小柳ルミ子、ずっと心の中にくすぶっていた未練「その道を選んでいたら自分の現在地も違ったかも」

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2023年09月09日 17:10  週刊女性PRIME

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小柳ルミ子さん

 人生に「たら」「れば」はないけれど、振り返ると「あのときこうしていれば……」と思うことは誰しもあるはず。しかも「転生ストーリー」が流行し、メタバース(仮想空間)が身近となった昨今、想像が実現する可能性も……。そんなもう一つの道を歩んだ自分を、小柳ルミ子さん(71)に語っていただきました!

 1971年、18歳で歌手デビューをした小柳ルミ子さん。デビュー曲の『わたしの城下町』がいきなり160万枚を突破。以降も数々のヒット曲に恵まれたが、女優としても、1983年に日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞、翌年には最優秀主演女優賞を受賞と、華々しい功績を残してきた。そんな小柳さんだが今だにふと、「やり残した」と思うことがある。それがミュージカルだ。

小柳ルミ子「ミュージカルをやりたかった」

「小柳ルミ子というと“歌う人”と思う方が多いでしょう。でも私は子どものころから踊りもずっとやってきたんです。歌と踊りをしているときが一番自分らしいと思える瞬間。だからミュージカルをやりたかったんですよね、本当は」

 実は小柳さん、デビューしてすぐのころから所属していた会社に「ミュージカルがやりたい」と直談判していた。

「今でこそ、ミュージカルは当たり前になったでしょう。みんな見に行くし、ファンも大勢います。でも52年前は、日本にまだミュージカルのミの字もない時代だったんです。会社の部長には『ルミ子、ミュージカルなんて商売にならないぞ』とはっきり言われましたね」

 歌って踊る芝居なんて宝塚歌劇団以外、絶対に日本では流行らない。歌謡曲を歌えというのが会社の方針だった。

「ありがたいことに歌が売れましたから(笑)。会社としては、歌一本に絞ろうと思うのも仕方ありません」

 しかし、ミュージカルへの未練はずっと心の中にくすぶっていた。それが弾けたのが、1980年、シングル『来夢来人』を発売したときのこと。新曲のお披露目として、かつて浅草にあった国際劇場のステージで歌った。その際、大勢の男性ダンサーをバックに従え、自身も華麗なダンスを披露した小柳さん。すると、これを見た紅白歌合戦のスタッフから「紅白でもやってほしい」とオファーを受ける。

「その年の紅白で同じようにダンサーを従えて踊ったら、『小柳ルミ子は踊るんだ!』とたくさんの反響をいただいたんです。やっと私が踊る人だと認知されるようになりました。そうしたらもう、もっとダンスがしたい!と火がついちゃったんです」

『シカゴ』や『マイ・フェア・レディ』、大好きなミュージカル作品はたくさんあったが、なかでも一番好きだったのは『キャバレー』。舞台はもちろん、尊敬する振付家、ボブ・フォッシーが監督した映画も見た。「どうしても『キャバレー』をやりたかった」という小柳さんは、会社と何度も話し合いの場を設けたが、その願いが叶うことはついになかった。

「ミュージカルは大勢の人を使わなければいけないし、稽古のスケジュールに何か月も取られるでしょう。それよりは1回コンサートをやったほうがお金になるわけですから、会社としてどちらをやるかは明白ですよね。

 こんなこと言うのはアレですけど、歌が売れていなかったらそっちの世界へ行けたのかな……と思うときも正直ありました。それからも自分のコンサートやディナーショーで踊ったりしていましたが、とうとうミュージカルには巡り合えませんでしたね」

 現在、日本のミュージカルは人気コンテンツへと成長。大手芸能プロダクションがミュージカルの制作をするのも当たり前になった。そんな今の状況もまた、小柳さんに複雑な思いを抱かせる。

「当時はこのままダンスができないのであれば、会社を辞めて劇団四季に入団するか、ブロードウェイに留学するか真剣に考えたこともありました。もし本当にその道を選んでいたら自分の現在地も違ったかもしれませんね。ミュージカル女優になって、今も舞台で踊っていたんじゃないかしら」

 昔の自分に何かひとつアドバイスをするとしたら?

「もっと頑張って会社と戦え!と言いたいですね。あなたの未来が大きく変わるかもしれない瞬間なのよと伝えたいです」

小柳ルミ子(こやなぎ・るみこ)●1952年生まれ。'71年『わたしの城下町』で歌手デビュー。同年、日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。MCを務める番組『ルミ子の食卓』(テレビ朝日系)が毎週金曜夜1時20分から絶賛放送中。



小柳ルミ子オフィシャルブログ→

https://ameblo.jp/rumiko-koyanagi/


Instagram →

@rumiko_koyanagi


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@rumiko2020

(取材・文/中村未来)

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