呂布カルマの意外な部活歴「なぜ水泳部か思い出せないけど、もくろみは成功」

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2023年11月09日 17:41  週プレNEWS

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『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ


ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では「学生時代の部活」について語った。

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★今週のひと言「『行け!稲中卓球部』の世界観。中学・高校時代の部活遍歴」

部活とクラブ活動って同じ? クラブって漢字で書くと倶楽部だからやっぱ部活の範疇(はんちゅう)? 俺の本業であるクラブミュージックのクラブも漢字にすると倶楽部になるのか?? てか倶楽部をクラブと読むか? グラブじゃね......? 

今この文字を打ってる携帯で検索したら一発で答えが出るんだろうけど、そんなやぼなことはしない。それぞれ自分で調べてみてよ。

ということで、今回は学生時代の部活の話。

中学時代は水泳部だった。今考えると小学生のときから漫画家を志していた俺がなぜ美術部ではなく水泳部だったのか。

その理由が思い出せないんだけど、そもそも美術部がなかったんだっけな? とにかく水泳部だった。しかも入学当初は水泳部もなくて、仲のいい友達と部員を集め、顧問をやってくれそうな先生を口説いて発足させたんだよな。何が俺らにそこまでさせたのか......たぶん遊びの延長だろうな。別に大会を目指すでもなく、なんなら一緒に水泳部をつくった同級生には泳げないヤツまでいたぐらいだ。

当時はやっていた『行け!稲中卓球部』みたいなノリで、仲いいヤツらで楽しくやる場所が欲しかっただけなんだろうな。そのもくろみは成功して、水泳部の思い出は楽しかったな〜以上でも以下でもない。部室に広末涼子のポスターを貼ってたのも時代だな。ついでに当時、自宅の俺の部屋に、ブリトニー・スピアーズのポスター貼っていたのもこれまた時代だな。特別ファンということもなかったけど、どっしりとした腰つきが最高だった。

そんで水泳部で一緒にやってた友達数人とそのまま同じ高校に進んで、高校でもそんな感じで緩く水泳やろうと思っていたら、水泳部は俺らが入学する前年に問題を起こして廃部になっていた。

ラグビー部の生徒が水泳部のプールを使ってジュースを賭けて潜水勝負かなんかしてて、その挙句死人が出ちゃって、ラグビー部ととばっちりで水泳部も廃部とか、確かそんな話だった。

中学と同じノリで部員集めしたものの、結局、顧問を見つけられなくて諦めるしかなかった。というか、そもそもそんなに水泳に情熱を持っていたわけでもなく、俺は本来の自分の目標に立ち返って美術部に入部した。

高校にはアニメ漫画研究部もあったけど、そこを選ばなかった理由は......どうしたってアニメ文化、アニメオタクたちへの悪口になるからやめとこう。美術部も入部したときに上級生がいなかった気がするので、今考えると新設の部だったのかもしれない。結果的に中学時代と同じく仲間だけの緩い部活となった。

一緒に入部した友達は別に絵に興味がなかったし、俺も漫画家になるために画力の向上を願ってはいたものの、基礎的なデッサンって、石膏(せっこう)の箱や球とかを描かされるので楽しくなく、ひたすら筋肉を描きたかった俺は、顧問の先生の指示を無視して描きたい絵を描いていただけだった。

授業中も含め、ペンを握ってる間は勉強そっちのけで漫画を描き続けていた俺の画力は同級生たちとは比較にならないレベルで、美術部の部長を務めるようになっていた。

そして高3になって地元の芸大を受験。それまでろくにデッサンもしてこなかったため、顧問の先生からは「絵を描く人間は1年ぐらい浪人して、どっぷり取り組む時間があってもいいぞ」なんて、まるで受験に失敗するかのような助言をいただいたりしながらも、無事に現役で合格して名古屋芸大に進学するのだった。

撮影/田中智久

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