misonoが語った、夫のがん闘病・別居婚・妊活「不妊治療を再開したいと思っています」

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2024年02月23日 21:00  週刊女性PRIME

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週刊女性PRIME

misonoさん 撮影/petomoni

 テレビでは“元気キャラ”でおなじみだったmisonoさん。'18 年にドラマーのNosukeさんと入籍。直後に夫の精巣がんが見つかり、治療費などの工面の苦労もあり別居婚に。すると夫婦の関係性がよくなり、関西ではエステサロンや飲食店を立て続けにオープン、「人生の風向きが見事に変わった」と話す。

京都と大阪と東京を行き来する日々

お店が夜中2時まで営業なんです。お店を閉めてから家に帰るのが3時過ぎ、そこからたまった仕事を片付けたり、猫ちゃん10匹のお世話をしたり。寝られるのは大体お昼の12時ぐらいになります

 そう話すのはエステサロンをプロデュースしながら飲食店を開業したmisonoさん。昨年11月28日に『ウチのヤキトリ』、12月5日に『人類みなウチのラーメン』の2店を大阪のアメリカ村に構えた。開店以来、店舗には長蛇の列ができるほど人気で、自身もできるだけお店にいるという。

レセプションから、知り合いが食べに来た日は必ずお店に行くと決めていたのですが、毎日お祝いで誰かが来店してくれて。12月は忘年会、1月は新年会の予約もすごくて。コロナを機に京都の実家に戻ってきて、今は店の近くにも家を借りていて、京都と大阪と東京を行き来する日々です

 2020年に母親から美容事業を引き継ぎ、京都と大阪でエステサロンをプロデュース。さらに、飲食店を2店舗オープンさせ、順調に事業を展開。2018年に所属事務所から独立した直後はまさか自分が実業家になれるだなんて思ってもいなかったという。

いつも1年後にこうなっていたいという目標を立てたりしないんです。やりたいと思った瞬間に、やりたいと思ったことをやってきた人間なので(笑)。しかも事務所を円満退所した直後に、(夫の)Nosukeの精巣がんが見つかり、先のことより目の前のことに集中していて……

 2018年に入籍したNosukeさんはドラマーとして活動しているが、2018年11月に精巣がんによる胚細胞腫瘍と診断。そこから2度の手術と抗がん剤治療を受けるため、1年近く入退院を繰り返すこととなった。闘病生活の間、Nosukeさん本人はまったく弱音を吐かなかったそう。

病気をすると不安で弱い部分を見せたり八つ当たりをしてしまったりするじゃないですか。でも心配をかけたくないからと、出会ったころと何も変わらず面白くて優しくて。常に前向きな姿勢で病気と向き合っていたので、本当に尊敬していました

 闘病生活をポジティブに綴ったNosukeさんのブログには、たくさんの応援コメントが寄せられていた。

何かを発信すると炎上してしまう

 一方でmisonoさんはそんな夫を支えるためにも、とにかく働かざるを得なかった。朝から夜中まで1日3件仕事をこなすなど、人に頼らず自分で治療費を払おうと必死になっていたという。

事務所を辞めてからマネージャーもつけていなかったし、言い値で仕事を受けていて、未払いもたくさんありました。それでもありがたいことにオファーは殺到していたので、どんな仕事でも受けていました。ギャラも自分で交渉しなきゃいけなかったし、スケジュールも自分で管理していたんだけど詰め込みすぎて、病室から現場へ行って、現場からまた病室に戻って仮眠したら次の現場へ向かう……、そんな毎日を送っていました

 misonoさんの苦労する姿を見て、応援してくれる人も多くいたが、批判の声も少なくはなかった。

思ったことを思った瞬間にそのまま言動に移してしまうので、何かを発信すると炎上してしまう。《いい奥さんアピールするな》とか、《本人が一番つらいんだから一番近くにいる人がしんどいとか言ったらNosukeさん可哀想》といった意見、《こんな奥さんがそばにいたら病気にもなるよね》など。確かにそのとおりかもしれません。

