英国音楽の底流をなすもの。ジャイルス・ピーターソンが語る、UKジャズ、ジャングル新世代の台頭の背景

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2024年02月22日 12:10  CINRA.NET

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Text by 山元翔一
Text by imdkm
Text by 原口美穂
Text by 寺沢美遊

近年、新世代のジャングル/ドラムンベースのプロデューサーやDJが注目を集め、UKのジャズシーンは新たな黄金時代を迎えている。その背景にあるものは何なのだろうか。

1980年代後半から90年代初頭、アシッドハウス(※)の熱狂に沸く英国において誕生したジャングル。そしてほぼ時を同じくして成立したアシッドジャズは、DJが主体となった英国のジャズ文化の新局面だった。本題に入る前に、この2つの音楽について簡単に振り返る。

ジャングルとは何か。『DUB論(改訳決定版)』(2023年、水声社)のなかでマイケル・ヴィールは、「ジャングル(別称ドラム&ベース)は一九九○年頃にイングランドで発展した、ジャマイカのダブとDJミュージック、イギリスのテクノのハイブリッドだ」と記し、その音楽的特徴を「ダブ(ドラムとベースを強調したミックスとアトモスフェリックなサウンドスケーピング)とヒップホップ(抜粋したブレイクビーツとサンプルの重層化)の影響を同時に受けている」と説明した。別の者はジャングルについてこう述べる。

ジャングルは、レイヴ、ヒップホップ、そしてレゲエのみから影響を受けた訳ではない。過去6年間(注:原書は1996年執筆)のジャングルのリリースを聴くと、ソウル、R&B、ジャズ、そしてもちろんテクノの影響も聴こえて来る。ドラムンベースはまさに、この30年間のテクノロジーを基盤としたブラック・ミュージックのハイブリッド音楽なのだ。(中略)ジャングルのルーツを遡って、決定的な出発地点を見つけるのは不可能に近い。ポスト・アシッド・ハウスのテクノロジーによる、どの音楽的発展もそうだったように、ジャングルの出現も、音楽以外の社会的、政治的、経済的な要因と深い関わりがある。 - マーティン・ジェイムズ(著)、バルーチャ・ハシム(訳)『DRUM‘N’BASS 終わりなき物語』(1998年、ブルース・インターアクションズ)P.23より一方、アシッドジャズの成立について、1987年にその名も「Acid Jazz Records」を立ち上げたエディ・ピラーは、「モッズ、レア・グルーヴ、ノーザン&モダン・ソウル、ブギー、ジャズ。87年の終わりにはハウス・ミュージックへの反発から、それらのすべてがアシッド・ジャズへと変形していった」(*1)と語った。DJ・ライターの荏開津広は、90年代初頭の日本のクラブミュージックの現場からアシッドジャズを「折衷主義的な、恐れを知らない広範囲でのブラック・ストリート・ミュージックの捉え直し」(*2)と説明している。

ジャングルとアシッドジャズはともに、UKのブラックカルチャーとクラブカルチャーが関わり合って生まれた文化的産物であり、実践であるといって差し支えはないだろう。そしてそこには、英国の多文化主義的側面を見出すことができる(もちろん、その背後には大英帝国時代の植民地主義が存在しているわけだが)。

本稿は「Acid Jazz Records」の共同設立者、ジャイルス・ピーターソンのインタビューだ。80年代からクラブミュージックシーンで活動してきた彼はいま、UKの音楽の現状をどのようにとらえているか。2023年9月、来日時に収録したインタビューを下記に掲載する。

ジャイルス・ピーターソン

1964年、フランス・カーン生まれ、ロンドン出身のプロデューサー、ラジオDJ、DJ。1989年より放送されるBBCの人気番組『World Wide』のホストとして知られ、過去30年にわたって英国内外の先進的なアンダーグラウンドミュージックをサポートするうえで重要な役割を果たす。「Acid Jazz」「Talkin' Loud」といった名門レーベルの創設者として知られ、現在は2006年からスタートした自身のレーベル「Brownswood」を主宰している。

