「3000人収容のホールに200人…」谷村新司さん、不遇時代の借金1億5000万円を完済した“名曲”

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2023年10月19日 06:10  週刊女性PRIME

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週刊女性PRIME

バンド『アリス』のメンバーでシンガー・ソングライターだった谷村新司さん

《今年の3月に腸炎での手術を行い、療養を続けておりました谷村新司ですが、10月8日に息を引き取り、永眠いたしました 本人も回復に向けて頑張っておりましたので、本当に残念に思います》

 バンド『アリス』のメンバーでシンガー・ソングライターの谷村新司さんが今月8日に亡くなっていたことを所属事務所が発表。74歳だった。

「'71年に堀内孝雄さん、矢沢透さんと『アリス』を結成。“チンペイ”の愛称で親しまれました。デビュー当時はヒットせず下積み生活を過ごしましたが、カバー曲がヒットしたことで人気を獲得。その後、『冬の稲妻』『チャンピオン』『秋止符』などのヒット曲を連発しました」(スポーツ紙記者)

 ソロでも'80年には『昴-すばる-』が大ヒット。楽曲提供でも山口百恵の『いい日旅立ち』、加山雄三との共作『サライ』などの大ヒット曲がある。

 そんなシンガーとしてもソングライターとしても大ヒットメーカーだった谷村さんだが、バンド結成から数年ほどの70年代前半に莫大な借金を抱えたことがあった。

「その額1億5000万円。70年代ですから、現在であればその10倍ほどの額に相当するかもしれません。アリスは当時全国各地での地道なツアー活動を行っていました。谷村さん自身“特急の停まる市の市民会館にはほとんど行った”と語っているほどで、1年間で300ステージ以上を回っています。その流れで当時マネージャー的存在だった男性がアメリカ大陸ツアーを提案したんです」(レコード会社関係者、以下同)

 現代の大ヒット歌手でも珍しいアメリカツアーを'70年代に実行。しかし……。

「当然ながらまだ日本でもヒットしていたとは言い難い状況ですから、途中でお金が尽きてしまった。そこで日本からお金を送ってもらっていたそうです。しかしそこでお金を送ってくれるはずの人がお金を持ち逃げしてしまった」

 それで借金を作ってしまった……わけではない。現地の人の前で歌い、お金をカンパしてもらうことで窮地を乗り越える。外国の人の恩によって帰国することができた谷村さんとアリスは“世界に恩返しできる日本のプロバンドを作ろうと”誓った。

3000人収容のホールに集まったのは200人

「帰国後も全国を回る日々が続いていましたが、なかなか有名になれず、ヒット曲にも恵まれなかった。そこで当時の所属事務所の代表が、ソウルシンガーの大御所・ジェームズ・ブラウンを日本に呼ぶという勝負に出た。

 しかし、来てくれたはいいものの3000人収容のホールに、200人しか集まらなかった。ジェームズ・ブラウンはすでに大人気シンガーでしたが、日本ではまだR&Bはそれほど知られておらず知名度がなかったという事情もありました。そこで数千万円の借金を負うことに」

 勝負に出たことで作ってしまった借金。そしてそれを返すために……。

「借金返済のためにグアムへのクルージング・ツアーを企画しました。船を借りるために前金を納入しなければならず、そこでまず大金を払い、結果ツアーも成功には至らず……。その後も本場のストリップダンサーを呼ぶ企画なども実行しますが失敗。結果、借金は1億5000万円ほどに膨らむことに」

 偶然か運命か……ここでアリスにとって初めてのヒットといえる曲を発表。'77年リリースの『冬の稲妻』だ。同曲で当時の大人気音楽番組『ザ・ベストテン』で初のランクインを果たした。

「借金を返すため徹底的に作り込んだのが『冬の稲妻』だった。それを期に借金完済、ヒットを連発するバンドとなっていきました」

 昨年11月、“活動50年”を記念したコンサートを開催。そこで“10年続けて活動するという持続可能な努力目標『アリスSDGs』”を宣言。新たな10年の1年目の訃報だった──。

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