 けれど看病している側の人も我慢せずにため込まずに吐き出していいんだよ、気分転換や息抜きは必要だからストレス発散しようよと、とらえてほしかった。治療費のことも病院の先生とのやりとりも、やることは無数にありました。病気の人のことを考えるのはもちろんだけど、自分自身のことを考えることも必要。私が倒れたら共倒れしてしまうからと、いろんな葛藤がありました

 そうした経験から、支えている側の人まで救いたい、という思いが自然と生まれたという。現在は動物愛護団体や福祉の施設、子ども食堂や子ども宅食などのボランティア団体に、チャリティーグッズや飲食店の売り上げの一部を寄付したり、災害復興のための活動にも精力的に参加している。

 世のため人のために生きたいと思うようになったのは、今まで自分が多くの人に愛や優しさをもらってきたからとも振り返る。

歌手デビューやバラエティー番組への出演、女優業など、これまでさまざまな経験をさせてもらいました。未熟でしたが、お兄ちゃん、お姉ちゃん的存在の方がたくさんいて甘え続けてきたし、お世話になりっぱなしでした。特にたむけんさんや田村淳さんには仕事でもプライベートでもすごく可愛がってもらいました。

 39歳なのに、今でも自分は“2人の妹”だと思っています(笑)。30歳以降はみんなに恩返しがしたいという気持ちが強くなっていきました。今度は自分が誰かに何かをしてあげる番なんだと」

 現在、夫のNosukeさんとは2020年以降から別居婚という形をとり続けている。Nosukeさんは東京の実家で過ごしているそう。

離婚するか別居婚するかどっちか選んで」

「2人が落ち着いたタイミングでコロナ禍に入ってしまい、何もしないでずっと家にいました。Nosukeは2人きりで暮らせてやっと新婚生活を味わえてるから楽しいしうれしいと喜んでいました(笑)。ただ、ずっと一緒にいるとケンカが増えていった。自分自身もメニエール病にかかったりしたので、彼だけ東京の家に戻ってもらいました。

 最初は嫌がっていたけど、離婚するか別居婚するかどっちか選んでと言って、別居することに納得してもらいました(笑)。その後は関西でサロンの経営を引き継いだり、どんどん忙しくなって今に至ります。でも、離れてからのほうがぶつかることもないし、自分たち夫婦には合ってると思います。Nosukeは自分にとって離れていても絶対大丈夫と思える“帰れる場所”。昔から自分の絶対的な味方なんです。

 彼はネットに何を書かれていても、まったく気にしない。大炎上して外へ出たくないような状況のときも、ずっと変わらずに受け止めてくれた。家に帰って『こういうことを言われてるんだよね』といった話をしても、『また気にしてるんだー、お風呂沸いてるよー』みたいな。他人なはずなのに姉弟みたいな感じで心地いいんです」

 misonoさんは保母さんになりたかったくらい子どもが大好き。それに付き合った当初から子どもを欲しがっている彼のためにも、今の生活が落ち着いたら妊活を再開したいと考えているそう。

抗がん剤が抜けるまで妊活は禁止だったんです。でも2人とも子どもが大好きで、結婚直後から産婦人科に通ったり、がんの治療前に念のため精子を凍結したりもしていました。彼も手術から5年たってようやく寛解といえる状態になったし、自分も今年40歳になるので、飲食店が落ち着いたタイミングで不妊治療を再開したいと思っています。Nosukeだったら絶対いいパパになると確信してるので早く実現させたいです

取材・文/諸橋久美子 撮影/petomoni

ミソノ 1984年京都府生まれ。'02年day after tomorrowとして歌手デビュー。その年のレコード大賞新人賞を受賞。『クイズ!ヘキサゴンII』などバラエティー番組に出演し、タレントとしての知名度を高めた。'18年に入籍、翌年には所属事務所を退所。実業家としても活躍中。

このニュースに関するつぶやき

  • あまり思ったことを包み隠さず自分の意見を言えるのは羨ましいけど、言っていいこと悪い事の境目がなさ過ぎるとヤバい人扱いになる。過去に職場に居たけど解雇された。
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