―4年ぶりとなる日本現地でのDJプレイはいかがでしたか。

ピーターソン:また日本に戻れてうれしいよ。かなり久しぶりだからね。パンデミック以降、みんな変わったと思うし、クラブカルチャーや音楽シーンがどのように変化しているのか気になっていたから、いろいろな国の様子を見るのはとても興味深い。特に日本は、ヨーロッパよりも通常の状態に戻るのに少し時間がかかりそうだったから、結構心配していたんだ。

でも実際ショーをやってみて、すごくよかったよ。特に東京では、大きな会場でプレイできたこと、そしてそれがうまくいったことがうれしかったね。京都の会場は、日本で一番古いナイトクラブのひとつだったと思う(※)。あれはとにかくクールだった。DJのプレイをみんなが心から楽しみ、喜んでくれているのを感じることができたからね。

ピーターソン:日本のオーディエンスはみんな本当に音楽に耳を傾けてくれるんだ。日本人は何であれ、その人がつながりたいというものに対して本当に深い関心を持っていると思う。ただSNSでシェアして終わりではないんだ。日本では観客とその空間と瞬間を共有していることを感じることができる、そのことは確実に消えていないと今回感じているし、(コロナ前と)変わっていないと思う。

―先日、あなたも熱心なサポーターであるEzra Collectiveがジャズミュージシャンとしては初の『マーキュリー・プライズ』(※)を受賞しました。彼らの受賞について、ひと言いただけますか。

ピーターソン:UKのジャズシーン、即興音楽の世界にとって、とてもポジティブな瞬間だったと思うね。今週は、ジャスティン・ビーバーやボブ・マーリーのベストアルバムが並ぶようなポップチャート、アルバムチャートのトップ40に、Ezra Collectiveとユセフ・デイズのアルバムの両方がランクインしているし(*3)、このような若いジャズアーティストたちの活躍は、みんなにとってとても励みになると思う。

―今回の受賞を、『Guardian』紙は「UKジャズが黄金時代を迎えている証拠」というように表現しています(*4)。あなたはかねてから若いジャズミュージシャンをサポートしてきましたが、彼らが築いているUKジャズの現状についてどうお考えですか。

ピーターソン:これまでで最高と言えるんじゃないかな。いまの世代のミュージシャンたちは、これまでの音楽を引き継ぎ、それを自分たちのやり方で成長させ、未来を切り拓くことができる。これはすごく重要なことで、以前のジャズ界にはその環境は十分に存在していなかった。

決まりやムーブメントにコントロールされすぎていたから、若い世代のミュージシャンたちが自分自身のマジックを生み出すことができる環境がなかったんだ。でもいまは、年配のミュージシャンと新世代のミュージシャンとのあいだに同等の尊敬の念が存在し、対等な関係が築けていると思う(※)。

ピーターソン:そのムーブメントがどのように成長したかを示すいい例が、僕がUKでキュレーションしている『We Out Here』というフェスティバル。

このフェスティバルは、僕たちが「Brownswood」でつくった『We Out Here』(2018年)というアルバムから生まれた最高のイベントで、新しいジャズのムーブメントを祝福するためのフェスなんだ。2023年はソールドアウトで、さまざまな世代の人たちが1万7千人も集まったんだよ。

―「Brownswood」からちょうどリリースされたばかりのユセフ・デイズのアルバム『Black Classical Music』も、UKジャズらしいエクレクティック(折衷的)でハイブリッドなすばらしい作品でした。

ピーターソン:あのアルバムは彼と一緒につくったアルバムだから、僕にとってとても近い存在だし、UKにおけるジャズの現状をよく表している作品だと思う。それにドラマー、ミュージシャンとしての彼の成長も、グループとしての成長も感じられる。

