「不便を歓迎する」トイレはバケツ型、病気は自力で治し食肉は野生動物、自給自足7人家族のリアル

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2024年01月27日 16:10  週刊女性PRIME

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究極の自給自足生活で豊かに生きる―廣川進さん(49)&あゆみさん(42)※撮影/いとうしゅんすけ

 “旅系弾き語りの人”ジュンノスの軽快な曲『カタバミ』で始まるYouTube『廣川家』。

 スーさんとあゆみんこと、廣川進さんとあゆみさん夫妻に5人の子どもたちの、徳島の山深い集落での自給自足な暮らしエピソードを公開したものだ。

 どれも、なんてことない日常だが、私たちが思い描く田舎暮らしとはちょこっと「違う」。なぜならスーさんのモットーが「機械を極力使わない」「不便を歓迎する」だから。

全て自給自足の7人家族の生活

 畑や田んぼの作業は人力。台所にガスコンロやIHなどはなく、加熱調理はかまどで。火おこしは乾燥した松の葉。お風呂は庭に自作した露天の五右衛門風呂。トイレはおがくずを利用したバケツ型。テレビもニンテンドーもない。夏は窓を開け放し蚊帳の中で眠り、冬でも薄着。まるで昭和の初めにタイムスリップしたかのようなビジュアルなのだ。とはいえ、洗濯機はあるし、現代生活に必須のネット環境は完備。室内は片づけと掃除が行き届いており、台所は清潔でピカピカ。

 食卓には自家製納豆や漬物といった惣菜とともに、ガパオやキドニーパイなど多国籍な料理が並ぶ。麺も具もスープもすべて自家製の本格的なラーメン、ヤギ乳を使ったショートケーキやいちごタルトなどを作ることも度々。

 ときには失敗することもあるけれど、そんなときはガハハと笑っておしまい。毎日をのびやかに謳歌する廣川家の様子に、動画を見た多くの人がほっこり幸せな気持ちになれると人気を集めている。そんな一家の“これまで”を振り返ってみると─。

 スーさんは1974年、新潟県で生まれた。

「いつも居心地が悪くて、ここではないどこかに行きたかったなぁ」

 やんちゃな時代を経て自力で大検(現高卒認定)を取り、奨学金で専門学校に4年通ってはり師、3年通って柔道整復師の国家資格を取得。

 卒業後は海外を放浪し、大道芸の一種で火を操るファイアパフォーマンスと出合う。帰国後、当時日本最大級のファイアダンスチーム『火付盗賊』に初期のころから参加。そこに入団してきたのが7歳年下のあゆみんだ。

 あゆみんは徳島県で生まれ育ち、短大を卒業後、東京へ。介護施設で2年ほど働いた後、ファイアダンスチームに入団。退団後はソロとして、また女性4人のチームを組み活動。

「当時は住み込みのバイトをして生活費を稼ぎながら、日本中を旅する気ままな生活。これから先の人生も、メイクやおしゃれに励まなくていい暮らしを送りたいなぁと、漠然と思ってた」。

 好きなことに打ち込んで、自由を享受していた20代のあゆみん。

「久しぶりにボーイフレンドができたと思ったら、付き合って2か月目に赤ちゃんに恵まれて、突然、結婚することになっちまったのさ」

子どもたちに安全な環境と食べ物を

 2009年、スーさんとあゆみんは神奈川で家族になった。11月20日、第1子となる長男の和楽が誕生。

 その後、第2子の妊娠を機に、子どもたちに安全な環境と食べ物を与えたい、経済活動から外れたところで生きてみたいと、自給自足に憧れるようになる。'11年3月、現在の住まいに越してきた。

 移住して2か月後の5月に第2子の空太(次男)が誕生。その後、'13年に雨種(長女)、'16年に然花(3男)、'20年に珠葉(次女)が生まれ、家族は7人に。

「子どもが大きくなって、それぞれの人生を歩むころには、古い技術や生活の知恵はますます廃れ、なくなっていく。新しいもの、便利なものを追い求めるのは人間の本能的な欲求だけど、行きすぎたそれは、必ずしも幸せにつながるわけではないと思う。

