【イップスの深層】解雇寸前の岩本勉をエースに改造した2人のコーチ

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2024年02月07日 16:11  webスポルティーバ

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連載第4回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・岩本勉(4)

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(前回の記事はこちら)


 憧れの存在を前にして、目を輝かせるユニフォーム姿の野球少年たち。そんなまぶしい視線を浴びながら、キャッチボールを披露していた元日本ハムファイターズの岩本勉は内心、「やばい、来たな......」とつぶやいた。プロ野球を引退して10年以上が経っても、岩本の「イップス」はいまだに再発する瞬間があるという。

「小学生相手の野球教室でも、いまだに(イップスが)来ますよ。でも、もうずるい大人なので、『おっちゃんコントロール悪いから、お前ら逃げろよ!』とごまかしながら投げる(笑)。自分で自分の心にゆとりを作らないといけないんです」

 この境地までたどり着くには、気が遠くなるほどの長い時間が必要だった。

 岩本が投球練習すらままならないイップスを発症したのはプロ3年目。4年目には1日1000球に及ぶネットスローという荒療治によって、目を閉じてもある程度の場所にコントロールできるまでに回復した。それでも、岩本の名前はシーズンオフの「整理選手」の候補に挙がっていたという。

「(当時監督の)大沢啓二さんが『俺が獲ってきたヤツだから、責任は俺が取る。もう1年見てやってくれ』と頼んでくれたらしいんです。それでクビがつながって、もう1年続けられることになりました」

 そんな4年目の秋、岩本にとってひとつの転機が訪れる。秋季キャンプ中、フィールディング練習をしていた岩本に、投手コーチの高橋一三が声を掛けた。「お前、守備練習ではちゃんと投げられるんだな」と。マウンドに立って投球する際には震えが起きていたが、守備での送球はまったく問題がなかったのだ。

 岩本は捕手とともにブルペンへと連れ出され、高橋コーチにこう告げられる。

「俺がお前にボールを投げるから、お前はフィールディングのようにキャッチャーに投げてみろ」

 高橋コーチ、岩本、捕手の三者が三角形を作るように立ち、高橋コーチがマウンドの岩本にボールを投げ、それを捕球した岩本が捕手に送球する。しばらくその動作を繰り返すと、捕手が驚いた表情で岩本に言った。

「お前、そんなに投げられるの?」

 そして、岩本はそのままサイドスローに挑戦することになった。

「厳密にはフィールディングって、『投球』ではなくて『送球』ですから。ピッチングとは別物なんですよ」

 今となってはそう振り返る岩本だが、サイドスローに転向したことは岩本にとって大きな副産物をもたらした。

「サイドハンドの感覚で『俺、ボールを投げられる人なんだ』ということをだいぶ思い出してきたんです。高橋一三さんにはこう言われました。『お前、これで下半身から肩、ヒジ、手首が連動してバランスよくなるから、指先の感覚も戻ってくるよ』って。僕にとっては、その言葉が暗示になったんです」

 そして、岩本はすでに鬼籍に入っている故人を偲ぶように「高橋一三さん、恩人ですね......」とつぶやいた。

 プロ5年目は年間を通してサイドスローとして投げ続けた。ファームの月間MVPを受賞するまでになり、ついに3年ぶりに一軍昇格を味わった。登板はわずか9試合に終わったとはいえ、投球練習すらままならなかった時期を考えれば奇跡と言っていい進歩だった。

「新しい自分の身のこなしなので、考える間(ま)がないんですよ。イップスって、『考える』ことが一番怖いことなんです。新しい自分と向き合っているので、イップスについて考える間がないんですよ」

 シーズン終了後にはウインターリーグに派遣され、小久保裕紀(元ソフトバンク)らとともに活躍。再びファイターズのホープへとのし上がっていた。

 そしてプロ6年目となる1995年、岩本は新しい投手コーチと出会う。そのコーチは、岩本に自身の腕を見せてこう言った。

「いいか、ここにハエが止まっているとしよう。今からハエ叩きでこのハエをやっつけてみろ」

 岩本が言われるがままに右手を振り上げた瞬間、コーチは「もう逃げちゃったよ」とつぶやいた。もう一度チャレンジした岩本は、モーションを取らずに素早く手を動かし、コーチの腕を払った。すると、コーチは「それだよ」と言って、こう続けた。