以前はムーブメントがあまりにも小さかったから、ミュージシャンたちは多くのライブをこなすことができなかった。でもいま、彼らは毎日のように演奏している。まるで眠っていた機械にガソリンが入ったようにね。アルバムは、そんな勢いに乗った状態で描かれたものであり、彼らによって築きあげられたこのムーブメントの新たなレベルが映し出されているんじゃないかな。

『We Out Here』を聴く(Bandcampを開く)

ピーターソン:カマール・ウィリアムスとの『Black Focus』(2016年)は「Brownswood」がリリースしたアルバムのなかで、おそらくもっとも成功したレコードの一枚だったと思う。あの作品はUKのクラブカルチャーとジャズを融合させたもので、その割合が50/50に近かった。

そして今回のユセフのアルバムも、そういった要素がたくさん盛り込まれてはいるんだけれど、『Black Focus』よりも演奏がもっと際立っているんだ。彼がこの流れでどのような方向に進んでいくのか、このアルバムが新しいジャズの世界へのパスポートとしてどう機能するのかをこれから観察していくのは、すごく楽しいプロセスになると思うよ。

―一方、クラブシーンでは、Nia ArchivesやSherelleといった新世代のジャングル/ドラムンベースのプロデューサーやDJが近年注目を集めています。1990年代にリアルタイムでジャングルやドラムンベースのシーンに立ち会ったあなたから見て、こうした新たなアーティストやその周辺の盛り上がりはどのように映りますか。

ピーターソン:いま、新しい才能の素晴らしい波が押し寄せていて、多くの女性の才能が彼女たちによって牽引されていると僕は思う。そしてもうひとり、UKにはJamz Supernovaという非常に重要なキーパーソンがいる。彼女は僕と一緒に『BBC 6』にも出演しているんだけれど、素晴らしいプレゼンターでもあり、DJでもあるんだ。

いまここまで大きな波が来ているのは、彼女たちのように世代を代表できる人たちがいるからだと思う。Boiler Roomや『NTS』のようなプラットフォームでも、あるいはメディアやUKで開催されるフェスティバルを通してでも、ダンスミュージックやエレクトロニックミュージックの構造全体が、とても深く浸透していると思うね。

Nia Archivesは間違いなくダンスミュージックにとても情熱的な新しい世代に深く関わっているし、同時にそれ以前のプロデューサーたちに敬意を示している。Optical(※1)といった素晴らしいジャングルのDJたち、そしてDJ Storm(※2)といったいまも人気で活躍している女性たちにもね。

ピーターソン:僕が『We Out Here Festival』でやりたかったことのひとつは、エレクトロニックミュージックシーンとジャズを中心としたライブミュージックシーンの両方を祝福すること。その両方が素晴らしいし、フェスを通して、たくさんの経験や音楽を共有したいんだよ。だからNia Archivesのような人たちが会場にはたくさんいるし、彼らが音楽に情熱的な人々による多世代コミュニティをつくりあげているんだ。

―フロア向けのサウンドだけではなく、たとえばPinkPantheressのように、ドラムンベースやUKガラージを取り入れつつ、よりポップな文脈で注目を集めるアーティストも出てきています。彼女の登場をひとつのきっかけとして、UKほどドラムンベースがポピュラーではない日本でも、こうしたサウンドが注目を集めています。こうしたポップな受容についてはどう思われますか。

ピーターソン:その現象は、このムーブメントがいかに影響力があるかを物語っていると思う。そして、もし人からこの40年間で英国から生まれたもっとも重要な音楽は何かと聞かれたら、僕は確実にジャングルと答えるだろう。ジャングルは、僕が生まれる以前から数えてもUKの音楽界で生まれた最高の発明であり、ある意味、ジャングルと比較するのにもっとも相応しいのはパンクロックだと思う。