 世の中と自然環境に適応した自分なりの人生の規範のようなものを、子どもたちには持ち続けていってほしいんよ」

 と、スーさんは語る。

市販のお菓子、学校給食などが禁止の理由

 子どもに「安全なもの」を食べさせたい。2人が自給自足の暮らしを選んだ大きな理由のひとつだ。

「食べることは、命を育てること。だから産地がわからなかったり、添加物や保存料などが入ったりしたものでなくて、自分たちが捕ったもの、育てたもの、作ったものを子どもたちに食べさせたいという、とても強いこだわりがある」

 とスーさん。野菜と米は自作し、調味料や発酵食品はほぼ手作り。肉は野生動物を捕獲して、魚は海や川で釣ったり捕ったり。

 暮らしのプライオリティが「子どもに安全なものを食べさせること」だから、1日の大半は食べるためのいろいろ、食材を栽培し捕獲し加工し調理するのに費やされている。それも機械に頼らず、ほぼ人力。時短とは無縁。

「安全」だとわかったお店の食材をネットで買うこともあるがそれは稀。毎日やることが多く忙しい。それを良しとしての暮らしだ。

「安全なもの」を食べさせるために禁止していることもある。市販のお菓子やインスタント食品、学校給食など。外食は禁止ではないけれど、信頼できるお店でたま〜に。

「まぁ、でもなぁ、子どもたちは給食のジャムを持ち帰ってくることもある。本人は隠してるつもりでもバレバレ(笑)。和楽は中学生になったからお小遣いをあげるようになったんやけど、市販品を買うてる。仕方ないよね。本当は嫌なんだけどさ」

 当初は、このような考え方にネガティブな反応をする人も現れた。「子どもを犠牲にして親が好き勝手するな。ちゃんと仕事をしてお金を稼げ」と言われたこともある。

 スーさんとあゆみんはプロのファイアダンスパフォーマーだが、活動は不定期。価値観の異なる人には「ちゃんとした仕事ではない」と思われたのだろう。

 食の方針以外にも噂にのぼる要因はあった。幼稚園や保育所に通わせないこと。冬でも薄着をさせていること。風邪をひいても病院に連れて行かないこと。子どもは自宅で出産、それも助産師さんなしの自力で、などなど。いわゆる「普通と違う」ところが目についたのだ。

「いろいろ言われても、僕たちの信念は変わらへんし……。むしろ立ち止まって考えさせてくれたり、自分を振り返るきっかけをくれてると思えばいいんよね。それよりも、今ここにいるのは、たくさんの出会いや環境に導かれたおかげだからさ」

 とスーさん。柔らかなイントネーションで穏やかに話すスーさんの言葉には、徳島の方言らしきものが交ざっているような……?

長男は集落にとって久しぶりの赤ちゃんだった

「エセっぽいでしょ。でも、そうやって地元に溶け込む努力(笑)」

 移住したとき、長男の和楽は集落にとって久しぶりの赤ちゃんだった。近隣の人たちから「子どもの声が聞こえるのはうれしい」と歓迎され、スーさんとあゆみんは地域の担い手として期待され、廣川家は順調になじんでいく。

 ようやく自分の居場所を見つけたスーさん。

「世間の仕事や常識に違和感を覚えてなじみきれず、いつしか世界を放浪するようになった。自分探しの長い旅をしていたなぁ。今思えば、自分なんかには出会えず、自分なくしの旅やったけど(笑)。運命とか人生の意義とかを知る必要はないんよね。ただその瞬間を穏やかに激しく慎ましく生きていれば、大きく踏み外すことはないと思う」

