三浦知良や中田英寿らスター選手が活躍した日本の国際親善試合をプレイバック!

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2023年11月12日 08:11  TVerプラス

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11月11日に放送されたサッカー番組『FOOT×BRAIN』(テレビ東京系、毎週土曜24:25〜)は、初代Jリーグチェアマンで現在はJFA相談役を務める川淵三郎をゲストに迎え、国際親善試合の歴史を振り返った。

日本における国際親善試合のはじまりは1978年。当時、サッカー協会の専務理事を務めていた長沼健が、たまたま協会の近所にあったキリン本社を訪ねて、スポンサーをお願いしたのが親善試合であるキリンカップの始まりとなった。ジャパンカップとして始まったキリンカップの第1回大会は、二宮寛監督率いる日本代表と、学生のみで構成された日本選抜が出場し、日本代表は初戦でイングランドのコヴェントリー・シティと対戦。海外の強豪チームと戦う機会がほとんどなかった日本は、この大会で世界との差を思い知ることとなる。

しかし、選手のレベルアップやプロ意識の芽生えなど、次第に親善試合の良い影響が出はじめ、80年代に入ってからはキリンカップの価値も上昇していく。86年と88年大会には後の日本サッカーに大きな影響を与える2人の選手がブラジルから参戦。1人はパルメイラスのメンバーとして参戦した当時19歳の三浦知良と、もう1人はフラメンゴのメンバーとして来日したジーコだった。

当時、86年に日本代表としてパルメイラスと対戦した都並敏史は「カズはとにかくもう速さが違うんですよ。跨ぐ速さがちょっと尋常ではないので、当時の我々のアマチュアチックなフィジカルでは到底太刀打ちできないキレがありましたね」と述懐。ジーコについても、「88年のフラメンゴっていうのがもう素晴らしいチームで、全員が中盤の選手みたいにうまいんですよ。もう太刀打ちできないぐらい。ジーコはその中で一番熱い人っていう感じですね」と所感を語った。

その後、日本代表は91年大会でビスマルクがいたヴァスコ・ダ・ガマや、ゲーリー・リネカー擁するトッテナム・ホットスパーを破り、キリンカップ初優勝を飾る。当時、Jリーグチェアマンの就任が決まっていた川淵は「Jリーグができるので名古屋グランパスに選手として来てほしいと言われたリネカーは、日本のチームが強いと思ったから来たんですよ」と、キリンカップでの日本の勝利がリネカーのJリーグ入りに繋がったことを明かした。

92年に国際Aマッチに認定されたキリンカップは、ナショナルチーム同士が戦う大会へとグレードアップ。92年大会では、現在の日本代表監督を務める森保一が代表デビューを果たしている。また、97年大会では当時20歳の中田英寿の活躍もあり、クロアチアとトルコを撃破して、キリンカップ3連覇を達成。その年の11月には、フランスW杯のアジア最終予選で日本代表が「ジョホールバルの歓喜」を巻き起こした。

川淵は「世界の一流のチームと公式戦という形で戦えた日本代表チームが、その都度レベルアップしていったということでしょうね」と分析。都並も「出てた人間からしてみると、いろんなスタイルがごっちゃになって一気に学べるわけですよ。本当だったら、一つずつの国に行かなきゃいけないことを、全て学べるわけだから、ものすごい勢いで伸びていったと思いますね」と、親善試合が日本の成長に大きく寄与したことを指摘した。

2000年代に入ると、キリンチャレンジカップと名前を変え、アンダー世代の強化試合や、なでしこジャパンの親善試合もスタート。2018年からはヨーロッパでも開催されるようになり、海外組の移動の負担を減らしながら、本場の空気の中で強化を図れるようにもなった。

カタールW杯以降、さらなる進化を遂げている森保ジャパンは、今年の9月に再び親善試合でドイツに勝利。アジア二次予選へ向けた最終調整の場となったキリンチャレンジカップ2023でのチュニジア戦には、MCの勝村政信も駆けつけ、現地での模様をレポートした。

スタジアムでは選手や監督のメッセージが刻まれた“勝利のハチマキ”がキリンによって配布されており、この日は古橋亨梧と伊東純也のゴールでチュニジアに快勝。勝村は「僕らサポーターは選手を応援するんだけど、ハチマキには選手たちの直筆の一言が添えてあって、サポーターを応援してくれているっていう。すごくいい関係ができている」と、選手とサポーターの相乗効果によって、日本のサッカーが盛り上がっていることを強調した。

そんな好調の森保ジャパンだが、カタールW杯のアジア最終予選の序盤では、波に乗ることができず、疑問の声も上がっていたという。川淵は当時の森保監督への批判について、「僕は何も権限ないんだけど“辞めさせた方がいい”とかいう声がものすごい届いたんですよ」と回顧し、森保監督に「遠慮しないで、どんどん自分の思う通りのメンバーで戦った方がいいよ。昔の名前は無理して出す必要はない」と声をかけたのだとか。川淵からのアドバイスに対し、森保監督は「いや、私はそういう気持ちは一切持ってません。私の心は冷徹です。そういうことについては全く心配しないでください」と返したそうで、川淵は「もう本当に信頼したね。すごいやっちゃなーって。自信を持っていた。腹が座ってんの」と高く評価した。

そして、川淵は親善試合のスポンサーになってくれたキリンに対し、「宣伝効果として本当に価値があるのかと疑問に思われたときもあったと思いますよ。でも、その辺はもう割り切って、企業として文化を日本に広めていく。そのためにサッカーは重要な要素であるということで、日本サッカー協会を応援していただいた。それが僕らにとっては本当にうれしかった」と感謝。勝村は「最初の出会いが近所だったっていう。でも本当に、その機会は神様が与えてくれたんじゃないかと思いますよね」と締めくくった。
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