その理由は、パンクロックは世界を変えたから。ジャングルは、パンクロックのように世界まで変えてはないけれど、独自のやり方で大きく影響を与えてきたと思うんだ(※)。ユニークなエネルギーで、未だにまったく新しいアーティストたちに影響を与え、その存在感の大きさを感じ取ることができる。

ピーターソン:特に、最近はコマーシャル側の音楽に多く取り入れられているんじゃないかな。そのような取り入れられ方にせよ、Nia Archivesのようなもっとリアルな取り入れられ方にせよ、僕はどちらも素晴らしいと思う。イングランドでは、すべての若者がジャングルを理解しているんだ。DNAの一部みたいな存在なんだよ。だから取り入れ方に正しいとか間違っているとかはない。

ジャングルは文化の一部であり、価値観であり、一過性のものではないし、ヒップホップもジャングルも音楽の一部であり、アートであり、つねに生き続けている。だから、人々はジャングルを自分で使うことができる。商業的な観点からヒップホップを取り入れることも、より冒険的で実験的な側面を探求することもできるようにね。

―90年代、アシッドジャズの隆盛とジャングル/ドラムンベースの誕生には同時代性や連続性があったように思います。奇しくも近年も、UKジャズとクラブシーンがクロスオーバーしながら盛り上がっています。UKにおけるジャズと、レイヴやクラブシーンの関係をどうご覧になっていますか。

ピーターソン:1987年、1988年は、アシッドハウスと呼ばれる音楽が登場した重要な年だったと思う。でもそれ以前から、DJがプレイする音楽はファンクやジャズ、レゲエだった。

ある意味、ファンク、ジャズ、レゲエの要素がヒップホップやエレクトロニックと結びついて、成長、発展してきた。そしていま、これらがすべて一緒になり、互いに影響しあっている。さらには、毎年新しい小さなフレイバーが加わり、変化を続けているんだ。そうやって物事は成長し続け、前進し続ける。

ピーターソン:もっとも興味深いジャズアーティストたちは、昔のジャズを振り返りながらも、クラブミュージックの成長に大きな影響を受けていると思う。そしてまさに、『We Out Here Festival』は、音楽の成長と音楽の遺産を祝うものだし、さまざまな言語が飛び交い、異なる大陸からの文化の多様性が存在するUKという国は、さまざまな要素の出会いの場となっているんじゃないかな。

これらの要素が混ざり合いひとつになったとき、変化が生まれ、その変化は絶え間なく続く。だから僕にとって、UKにいることはいまでもとても重要なことなんだ。なぜなら、つねに新しい世代がいて、その世代のアーティストたちは、自分のやり方で音楽をイメージしなおしたいと思っているからね。だからこそ、音楽はつねに前進し続けているんだよ。

―ジャズとクラブカルチャーの2つをつなげているもの、支えているものとは何だと思いますか?

ピーターソン:私がアシッドジャズというアイデアを最初に思いついた30年前といまの違いは、いまのミュージシャンたちはクラブカルチャーを理解していること。いまのミュージシャンはクラブカルチャーのなかで育ってきたけれど、当時のミュージシャンたちはクラブカルチャーをそこまで理解していなかった。

つまり、30年前はクラブカルチャーとジャズは違う世界で、当時のミュージシャンにとってアシッドジャズは、その違うものが出会うという感覚だったと思う。でも、いまのミュージシャンはクラブカルチャーに自然に囲まれてきた。だから音楽がすごく自然で、うまく混ぜ合わせようと気合いを入れなくても、もっとオーガニックなんだ。

昔は、ジャズのミュージシャンとプロデューサーをコラボさせて何かをつくろうとしても、うまくいかないこともあった。でもいまのジャズミュージシャンたちは、それがすごく自然にできるんだよ。そのいい例が、The Comet Is Comingだと思う。彼らの音楽では、ダンスミュージックとジャズがとても興味深いつながりを持っているからね。「アシッドジャズって何?」って聞かれたら、僕は「The Comet Is Comingだ」と答えると思うね。
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