「私自身を見て」中学時代はヤマンバメイクで補導・退学、Mr.マリックと娘のLUNAが腹を割って話した

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2024年02月24日 21:00  週刊女性PRIME

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Mr.マリックとLUNA 撮影/山田智絵

 超魔術という新たなマジックの分野を確立した父親と、家庭ではほとんど接点がなく育った娘。埋まらない溝に悩むマリックと親の七光ではなく“自分”を見つけるために奔走したLUNA。そんな父娘がお互いを認め、同じステージに立つ日を迎えるまでのストーリーとは―。

中学校から呼び出されて「退学です」

 「ハンドパワー」で一世を風靡し、日本のマジック界で確固たる地位を築いたMr.マリック。長女のLUNAは、ミュージシャンとして日本のR&Bシーンで活躍中だ。数年前にテレビ番組で共演を果たした父娘は、壮絶だった親子関係を語り話題となった。

 ともすれば「グレた娘と、それを立ち直らせた父親」といった美談に仕立て上げられてしまいそうだが、そんな単純な話ではない。寄り添ったり、離れたり、第三者に相談したり。あらゆることを試していまの親子の形にたどり着いた。そんな75歳と43歳の父娘が腹を割って話す、今までと、これから─。
 
マリック LUNAが中学生のころはとにかくすごかった。家には帰ってこないし補導はされるし、ものすごいヤマンバメイクで、もうとんでもないやんちゃな子でしたから。

LUNA えへへへ(笑)。

マリック そんなことが続いたある日、突然中学校から呼び出されて「退学です」って告げられたんです。私立だから校則も結構厳しかったしね。でも「話し合いもなくいきなりそれはないでしょう」ってもめたりもしましたね。

LUNA お父さんがテレビで有名になり始めたのは、私が小学校3年生くらいのころ。学校では「すごいね!」って騒がれたり、いじられたりもしたけど、私、気が強いほうだから(笑)。全然嫌じゃないし、それほど気にならなかったんです。ただ、その状態が数年続いて中学生になったとき、もういいかげん“マリックの娘”としてじゃなくて、私自身を見てほしいという思いがだんだん強くなってきたんですよ。

 もともとサービス精神旺盛で、にぎやかなことが大好きだったLUNA。「私を見て!」と自己アピールしたり、友人に求められるまま派手な振る舞いを続けたりしているうちに徐々に行動がエスカレート。結果的に世間で言う“問題児”となってしまった。

有名人の父には関心がなかった

LUNA だってもう、私の名前が“マリックの娘”状態だったんだもん(笑)。いや、そうじゃなくて私自身を見てよ、そんな“冠”なくたって、私自身がめっちゃオモロイからとにかく見てよ、っていう気持ちだったんです。

マリック 家には帰ってこないけど、どの友達の家に泊まっているかはちゃんと教えてくれてたよね。最初に考えたのは、家が狭くてLUNAとお兄ちゃんが同じ部屋だから、ひとりになれる空間がないのが嫌で帰ってこないのかな、って。だからLUNAだけの部屋を持たせてあげなきゃって、頑張って働いて働いて、一戸建てを手に入れたんです。

 でも、そのときにはもう子どもふたりともすっかり成長していたから、すぐに家を出てしまった。人生っておかしなものだね。

LUNA あのとき自分の部屋があったとしても、家に帰ってたかどうかはわからないけどね(笑)。

マリック LUNAが小さいころは仕事に夢中で……。家庭を顧みなかったから、自分のことも振り返って反省しましたよ。マジックってね、ひとりで作って、ひとりで練習して、ひとりで演出までしなきゃならない。誰かに手伝ってもらえるものではないから、たったひとつ作るだけですごく時間がかかるんです。もう四六時中、マジックのことで頭がいっぱいでした。

 LUNAが生まれた当時、父のマリックはデパートで実演販売をしつつ、小さなマジック専門店を始めていた。自らホテルのラウンジに頼み込み、腕を磨くために夜は無償で客の前でマジックを披露する。朝から晩まで仕事漬けだった。