和楽が指を切断!? スーさんは……

 スーさんははり師と柔道整復師の国家資格を持つ、東洋医学のプロ。

「仕事としては稼働してないけど、家族の健康管理には役に立ってるかなぁ」

 和楽は小学2年生のころ、鉛筆削り用のナイフで、誤って右手の人さし指の第1関節を切ったことがある。それも骨が見えるほどぱっくりと深く。

 いつもは病院とは距離を置いている廣川家だが、このときばかりは違った。「ここまで傷が深いと感染症と運動障害の後遺症の危険性が」と考えたスーさんは、和楽を連れ、急ぎ近所の整形外科へ。そこでは対応できず、直ちに大きな病院に移動。

 待っている少しの時間も、スーさんは切れた指に手のひらを当てて祈り続けていた。

「らく(和楽)の身体の中の細胞に、指はつながる、指はつながるとお祈りをして、切れる前の状態をイメージした。たな添え、といわれる昔ながらの治療術なんやけど、だいたいのケガは、うちではこの祈りによる治療で対処してる」

 診察の結果、子ども特有のやわらかい骨と靭帯、神経が切れていることが判明し、急きょ、縫合手術を行うことに。悩んだのは、手術の際の麻酔の選択。局所麻酔か全身麻酔か。スーさんは悩んだ結果、

「局所麻酔だと靭帯や神経をつなぐ細かい処置を大急ぎでやらなくてはならず、らくの場合は時間をかけた丁寧な処置が必要ということで、全身麻酔に」

 病院自体が初体験だった和楽が、手術するまで、そして、術後もほとんど痛がらず、落ち着いていたのは、スーさんのたな添えのおかげ。

「なるべく病院に関わらないように生きてきたけど、こうした緊急時にきちんと判断できるように、日頃から知識を身につけておく必要があるなぁって。私だけだったら、オロオロしていたと思う」

 とあゆみんは振り返る。術後の治療は、3日分の抗生剤をもらっただけにもかかわらず、驚異の早さで回復。和楽はスーさんと一緒に、毎日リハビリ。毎日たな添え。現在中学2年生の和楽の指はどこも不具合はなく、完璧に治っている。

「祈ることは、鍼よりも人間の自然治癒力を引き出すのかもしれないね」。

 その際、周囲の人たちの、祈りの力を信じる心も重要。

「時短が好きな人が多いでしょう。でも僕は、今すぐにどうにかしたいのではなく、根本を見つめ、将来的な健康を手に入れることを考えたい。そのために何を受け入れ、何を切り捨てるか、その判断はとても大切だと思う」

 スーさんがお茶の間から小瓶を持ってきた。ふたを開けるとちょっと生臭い。

「自家製万能油。生け捕りにしたムカデを菜種油に漬けてる」とニヤリ。スズメバチやムカデに刺されたときすぐに塗ると、痛み、かゆみ、腫れを軽減する、地元の人に教えてもらった昔ながらの万能油だ。「今では作る人はほとんどいなくて、ご近所さんがうちにもらいにくる(笑)」。

命と向き合った結果、選んだ狩猟生活

 廣川家が食べているお肉は、すべてジビエ。狩猟免許を持っているスーさんが、わなを仕掛け、鹿や猪などの野生動物を捕獲。裏庭で解体、精肉にして、さまざまなレシピでおいしくいただいている。

 心臓(ハツ)は焼いてレモン塩で食べたり、みそ漬けにしたり。肺や腎臓はホルモン煮やパイに。骨はだしやスープストックに。あばら骨についた立派なバラ肉はベーコンに。最高においしくて大のごちそうである肝臓(レバー)と横隔膜(ハラミ)は煮たり炒め物にしたり。

 今でこそ肉も魚も食べるが、神奈川にいたときは夫婦そろってベジタリアンだった。しかし、狩猟文化が根づくこの集落で、野生動物の命と向き合ううちに考えが変化。移住して2年目に、スーさんは、わな猟の狩猟免許を取得した。

「そろそろ食べる肉がなくなってきたなぁと思ったころ、どうぞおいしい私を食べてくださいと言わんばかりに、猪がわなに掛かってくれる。だから、必要以上に捕ることは決してしない」

