【今週はこれを読め! ミステリー編】呉勝浩の短編集『素敵な圧迫』に興奮!

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2023年09月14日 19:01  BOOK STAND

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『素敵な圧迫』呉 勝浩 KADOKAWA
「呉さん、短篇もっと書いてよう。こんなにうまいんだからさあ、頼みますよう」
「いや、ほら、長篇と同じくらい手間がかかるんですよ短篇は。だから書きたいとは思うんだけど、ねえ」

 というような会話が呉勝浩と私の間であったと思っていただきたい。いや、もしかすると私の脳内でのやりとりだったかもしれない。

 呉勝浩は短篇が上手い、呉勝浩の短篇が好きだ、とあらためて認識したのは『小説現代』2018年9月号に掲載された「素敵な圧迫」を読んだときだったと思う。今回発売された短篇集『素敵な圧迫』(KADOKAWA)の表題作である。

 これは本当に素敵な短篇だ。主人公の蝶野広美はこどものころから隙間を見つけると心が躍った。そこに体を滑り込ませ、抱擁にも似た素敵な圧迫を感じるのが何よりの楽しみになったのだ。幼くして発見した自らのフェティシズムである。長じるに従って自分の体が大きくなってしまい、程よい空間というのはなかなか見つからなくなった。教室の後ろに置かれた掃除用具入れを見てはむらむらするものの「いじめられっ子でなくちゃ閉じ込めてもらえない理不尽に歯噛み」をする。一人暮らしをするようになり、自分だけの部屋を持つという願望が叶った。本当は自分用の棺桶をこしらえて中に入りたいところだが、上京した母親に見られたらたまらない。結局、トレイを抜いた冷蔵庫の中に入ることで妥協した。

 この広美が理想の男性に出会うのである。就職し、勤め先に営業でやってきた風間遼を見初めた。もちろんその体格に。抱きしめられると肉づきから骨格から肌質から力加減から、すべてが完璧だった。理想の圧迫を味わわせてくれる相手だったが、恋人同士の関係になって毎晩でも抱きしめてもらいたいという願望は叶わなかった。遼には婚約者がいたからである。

 あ、なるほど、ここで三角関係の話になるのか、と納得した。古典的なプロットへ誘導していく話の運びが上手い。恋愛小説には二通りある。ライバルがいるか、いないかだ。前者なら三角関係の話になるが、結末はだいたい想像がつく。主人公がライバルに勝つか、負けるか。もしくは主人公を巡る恋の鞘当てが、A・Bどっちに軍配が上がるかという終わり方しかないからである。だが「素敵な圧迫」は違うのだ。予想もつかなかった終わり方をする。しかも、ものすごく不穏だ。ここまで書いてこなかったが、広美の身に、ある危機が迫るのである。それによって盛り上がるスリルと、話がどういう風に決着するか見えてこないことから生じるサスペンスによって、読んでいる最中はものすごく興奮した。見たことがない小説を読んでいる、という驚きがあった。完璧だ。これは完璧なミステリー短篇である。こんな作品とは十年に一回巡り逢えるか、逢えないかだ。

 と思っていたら。

 あっさり出会ってしまった。しかもほぼ同じ月に。『素敵な圧迫』に収録されている「論リー・チャップリン」がその作品で『小説すばる』2018年9月号に掲載された。つまり「素敵な圧迫」と同月である。

 これは堤下与太郎の物語である。与太郎って。『爆弾』のスズキタゴサクもそうだけど、ときどき呉はこういうことをする。与太郎は堤下勝に脅迫される。十万円よこせ、と言うのである。名前からわかるとおり、勝は与太郎の息子だ。妻の倫子と離婚した後、一人で育ててきた大事な一粒種だ。その十三歳の勝が十万円よこせと言う。よこさなければコンビニで強盗をして奪うという。そんなことをしたら犯罪者になって困るだろうと諭すと、いや、困らない、むしろ困るのは親のあんただろうと嘯く。息子が犯罪者になったら近所からは白い目で見られるし、仕事だって失うかもしれないからだ。

 理屈で十三歳に敵わない。途方に暮れた与太郎は職場の同僚に知恵を借りる。よし、厳しくいくべきか。思い直して勝に宣言する。強盗なんかしたら親子の縁を切ると。しかし十三歳は動じない。未成年の息子を見捨てるのは保護責任者不保護だろうと。そんなことをしたらとことんつきまとって嫌がらせをしてやるし、なんなら与太郎に社会的な死を迎えさせる秘策もある。駄目だ、言い負かせない。中年オヤジは十三歳を言い負かせない。

「はい、論破」と言って自分の賢さを示したがるこどもが増えている、とたびたびメディアで取り上げられる。そういう風潮がよく知られるようになる少し前にこの短篇は発表されたという記憶がある。こどもが困った理屈を言うのは今に始まったことではなくて、「人を殺してはなぜいけないか」「命は自分のものなのになぜ自殺してはいけないのか」というような問いにおとなたちは悩まされてきた。それに対してどうしたらいいのか、という令和版の物語である。あ、発表されたときはまだ平成だったか。

 素晴らしいのは三角関係小説の「素敵な圧迫」もこども屁理屈小説の「論リー・チャップリン」もきちんとミステリー的なプロットのひねりがあることだ。それを経て思わぬところに着地する。本書には六篇が収録されているが、この二篇のツイストがもっとも冴えていると思う。次いで唯一の書き下ろし「ダニエル・《ハングマン》・ジャービスの処刑について」か。この短篇はアッパーカットで相手をKОするさまが絞首刑のように見えることからハングマンの異名を取ったボクサーの架空評伝小説である。ダニエルがどんどん相手を倒して出世をしていく過程は抜群におもしろいのだが、ミステリーの要素はほとんどない。強いて言えばこれがどうしてミステリー短篇集に入っているかということぐらいか、しかも書き下ろしで、と首をひねっていると最後の最後に万人を納得させる落ちがつけられる。あ、なるほどと感心させられるのである。こういう小説も書けるのか、と驚かされた。

 素晴らしい短篇集である。ここで触れなかった三篇も本当におもしろいのでぜひ読んでもらいたい。呉さん、商売の邪魔をして本当に申し訳ないんだけど、やっぱり短篇を書いてくれないかな。だってこんなに上手いじゃないか。

 みんな、呉勝浩先生に励ましと短篇書いてくださいのお願いの手紙を書こう。

(杉江松恋)


『素敵な圧迫』
著者:呉 勝浩
出版社:KADOKAWA
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このニュースに関するつぶやき

  • 読了済み。今の時代に即した短編集でした! 読み応え、かなりあり。
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