『進撃の巨人』ヒストリアの子どもをめぐる謎……ファンが激論交わす「エレン父親説」とは

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2023年12月13日 07:01  リアルサウンド

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※本稿は『進撃の巨人』の結末に関する内容を含みます。ネタバレにご注意ください。


  ついにTVアニメシリーズが完結したことによって、あらためて大きな注目を集めている『進撃の巨人』。中盤から終盤にかけて壮大な伏線の数々が回収されていく様子は、まさに壮観の一言だった。だが、同作において完結後にも考察を呼んでいる要素がある。それは“始祖ユミル”ことユミル・フリッツの思惑だ。


(参考:【写真】「別冊少年マガジン」12月号発売の付録は『進撃の巨人』特製クリアファイル" )


  始祖ユミルは本編が始まる1800年以上前に、古代エルディア帝国の礎を築いた人物。謎の生命体、通称「大地の悪魔」と接触したことで、後世の「ユミルの民」に巨人化能力を与えることとなった。つまりは『進撃の巨人』におけるすべての出来事の起点となった存在と言っていいだろう。


  マーレ国で活動していたエルディア復権派の人々にとっては、巨人の力で大陸を発展させた女神という扱いだったが、始祖ユミル自身のエピソードは深い闇を感じさせるものとなっている。


  その一端が明かされたのが、単行本30巻で描かれた回想シーンだ。元々始祖ユミルは奴隷の身分で、ある時他人の財産である豚を逃した罪を着せられ、当時の王であるフリッツ王に追われることに。そこで偶然「大地の悪魔」と出会い、巨人化の力を入手したものの、自由の身とはなれず、命じられるままに巨人としてマーレと戦ったという。


  この回想の始祖ユミルは、フリッツ王に所有され、戦争に加担させられた挙句、死後も「座標」で巨人を作ることを義務づけられた哀れな被害者のように描かれていた。エレンから「お前は奴隷じゃない」「誰にも従わなくていい」と言われ、涙を流すシーンもあり、フリッツ王からの解放を望んでいたような描き方だ。


  しかしその後、解釈がひっくり返るような真相が次々明かされていく。たとえば単行本34巻では、「他人の豚を逃した」というのは冤罪ではなく、実際に彼女が犯した罪だったことが判明している。


  さらに最終巻では、始祖ユミルがフリッツ王に愛情を抱いていたことが判明。しかも彼女はフリッツ王の略奪によって故郷や親を奪われ、舌を抜かれた過去があるそうなので、きわめて複雑な関係だと言える。


  ともあれ、おそらく始祖ユミルはたんに自由を奪われた被害者ではなく、自身の意志でフリッツ王に協力した共犯者だった。では彼女はなぜそうした行動をとったのだろうか。そしてエレンやミカサに対して、何を求めていたのだろうか。


ミカサが始祖ユミルに与えた影響とは


  そこで謎を解く鍵となってくるのが、「自由」というキーワードだ。最終巻でエレンは始祖ユミルがフリッツ王を愛していたことを語ると共に、「自由を求めて苦しんでいた」ことを指摘している。


  愛情は必ずしも幸せな関係に結びつくものではなく、時として人を縛ることがある。エレンの見立てに従えば、始祖ユミルはフリッツ王への愛情によって、自ら自由を失っており、そのことを彼女自身も自覚していたのだろう。


 「座標」でエレンから自由になるように言われ、涙を流したのは、愛情という鎖に縛られた状態から解放されたいというアンビバレントな精神状態だったことを示していたように思われる。さらにいえば、始祖ユミルが他人の豚を逃した描写も、その胸のうちに“自由を求める気質”があったことを示唆していたのかもしれない。


  始祖ユミルが自分を解放してくれる相手としてミカサを選んだのも、こうした背景から理解できる。というのもミカサは、エレンに対して従属に近いほどの深い愛情を抱いている人物だったからだ。始祖ユミルは自分とフリッツ王の関係を、ミカサとエレンの関係に見立てていた可能性が高い。


   ミカサは最終的に、何よりも大切な存在であるはずのエレンを自ら手にかけることを決断する。運命に囚われて不自由になったエレンを解放するため、命を奪うことで自由を与えるという極限の選択だ。その光景を目撃した始祖ユミルは、フリッツ王への愛から解放され、巨人化の力がこの世から消滅する……。ミカサが自由な人間としてエレンと向き合う姿を見せたことで、始祖ユミルも自由へと踏み出す勇気を得たのではないだろうか。


  すべての決着がついた後のシーンでは、槍に貫かれたフリッツ王をバックに、始祖ユミルが娘たちと抱き合うイメージが描かれるコマがある。現実には始祖ユミルは自分が槍に貫かれることで、身を挺してフリッツ王を守ったはずだった。ここは解釈が分かれる部分ではあるが、ミカサの決断に影響を受けた始祖ユミルが、“愛に囚われずに生きた自分”を幻視したのかもしれない。


  ミカサが示したように、愛ゆえに相手の命令に背くという決断はあり得る。フリッツ王の身代わりにならず、フリッツ王と自分のあいだに産まれた子どものために生きるというのが、始祖ユミルがあらためて見出した自由な生き方だったとも解釈できるだろう。


  人類の自由という壮大なテーマを扱った『進撃の巨人』。物語の中心人物となった2人の女性の存在は。その裏に愛というもう1つのテーマがあったことを示している。


(文=キットゥン希希)


このニュースに関するつぶやき

  • 記事の中身が前回のミカサで、タイトル詐欺やん( ゚д゚)、ケッ
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