兆しは2017年頃から見えていたね。

 でも、エースライダーのアンドレア・ドヴィツィオーゾ選手の前には絶対王者としてホンダのマルケス選手が君臨していたから、万年2位というポジションに甘んじるしか無かったんだ。失礼な物言いかも知らんけど、残念ながら彼にはチャンピオンの資質が無かったとみている。でもマシン自体は更に速いライダーが乗れば勝てるレベルに既に達していたんじゃないかな、全盛期のストーナー選手とかね。

⎯⎯でもヤマハからドゥカティに移籍したバレンティーノ・ロッシ選手もうまく乗れなかったじゃないですか?

 あれはストーナー選手しか乗れないマシンだったという事実を、結果的に証明したようなものだね。ドクターと異名をとるロッシ選手でも乗りこなせない、正しい方向に導くこともできなかったのだからね。つまりストーナー選手は僕の見込んだ通り真の天才だった(笑)

 期待感が大きすぎた反動としてドゥカティとロッシ選手にとって「忘れてしまいたい過去」、「黒歴史」になってしまったのは事実。でもそこから立ち上がったことで今の強さがあるとも言えるんだ。

 翌年にはドゥカティ自体が独アウディの傘下に入る事で、経営基盤がより強化されたのがひとつの転機。そしてレース部門の立て直しの為にパオロ・チャバッティが起用され、エンジニアリングのトップにはアプリリアから移籍したルイジ・ダリーニャが据えられたのも、後に今日のような大きな変化を生む要因となったのは間違いない。

という事で、次回は日本メーカーが辿った栄光と挫折の歴史を紐解いていくよ。
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