ドラフト候補左腕に芽生えた「キツいことを楽む」メンタリティ|東松快征(享栄)

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2023年10月26日 12:21  ベースボールキング

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10月26日に行われるプロ野球ドラフト会議。自分の名前が呼ばれることを静かに待つ選手が愛知県にいる。甲子園に出場することはできなかったが、早くから全国にその名を轟かせていたMAX152キロ左腕、享栄高校の東松快征投手だ。ドラフトの1週間前に、これまでの東松投手の野球ヒストリーを振り返ってもらった。



■6年生のお兄ちゃん達と遊ぶのが楽しかった
野球を始めたのは1年生の時(加木屋クラブ/軟式)です。3歳上の兄がチームに入るときに、父に「一緒に入ってみろ」と言われて始めました。
最初はあんまり野球の楽しさが分からなかったというか、練習するのが嫌いでした(笑)。でもグラウンドに行くと6年生のお兄ちゃん達が一緒に遊んでくれて、それが楽しみで練習に行っていました。
3年生になってから、当時西武ライオンズの菊池雄星投手をテレビで見て、自分もこうなりたい、野球選手になりたいという目標ができて、そこから練習への意識が変わりました。
今はプロのピッチャーの変化球の出所を動画で見て研究したりしていますが、この頃から野球に関する動画をYouTubeで見たりしていました。

6年になったタイミングで社会人野球「東海REX」の方が3人コーチで来てくださるようになって、そこからチームがすごく変わって愛知県大会準優勝するなど、強くなりました。練習は土日だけでしたけど、朝から晩までやってキツかったです。練習がない平日は家で自主練は特にしなかったですが、公園で友達とドッヂボールをしたり鬼ごっこをしたり、何かしら体を動かす遊びをたくさんしていました。

6年の時は167cmあって体は大きかったですが線は細かったです。野球以外には何も運動はやっていませんでした。ポジションはピッチャーとファーストで打順は1〜4番のどこかを打っていました。チームで一番ホームランを打っていましたけど、ピッチャーとしては、ボールは速かったですけどコントロールは悪かったですね。

■中学では野球をやらないつもりだった
中学は「東海中央ボーイズ」に進みましたが、本当は中学では野球をやらないつもりでした。「ドラゴンズジュニア」から誘いもありましたけど、少年野球の最後の大会と被っていたので、「野球人生最後の試合だ」と思っていたので、それも断っていたくらいですから。

辞めようと思った理由は、自分の実力がプロに行くくらいに飛び抜けていなかったからです。そこそこ活躍はしていたと思いますが、少年野球では自分より体が大きい子がいたり、上手い子もいたので、「自分にプロは無理だなぁ」と思ったんです。野球よりも釣りが好きでだったので、釣りの方が楽しいなぁって思ったんです。両親も「好きなことをやれ」という感じで、野球を辞めることは特に止められなかったです。
でも東海REXから来ていたコーチの方が「辞めるのはもったいない」と言ってくださったのと、東海中央ボーイズからも声がかかったこともあり、「じゃあもう一回やろうか」という感じで中学でも野球を続けることにしたんです。あのとき、コーチの方が止めてくれていなかったら、今頃はどこかの池でバス釣りでもしていたと思います。

■中学で育まれた「キツいことを楽む」メンタリティ
東海中央ボーイズの練習は強豪だけあって厳しかったです。でも辞めようとは思わず、ちょっとずつ「キツいことを楽しもう」と考えるようになりました。キツいことをキツいと思ってやると心の余裕がないですけど、キツいことを楽しいと思ってやった方が楽だなと気づいたんです。
自分はエースだったので、キツいから膝に手をやったりとか、そういった弱さを仲間に見せたくなかったのもありますし、「キツいことも楽しもう」と思えば勝手に表情も明るくなるんですよね。

中学時代はウエイトなどは全くやっていませんでした。その分、ランニングをたくさんやったのですが、そのお陰なのかボールが走るようになりました。でもコントロールは相変わらずの課題でした。中学の練習も基本は土日だけでしたが、室内練習場もあったので平日はそこで練習をしました。

当時は、その日その日は全力でやりきったつもりだったのですが、今振り返ってみると「もっとできたんじゃないか?」という後悔はあります。もっとやっていたらどうなっていたかな?もっと結果を残せたんじゃないか?という思いはあります。

■大谷選手のように、子どもに夢を与えられる存在になりたい
享栄を進路に選んだ一番の理由は大藤(敏行)先生と一緒に日本一になりたいと思ったからです。
享栄で野球をするにあたって「ドラフト指名されるピッチャーになること」を目標にしていました。その道を作っていただいたので、享栄を選んで良かったなと本当に感謝をしています。

高校で野球が嫌いになったことは一日もないです。練習は厳しかったですけど、自分の目標がどんどん近づいている手応えがあったので、野球をやってきて高校野球が一番楽しかったですし、自分は目立ちたがり屋なので、メディアなどで紹介されるとモチベーションも上がって、一層頑張ろうという気持ちにもなりました。

少年野球人口が減っている時代ですけど、野球はやってみないと楽しさがわらかないスポーツだと思います。自分も大きな舞台に立って、大谷翔平選手のように子どもに夢を与えられる存在になれたらなと思います。
まずはしっかり体を作って、2年目、3年目には二ヶ勝利をあげられるピッチャーになって、タイトルを獲れるピッチャーになりたいです。これは昔ダルビッシュ有投手が言っていた言葉なんですけど「日本にはもう敵がいないからメジャーに行く」と自分も言えるくらいになって、メジャーに行ってサイヤング賞を獲りたいです。(取材・写真:永松欣也)

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