 とあゆみん。ストックがたまったり、大きなものが捕れたりしたら、友達におすそ分けしたり、物々交換したり。

「山の恵みはお金に換えてはいけないと考えているから。本当に私たちの生きる糧になってくれている」

 動物の命をいただくことに2人とも葛藤がないわけではない。スーさんは言う。

「初めて鶏を絞めたとき、ものすごい抵抗があった。それはとてもはっきりした命だったから」

 狩猟を始めたころには、つらくて泣いたことも。

「わなに掛かった鹿は、おびえた目をしてこちらを見るので、自分がすごく動揺する。わな猟では止め刺しといわれる、剣ナタでとどめを刺す行為があって、最初のうちは厳しかった。今はなるべく楽に死なせるためにはどうすればいいかを一番に考えてる。それ以外の余計なことは意識せず、声も上げず淡々と止め刺しをしている」

 あゆみんも、

「私も、止め刺しのとき、かわいそう、ごめんね……と、ぼんやりとした弱い気持ちになるのは無責任、失礼だと思うようになった」

 なぜなら、猪や鹿のほうこそ「わなに掛かってヤバいな、大失敗したな」と悲しくて悔しい思いをしているに違いないから。

「それなのに、わなを仕掛けた私たちが中途半端な情けをかけることに、違和感を覚えるの。猪や鹿からは、おまえたち、おいしく食べてくれよ、しっかり生きろよ、ちゃんと山を守れよ、と言われている気がして仕方がない。何ができるかわからないけれど、必ず恩返しをするからね、といつも心の中で叫んでいるよ」

 スーさんが仕掛けたわなで、猪や鹿の運命が変わる。そうして受け取った命は感謝して手を合わせておいしく食べ、自分たちの中に生かし、つないでいくしかないのだという。あゆみんは続ける。

「命って、ほかの誰かの責任じゃないし、私のものでもない。狩猟生活でたくさんの命を奪って生きて初めて、私も大きな輪の中にいることを実感したの。汚した水は、やがて自分の血になって返ってくる。土も、空気も。目先の情報や流行に夢中になって、すっかり忘れていた根本というか当たり前を思い出してみれば、きっと何かが変わってくると思うな。本当に必要なものは、ここにちゃんとそろっているよ」

 命と向き合うようになり、命を食べるようになって、植物にも命が宿っていると気づいたと、あゆみんは話す。

「動物の命ほどはっきりと見たり感じたりはできないけれど、野菜にだって確かに命が宿っている。だから、野菜を食べることは野菜の命を奪うこと。山の猪と畑の大根との間に、命の区別はないでしょ」

 ベジタリアンだったとき、そんなふうに考えたことはなかった。

「動物でも野菜でも、私たちの身体は、数えきれない命のおかげで生きていけている。たくさんの命との有機的なつながりや、すべての自然の恵みに感謝することを忘れずに生きていきたいと思ってるよ」

「YouTubeをやりなさい」のお告げが!?

 2020年4月、YouTube『廣川家』がスタートした。撮影と編集はスーさん。きっかけは「夢のお告げ」。

「夜中に眠れなくなって、急にYouTubeをやりなさいって聞こえた。そこからYouTubeを始めるぞ、YouTubeを始めるにはどうしたらいい?と思考がどんどん進んで。朝になっても頭を離れなかった。1週間くらい悩んで、やったほうがいいと思ったんよ」

