『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』大ヒットで忘れてはいけない、水木しげるが認めた伝説のコレクター、伊藤徹とは

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2024年01月11日 07:01  リアルサウンド

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■水木しげるも認めた日本一のファンがいた


  2023年に公開された映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』がヒットするなど、再び水木しげるブームが起こっている。そんな水木を語る上で欠かせない、伝説のコレクターがいる。古書店「籠目舎」の店主だった伊藤徹である。子どもの頃、『悪魔くん』を読んで水木作品の虜になった伊藤は、ファンレターを出し続け、水木との交流を深めた。やがて水木にも認められた日本一の水木ファンとして知られた。


【写真】映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を大解剖した内容濃すぎるムックの内容


  伊藤はファンであるだけでは終わらず、水木の作品目録を作成したほか、絶版古書の復刻版の出版にも関与するなど、ファンの枠を超えた活動を展開。博覧強記の水木研究家として名を馳せ、ファンの間では水木しげるよりも水木しげるに詳しいと言われるほど評価されていた人物であった。


  伊藤は、水木も所有しておらず、幻の本と言われていた『恐怖の遊星魔人』(1958年、暁星書房/刊。水木の別ペンネーム“東真一郎”の名で出版された)を探し出し、水木にプレゼントしたという逸話もある。公私ともに水木と親しかったが、いろいろと晩年は“やらかし”てしまい、ついに水木から出禁を食らったといわれる。それでも、伊藤が後世の水木研究に与えた影響は計り知れないものがあり、業績は揺らがないといえるだろう。


■伊藤は商売人としても才能があった


  神戸で古本店「ちんき堂」を営む戸川昌士は、伊藤と交流があった人物である。戸戸川は自著の『あなもん』の中で、水木が亡くなったときに新聞に載った追悼文がどれも定型的で面白くなかったと著し、「伊藤徹さんなら、どんな追悼文を書いただろうか」と懐かしんでいる。そう、伊藤は古書店の在庫整理中に亡くなってしまったのである。


 『あなもん』には、他にも伊藤のエピソードが多数収録されているので、いくつか紹介しよう。鳥取県境港市に「水木しげるロード」が完成したとき、記念品として鬼太郎とねずみ男のブロンズ像が無料配布された。伊藤はそれを聞いて境港まで出かけ、関係者の家を片っ端から周ってはブロンズ像を買い漁り、自分の店で販売したそうである。


  この話には後日談がある。『あなもん』によれば、日本一の水木ファンの伊藤が買いに来たということで、境港の関係者によってブロンズ像が新たに制作され、販売されたそうである。伊藤は大いに悔しがったが、それすらもまた買い集めて店で売ったという。転んでもただでは起きない人物なのであった。なお、本には戸川が伊藤から買ったという、再販売のブロンズ像の写真が掲載されている。


  このように、伊藤は根っからの商売気質でもあったようだ。水木の自宅に通っては、一度に妖怪の色紙を数十枚描いてもらってきた。そうした貰った色紙はというと、おそらく自分の店で売っていたのだろうし、戸川にも「戸川さん、あげるわ。店で売ったらええ」と言い、目玉おやじと一反もめんの色紙を渡していたほどである。


  こうした行為は今なら転売と言われ、Xなどで非難の対象になるかもしれない。しかし、当時は、作者もファンも、今ほど転売に対して厳しい目はなかったのである。何より、伊藤の場合は他を圧倒する知識量があり、他のファンからもリスペクトされる存在であったのだから、特に問題視されることはなかったのだろう。


■漫画文化を支えた、作者より作者に詳しいファン


日本の漫画文化は、こうした熱狂的なオタクたちによって下支えされていた。彼らは好きが高じすぎて、作品を研究しまくった。結果、作者よりも作者について詳しいファンが多数生まれることになったのである。具体的には、熱烈な手塚治虫ファンで手塚プロダクションに入り資料室長を務めた森晴路や、「高橋留美子ファンクラブ」を結成し、高橋留美子公認の『高橋留美子選集』を出した水谷誠(中井大輔)などはその筆頭格であろう。


  残念なことに、伊藤も、森も、水谷も既に亡くなっている。近年、オタクの多様化が進み、好きであることを公言できる風潮が生まれたのは非常に良いことだろう。ただ、伊藤徹のように作品や作者を深く研究するいにしえのタイプのオタクが希少になってしまったのは、少々残念である。


(文=山内貴範)


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