マリック かみさんに子育ても任せっきりでした。でも、文句ひとつ言わない。結婚前から僕はこうだったから、きっと言えなかったんだと思う。本当に迷惑かけちゃった。

LUNA お父さんとお母さんが会話しているところ、見たことなかったもん。「行ってらっしゃい」と「お帰り」ぐらい。私もお父さんとはまったく話さなかったし。

マリック 家族旅行はもちろん、どこかに遊びに連れて行ったこともなかったしね。LUNAの誕生日がいつかも忘れていて。

LUNA でも誤解されがちなんだけど、それに対する不満は一切なかった。「私のこと放っといたくせに!」みたいな感情はまったくなくて(笑)。あのときは本当にただ、LUNAという存在を確立したかっただけだったんだよね。

マリック 中学のころから、17、18歳くらいまでそんな状態が続いたね。

LUNA 中学を卒業してからは高校にも行かなかったし。そのころ、お父さんとはろくにしゃべりもしなかったもんね。でも憎しみの気持ちがあったわけじゃなくて、ひと言で言うなら「無」。関心がなかった(笑)。

マリック なんとか話し合いをしようとしても泣いて聞かないし。腫れ物に触るように接したこともあったし、もう元気ならいいや、って放っておいたこともありました。いろんなところに相談にも行ったなあ。東京にいるのがよくないのかと思って、岐阜の実家が広いからそこに行くのはどうかと提案もしたよね。

LUNA いやいや、行かないよね(笑)。

マリック 夢中になれる何かを見つけたほうがいいと思って、何がしたいかを尋ねると「サーファーになりたい」とか言うんです。だからわざわざハワイからサーフボードを取り寄せたんだけど、ただ適当なことを言っていただけ。こっちはもう必死だったのに。

LUNA でもそこから「本気でやりたいこと」に出合えたんですよ、歌のボイストレーニングだけはまじめに行くようになったから。

マリック このボイストレーニングの先生が、実にLUNAをよく理解してくれたんです。学校ではいい先生に巡り合えなかったけど、やっぱり出会いってあるんだなと。

LUNA その先生が私の好きなブラックミュージックにすごく詳しくて。周りにそんな大人がいなかったからびっくりしました。

マリック 結局、自分の子どものことを誰かに頼って解決してもらおうなんていう考えが間違いだったんですね。自分の子どもなんだから、親が本気でぶつかるしかないんです。だからといって、親が先回りしてあれこれ世話を焼きすぎるのもダメ。子どもが自分で見つけなきゃ意味がないんだってよくわかりました。

 ボイストレーニングの先生との出会いでLUNAは才能を開花させ、ブラックミュージックの本場・アメリカに単身で渡ることに。ニューヨークのシェアハウスに暮らし、音楽漬けの毎日を送った。

同じ世界で仕事するようになって初めて理解できた

マリック アメリカからビデオが1本送られてきてね、LUNAが涙を流しながらゴスペルを歌ってた。“これ”というものを見つけたら、人ってこんなに変わるんだと驚きました。

LUNA 帰国してから本格的に音楽活動を始めたんですが、同じ世界で仕事するようになって初めて、これまでお父さんがいかに大変な世界で生きてきたか、理解できたんです。

マリック 今度、初めて一緒にショーをやるんですよ。私のショーにLUNAをゲストで呼ぶのではなく、あえてお互いのエンターテインメントをぶつけ合う形の演出にしています。

LUNA あと、今度初めての家族旅行に行くんだよね

マリック そう。大学生の孫が言い出してくれて。長男一家を見ていると、自分がいかにダメな父親だったか思い知らされます。いまさらながら、孫にいろんなことを教えてもらっている気持ちですね。

 家族はいつからだって再構築できると教えてくれたふたり。同じエンターテインメントの世界でお互いをリスペクトし合いながら、父娘は新たなステージへと踏み出す。

取材・文/植木淳子

スーパー4KマジックSHOW Mr.マリック超魔術団2024

観客参加型の新エンターテインメントのライブショー。娘のLUNAとの初共演も。3月20日 東京・日本橋三井ホールほか、3月30日に滋賀県と4月20日に大阪で開催。

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