「それがインパクトだよ」

 このコーチこそ、広島、阪神など5球団を渡り歩いた名投手コーチ・大石清だった。大石コーチの教えに、岩本は「目からウロコがポロポロ落ちてきた」と振り返る。

「静から動。これがピッチングなんかと。それから僕のピッチングの感覚がガラッと変わった。大石コーチは『俺は上から投げろとは言わないよ。でも、ハエ叩きだと思ってやってみろ』と。インパクトを知って、ボールを前でパンと離す感覚がわかった。それで自然とスリークオーターになったんです」

 一見、軽くキャッチボールでもするかのような力感のないモーションから、流れるように腕を振って快速球を投げ込む。「ハエ叩き」にヒントを得た岩本の投球フォームは、対戦した打者から「タイミングが取りづらい」と言われるようになった。

 同年7月、岩本はプロ初勝利を1失点完投でマーク。さらに登板機会を重ねて、5勝7敗ながら規定投球回をクリアし、防御率3.07と好成績を挙げた。そして、岩本はある確信を得る。

「自分で『イップスを越えたんや』と言えるようになりました。それが自分の強さになった。困ったら目をつぶって投げればいいんやからと。全部自分の味方にしましたね。それからは人にも『イップスを克服したで!』と言うようにしたんです」

 1996年には初の2ケタ勝利をマーク。1998年には11勝、1999年には13勝を挙げ、日本ハムのエースとして活躍。ヒーローインタビューでの「まいど!」のマイクパフォーマンスで、岩本は全国区の人気者になった。

 いろんな発見があり、見えてくるものがあった。そして目についたのは、若き日の自分の傲慢さだった。プロ入り1、2年目の頃は指導者のアドバイスにろくに耳を傾けず、「失敗したら誰が責任取ってくれるんですか?」と不遜な態度で反抗したこともある。しかし、イップスによって解雇寸前まで追い込まれたことで、岩本は指導者のアドバイスを素直に聞き入れるようになっていた。

「こういうことか、と思いながらやっていくうちに、気づいたんです。『今までのコーチも同じことを言ってくれてたやん』と。遠回りしたように聞こえるかもしれないですけど、僕は"野球思春期"として必要な時間だったんやと思ってます。でも、クソ生意気でしたから『殺したろか』と思っていた人はいっぱいいたと思いますよ(笑)」

 そんな岩本だったが、プロ6年目の「克服宣言」の後もイップスの波は突発的にやってきた。1998年にはオールスター戦に初出場。夢の大舞台に立って、岩本の足はガクガクと震え、そして止まらなかった。

「うれしさなのか、それとも怖さなのかわかりません。キャッチャーが伊東勤さん(当時西武)ということもあったのかなと。気づいたらひとりのバッターに対して、球種を全部投げさせられていて、もう丸裸ですわ(笑)。さすが伊東さんやなと。でも、そういうことをしないとガチガチで、まともにボールを投げられなかったんやと思います」

 キャリアを積んでいくうちに、たとえストライクが入らなくても、変化球でなんとかごまかすテクニックも身についていった。

 別の機会では、マウンドで震えが起きたときに「何やっとんねん。死ぬ気でいかんかい!」と自分に強く言い聞かせ、思い切り腕を振ったこともある。極限状態でアドレナリンが出るのか、突然症状が治まることもあったという。

 しかし、2000年以降は相次ぐ故障に苦しめられた。晩年は上半身も下半身も満身創痍。まさにボロボロだった。

「自分の体が動かなくて、思ったようなパフォーマンスができなくなってきた。ボールが先行して、『アカン、もうボール2やんか』と気づいた時点で(イップスが)来ているんですよ。今までやってきた自分の名前と、周りに対するカラ元気でどうにかしのいでいたんですけど、まあ無様でしたね。変化球やったらどうにかサマになるという逃げ道も覚えていましたが、もうバッターもすぐわかりますから。『それしか投げられへんのやろ』と、パカーンと打たれる。最後の2年くらいはそんな感じでした」

 2005年秋に戦力外通告を受け、他球団でプレーする道を模索したものの、結局は「日本ハム以外のユニフォームを着るイメージを描けなかった」と、翌年1月に引退を決意。岩本勉の16年間にわたるプロ野球選手生活は終わりを告げた。

 それは、イップスという謎の病と闘い続け、運命に抗(あらが)い続けた16年間でもあった。岩本は言う。

「イップスを治すために、本当に催眠術をかけられる人がおったら、僕はプロ野球選手としての全財産を使ってでもやってもらいたいと思っていました。それくらい、イップスというのは最大の悩みでしたね」

(つづく)

※「イップス」とは
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球や他スポーツでも市民権を得た感がある。

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