 同時に考えた。誰が編集する?誰が撮影する?逡巡した結果、スーさんは自分がやると腹をくくる。

 目標は収益化。軌道に乗せるため、まずは50本の動画を公開することにした。毎日深夜2時に寝て早朝4時に起きる、そんな生活を4か月続けた。

 努力のかいあって、YouTubeの収益化が実現。スーさんの目標額には届かなかったけれど、廣川家初めての現金の定期収入。

「めっちゃ大変やった。もう思い出したくもないわ。視聴数は思うように伸びんかったし。ハイエース(車)も買えんかった。甘かったよね」

 とスーさん。あゆみんは、

「私は十分だと思ってるよ。かまどさんも新品を買えたし、リフォームもプロに頼めた。すっごい贅沢。夢のようだよ」

 YouTubeの収益で台所を改築してかまどを設置できた。それまで台所に加熱調理器はなく、屋外の薪ストーブで煮炊きをしていた。調理器具であるかまどの火力は強くて安定しており、料理がはかどるようになった。YouTubeをしていなかったら台所の改築はこれまでどおりのセルフビルドだったのだ。

「今回は必要なところを大工さんや左官屋さんに依頼でき、現金で支払えた」

 と、スーさん。かまどや煙突などの資材も、これまではいい中古や廃品が出てくるのを根気強く待ち、足りない部品があればスーさんが自作。けれど今回は新品を購入できた。

 現金を得たとはいえ、何でも買っているわけではない。お金を使うのは未来への投資につながるものに限っている。

 あえて経済活動から離れ、不便な生活を選んだスーさんとあゆみん。だから、待つことや、ゼロから自分で作り出すことで得られる情緒を知っている。買うことでその情緒を感じにくくなったのもわかっているのだ。

「便利なものには、副作用があるから気をつけないとね。でも、それ以上に、選択肢と時間軸が増えたのはよかったと思ってるよ」

 というのは、人に委ねてもいいな、職人さんに投資してもいいなと思えるようになったから。買うことで得られた時間軸を子どもとの時間や社会奉仕に使えるようになったから。

子どもから見た『廣川家』のありようとは

 2023年12月、廣川家の暮らしをまとめた書籍『「どうぶつ大家族」廣川家の好日〜自給自足に生きていく〜』(主婦と生活社)が発売された。あとがきで、スーさんは次のように書いている。

《我武者羅親父に付き合わされた家族よごめん。自分は忘れっぽい質で、家族が語る“スーさん以前はこんなに尖ってたよ武勇伝”を聞かされると、自分ごとながらそりゃ酷いね〜と思ったり。もっと上手いやり方があったのではと自省するがそうするしかなかったんだなとも思う》

 ほほう! ならば、ということで、この記事を書くにあたり、「我武者羅親父」に最も厳しく躾けられた長男の和楽に「親が選んだ暮らし」について聞いてみた。

 らくさん、こんにちは。スーさんとあゆみんの子どもとして生まれて、どんなふうに思っている?

「なんか、今は、違うけど、昔はすっごいイヤだった。小学校のころは、この暮らしから早く抜け出したかった。今は大好き!」

 嫌だった理由は、廣川家が「普通とは違う」から。和楽がそれに気づいたのは、小学校に入学したとき。

「学校という制度を知って、自分たちの暮らしが普通とは違うんかなとちょっとわかった」のだそう。小さいころからテレビ局が取材に来ていたから「なんとなく違うのはわかっとったっちゃ、わかっとったけど」とも。

 初めての集団生活。みんなは幼稚園や保育所からの友達と仲良くしているが、和楽は知らない人だらけ。それでも持ち前のたくましさで、3〜4日後にはクラスに打ち解けることができた。

「でもやっぱり違うってことがようけあった。みんな給食を食べるんやなあとか、みんなゲーム持っとるんやなあとか。いいなあ、でもうちは買うてくれんやろなあとか」

 小学校では1度、いじめられたこともある。

「上級生から“なんだオマエ!”的な感じでいじめを受けた。でも同級生が味方になってくれた。同級生とも暮らしのことでケンカしたことはある。でもいじめは受けとらんよ」

 テレビに出たことが原因でいじめられたことは?

「それはない。みんなから“テレビ見たよ〜”とか“YouTube見たよ〜”とか言われるのはうれしい。それほど話さん人とかでも“見たよ〜”と言って仲良くなったりしたから」

 中学に入るとき、また上級生にいじめられるかな、とは思った?

