「この映画のスケールの大きさを劇場で見てほしい」 高良健吾『罪と悪』【インタビュー】

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2024年02月01日 11:40  エンタメOVO

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高良健吾 (C)エンタメOVO

 14歳の少年の遺体が橋の下で発見された。同級生の春・晃・朔は、犯人と確信した男の家に押しかけ、一人が男を殺してしまう。家には火が放たれ、事件は幕を閉じたはずだった。時が過ぎ、刑事になった晃(大東駿介)は父の死をきっかけに町に戻り、朔(石田卓也)と再会するが、20年前と同じように、少年の死体が橋の下で見つかる。晃は捜査の過程で春(高良健吾)とも再会するが…。ノワールミステリー『罪と悪』が、2月2日から全国公開される。長編デビューとなる齊藤勇起監督のオリジナル脚本作品で、主人公の春を演じた高良健吾に話を聞いた。




−齊藤監督とは助監督時代からの知り合いということですが、監督から最初に長編映画を作るという話を聞いた時のことと、脚本を読んだ時の感想を聞かせてください。

 最初に話を聞いたのは、台本ができる1、2年前で、まだ齊藤さんの頭の中にあった時。それがだんだんと台本になっていきました。その期間があったからこそ、やっと台本を手にした時はうれしかったです。読んでみると、描かれていない部分で、考えることがとても多い物語だと思いました。描かれていないからこそ考えなければならなくて、そこが難しいなと。でも、考えたことに説得力がないと、一つ一つのせりふの言い方も変わってくる。それがあまり変わると、描かれていないからこそ分からなくなるところも出てきてしまうので、埋めていく作業というか、自分の中で理解していく作業をしました。

−演じた春というキャラクターをどのように解釈しましたか。

 春にとっては、事件が起きてから何かが始まって何かが終わったのだと思いました。だから事件前の自分を知ってくれている人に対しては強い思いがある。そう考えると演じられると思いました。僕は、オラつきながらこの役を演じたくはなかったです。オラつくことは簡単だし、もっとやれるのですが、そういう選択肢はなかった。春をはじめ、この映画の登場人物は、あるはずのものをなかったことにする人だらけ。だから、春がいつも最後に選ぶのは、消す、またはなかったことにすること。そこが怖いなと。ハルは優しさがゆがんでいる感じがします。

−本作は、ミステリーの要素もあって、ある意味、問題作というか、タブーを扱っているところもありますが、それに関して、脚本を読んだり、演じながらどう感じましたか。

 確かに、サスペンスやミステリーでもあるのだけど、犯人探しの映画ではありません。タブーはたくさんあるけど、それをこの映画の登場人物たちみたいに、なかったことにすることは世の中の常じゃないですか。でも、それは本当に寂しいこと。だから齊藤監督は、人が目を背けたくなるものやタブーを、なかったことにしない人だと思います。今はうやむやにしたり、なかったことにすることだらけだけど、そうではない監督が描かれた脚本は、小さい頃に大人から負わされた傷は残っているのに、それをなかったことにすることで、どれだけ人生が崩れてしまうのかを描いているので、そういう意味では、この作品の意義というか、存在は必要だと思います。共感できたり、理解できるものにみんなが親近感を持つというのは分かるのですが、そうではないものもたくさんあって、そういう自分の肌に合わなかったものが、自分の中に何かをもたらすきっかけをくれることもあると思うので、僕はこの映画が存在してくれることをうれしく思います。

−タイトルの「罪と悪」ついてどう思いますか。

 この映画の登場人物は、みんな見て見ぬふりをしたり、くさいものにはふたをする人たちばかり。僕が思う「罪と悪」というのはそこなんです。それぞれの立場ごとに、正義だったり、悪はもちろんあるのですが、なかったことにする大人たちが多いとあのようになりますよね。それが罪であり、悪にもなっていく。僕は、悪人はあまりいないと思っています。ただ、罪人はめちゃくちゃいて、罪人には普通に生きていたら誰でもなる可能性がある。みんな悪人まではいかないにしてもある意味罪人なんです。だから、僕はこの映画に出てくる人たちはそういう罪を犯した人たちで、それが悪にもなってしまったのだと思います。それぞれが生きてきた環境のせいでゆがんでしまう。だから、春は罪を犯し続けるのですが、ある意味、人からも罪を負わされる。この人の決着のつけ方が、なかったことにする以上の“消す”ということになってしまうのは、やっぱりゆがみだと思う。

−春のゆがみという点では、彼にはいろいろな点で二面性がありますが、演じる上で、何か気を付けたところはありますか。

 春の二面性というよりも、あれが普通というか、春のようなグレーな人たちって、常にオラついているわけではないし、常に怖いわけでもなくて、家庭ではすごく柔らかかったり、子どもには絶対にそういうところは見せなかったりします。ただ、ここだけはという時に出すんですね。僕はそれがしたかったので、常にピリピリしている春ではありたくないと思いました。事務所に刑事になった晃が来て、尋問のようなことをされたところと、暴力団の清水(村上淳さん)たちが来るところだけは出していいのかなと思っていました。違う出し方としては、仲間に闇の仕事をさせている時に、春はお店で笑いながらレジを打っているところ。逆にそっちの方が怖いし、広がると思いました。

−この映画は、監督との縁もあったと思いますが、高良さん自身にとっては、どういう位置付けのものになりますか。

 まず、助監督の時代から知っている方が、こうして映画を撮れたということが奇跡だと思います。齊藤さんの頭の中にあったアイデアが脚本になり、映画になり、ここまでたどり着いたということに本当に感動します。そして、10代の頃から一緒にオーディションを受けていた大東くんと石田くんと一緒にやれたことも併せて、僕にとってこの映画は奇跡だらけの作品です。僕自身も、久しぶりにとんがった、ソリッドなものを、今の自分でやれたという意味ですごく重要な作品です。僕が好きな映画の条件は、スケールがでかいことが重要なのです。この映画はスケールの大きなものになるという予感がしたので、完成して感動しています。それは、「あのシーンをそう描くのか」というスケールの大きさだったり、セオリー通りではないことであったり、齊藤さんからしか生まれないものだったり、そういうものが積み重なったものが、この映画のスケールの大きさだと思います。

−最後に、これから映画を見る観客に向けて、アピールも含めて一言お願いします。

 この映画のスケールの大きさを劇場でご覧いただきたいです。「罪と悪」というタイトルだからこそ、何が罪で何が悪なのかを考えて見ていただけるとありがたいです。僕は悪人というのはいないと思っていますが、この映画に出てくる人たちは罪人だらけです。それぞれの立場で犯した罪が、悪に近いものになっていると思います。この映画の大人たちは、あったことをなかったことにする人たちばかりですが、なかったことにされた人たちや出来事が、時間をかけてどう変化していくのか。そのさまを、このスケールの大きな映画でぜひご覧ください。

(取材・文・写真/田中雄二)


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