井上晴美、熊本地震で被災してもめげずに続けた“地方生活”「誹謗中傷は見ないようにすればいい」

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2023年10月10日 16:00  週刊女性PRIME

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井上晴美

「都会を離れる不安は確かに大きかったです」

 そう語るのは、タレント・女優の井上晴美さん(49)。海外留学中に知り合った男性と2005年に結婚。夫のたっての希望で、長男の出産を機に長野へと移住する。

夫は子育てを田舎ですることが理想でした。私自身は、まだまだ東京で暮らすと思っていましたし、子育ても東京でと考えていた。

 都会での子育ては、便利なものに頼れるのでメリットが大きいですよね。私はアートが好きなので、本当は美術館や博物館、水族館などすぐに電車で行ける環境がよかったんです」

 引っ越し先は東京とは180度違うのどかな場所。そんな環境の中での子育ては戸惑うことの連続だった。

子育てと東京通いで疲弊する日々も

「縁もゆかりもない土地でしたし、まだ子どもが小さかったので。育児の悩みなどで気持ちがつらくなったときに、誰かに相談したいと思っても、誰にも会えない。孤独を感じたこともあって、精神的にはしんどい時期でした」

 ドラマの仕事で長野と東京を往復することもあった。忙殺される日々に、追い詰められるようになったという。

「新幹線に乗れる時間帯に帰ってこられるとも限らない。車だと片道3時間くらいの運転。あまりの疲労でパーキングエリアで寝てしまったこともありました」 

 そんなハードな日々の中で、長野では自給自足の生活もしていた。災害があっても、自給自足ができれば安心な部分もあるからと、夫婦で話をして決めた。

「夫はそういう生活が好きなんです。電気やガスは普通にあったのですが、田んぼを借りてお米とか野菜を作って。農作業に使う機械も持っておらず手作業でしたが、地元の方が手伝ってくれたり、機械も貸してくれて助けてもらうこともありました」

 今思えば、それも貴重な時間だったと振り返る。

 '11年、第3子の誕生とともに、今度は出身地でもある熊本県に移住。しかし、’16年、熊本地震で被災者となる。自宅も全壊し、車やテントでの避難生活を強いられたこともあった。

「電気もガスも水道も止まってサバイバルしているようでした。そこだけ時が止まって、隔離されているような。映画を見ているような感覚でした」

 子どもたちは畑でテントを張り、大人は車上生活。電気が止まっていたので、車のエンジンを時々つけては、携帯の充電をしていたという。

「ブログを書き込むときだけ電源を入れて一気に書いて、それ以外は電源もオフ。携帯で連絡を取ることもあまりできませんでした」

 そうした生活をしながらホテルも探したが、どこも満室。ようやく小さな旅館が見つかったものの、大部屋で1か月くらいを過ごすことに。そんな悲惨な状況にもかかわらず、“不幸自慢”などとブログのコメントでは誹謗中傷もあった。

「自分が体験したことをリアルに発信していました。なのに、なんでこんなふうに考える人がいるんだろうと当時はすごく気持ちが落ち込んで」

 被災した苦しい状況の中でこれ以上傷つきたくない、とコメントを読むのもブログを書くこともやめたという。そんな被災体験を乗り越えつつ、現在も熊本で暮らしている。

葛藤はあったがどうにかなるもの

 震災が起きてから7年以上が経過したが、今もその心の傷は消えたわけではない。

「SNSについて今はインスタグラムをメインに発信していますが、誹謗中傷は見ないようにすればいい。自分軸で発信するようになりました」

 そして、地震によって学んだことを風化させないことが大切だと語る。

「たまに地震があるとフラッシュバックすることはありますが、子どもたちはトラウマになっていないようで本当に良かった。恐怖の記憶など何もかも風化させないというのではなく、経験を活かしてこれからどう備えられるかだと思うんです」

 現在は家族と自然農法で畑を耕し、陶芸にも挑戦する日々。さまざまな経験を積み重ねながら、力強く前に進んでいる。

井上晴美●1974年9月23日生まれ。熊本県出身。1991年、16歳で芸能界入り、ドラマ・映画・舞台など数多くの作品に出演。2005年に結婚し、現在は3児の母。日常をインスタグラム(

@harumi_inoue_

)でも発信中。

(取材・文/諸橋久美子)

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  • ねるとんの芸能人版で橋本真也に口説かれてたなぁ。橋本は女癖悪かったからごめんなさいして正解だったね。
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