「ううん、不安はなかった。もう違うことに慣れとったから」

「反抗期」を乗り越え「頼れる人」に

 けれど、「違うことに慣れとった」一方で、このころの和楽は「この家から早く抜け出したい」とひとり考えていた。

 その気持ちが態度に表れていたのだろう。あゆみんは当時、心を痛めていた。

 実は昨年6月、あゆみんは和楽の変化について話してくれていた。年齢的なものなのか感情の抑制が利かなくなり、弟や妹に攻撃的に接し、あゆみんにも反抗。そのうちスーさんにまで反発するようになった。

 和楽の変化に気づいたのは5年生ごろだが、態度がもっとも激しくなったのが6年生になってから。

「私との関係がものすごく悪化したの。何を頼んでも“イヤだ!”って言う。私もこんな性格だからすごい反発して。顔を見るだけでケンカしてた」

 四六時中機嫌が悪いのではない。機嫌がいいときは、とても優しいいつもの和楽。そこであゆみんは考えた。

「これはもしかしたら、この年頃特有の、時間の流れの上での仕方のないことかもしれない。なら、私が待てばいい」

 そして、和楽を愛することに徹しようと決め、行動する。

「ある日、いつものように険悪になったんだけど、思い切って“らくさん大好きっ!”って言ったら“おれも〜!”って。それで氷解した気がして。私、嫌われてなかった。年齢のせいなんだって、ほっとした」

 その後もあゆみんは口に出して「大好き」「かわいい」と言い続けた。すると─。なんと和楽は、機嫌が悪くても愛情を表現してくれるようになったのだ!

「洗濯、こんなに出してきやがって!」とあゆみんが言っても、和楽は「ごめん。ありがと。お願い。チュッチュ」と返してくる。あゆみんはすっかりうれしくなって「んもお〜」。

「完全に私、操られているよね(笑)」

 和楽との関係が悪かったときは「とても苦しかった」とあゆみんは振り返る。期間は小学校を卒業するまで続き、「反抗期だと思っていても苦しかった。長かった」。だから和楽といちゃいちゃできるようになったのが「すごく大きかった」と言う。

「反抗期」を乗り越えた今、あゆみんは「らくさんの存在が大きく変わった」と話す。「面倒を見なくちゃいけない人から、頼っていい人になった。私より力持ちになって相談もできる」

 話を和楽に戻そう。この暮らしが好きになったのはいつごろ?

「中1の3月」

 ええっ、そんな最近!?

「なんかいつのまにか気持ちが変わっとったのもあるけど、『あゆみんとスー』(廣川家最初の書籍。主婦と生活社刊)を読んだのが大きい。小3ごろに1回読んでいて、そんときはなんとも思わんかった。でも、昨年読んだときは、ああスーさんこういう感じで思っとるんか、とか、自分たちのことをこういうふうに考えているんか、とかがわかった。それで大好きになった」

 ああ、そうだ、思い出した。『あゆみんとスー』を企画したとき、「自分たちがどういう考えでこの暮らしを選んだのかを、将来大人になった子どもたちに読んでもらえたらいいな」とスーさんとあゆみんが話していたのを。

 らくさんに最後の質問です。

 高校はどうする? スーさんとあゆみんは、遠くの学校で寮生活するのがいいと言ってるよ。家に縛られず、自分のことだけに時間を使ってほしいのだって。

「うん、知っとる。今、考えとるとこ」

取材・文/吉川亜香子



よしかわ・あかね 書籍編集者。哲学のある人の生き方をひもとく企画に携わることが多い。10代のころから熱烈な阪神タイガースファンで、昨年は応援が忙しく、ほとんど仕事をしなかった。お宝はランディ・バースに書いてもらったサイン色紙。

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  • なんか美談みたいに語ってるけど、親のエゴで子供の人生をねじ曲げてるよね、これ。「やんちゃしてた時期」に迷惑をかけた人への罪の生産はお済みで?
    • イイネ!4
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