“アホ携帯”で見直す、スマートフォンと生活の適切な距離感

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2024年02月28日 18:01  ITmedia NEWS

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「Light Phone II」

 先日、AndoridのスマホをPixel 6aからPixel 8へ機種変更した。最近のワイヤレスイヤフォンはBluetoothで直接接続する前に、専用アプリから認識させるタイプのものが増えているが、Pixel 6aではうまく認識できないことがあって、レビューの際に困っていたのである。


【写真はこちら】スマホに生活が乗っ取られてないだろうか……


 で、実際Pixel 8が届いたわけだが、およそ2世代違う割には、動作速度などの体感はほとんど変わらない。ガリガリにゲームをやるわけででもないので、性能をキリキリ絞り出すような事もない。日常的な使い方の範囲では、2世代分の進化は筆者にはあまり分からない。


 米国では「Light Phone」というのが一部で人気だという。「Dumb Phone(アホ携帯)」ともやゆされるシンプルなスマートフォンは、初号機はあまりにもシンプルすぎたが、アメリカの人気ラッパー、ケンドリック・ラマーがプロデュースした「Light Phone II」は、メイン機として乗り換える人もあるという。


 できる事といえば、電話とメッセージ、アラームや電卓などのユーティリティー、ブラウザもあるのでWebサイトにもアクセスできるようだ。音楽プレーヤーも内蔵し、ヘッドフォンジャックとBluetoothで音楽も聴ける。ディスプレイはモノクロの電子ペーパーというところから、できることが限られているのが分かる。つまりSNSや動画サイトへアクセスしても、レスポンスは期待できないわけである。


 最初はいわゆるガラケー的な、あえて不便を楽しむ製品なのかとも思ったが、プロモーションの動画を見ると、どうもそういうことでもないようだ。そこに描かれているのは、子供達を送り迎えしたり、ローラースケートを楽しんだり、絵を描いたり、愛する人に電話している普通の人々だ。


 そういえば、少し前まではこうした生活が当たり前だった。それがいつの間にかわれわれは、スマホ片手どころか、暇さえあればスマホを両手持ちしてSNSに見入ったり、何かを入力していたりしている。顔を上げて、ちゃんと目の前の人と向き合う時間は、どこへ行ったのだろうか。


●疲れるのが当たり前の社会で


 多くの人にとって、スマートフォンは社会とつながる貴重なウィンドウであることは間違いない。SNSで常に誰かとつながり、動画視聴やマンガ、音楽、写真も全てこれ1台だ。だが、スマホの6インチぐらいの画面が世界の全て、人生の全てだとしたら、そればすごく貧しいことなのではないだろうか。


 例えば写真を撮るなら、ミラーレス一眼のほうが優れているのは言うまでもない。一眼風の写真が撮れるとは言っても、それはシミュレーションとしてうまくいっているという話で、もう一眼とか要らないですよね、という話にはならない。スマホの写真は、大量に撮影してSNSで消費されてゆく情報の1つにすぎない。


 スマホで映画を見るにしても、たまたま手元にある端末でも見られます、という程度の話で、本来なら映画館で見るべきものだろうし、自宅にプロジェクタを設置して100インチぐらいで見るのも楽しい。スマホで見るのは、あくまでも代替手段だったはずだ。


 もっとも時間と注意力を取られているのが、ショート動画系のSNSだ。常に新しいコンテンツが投下され、スクロールするだけで無限に面白いものが現われる。ただぼんやり見ているだけでやめるタイミングを失い、気が付けば大量の時間が消費されている。


 本来その時間でやらなければならなかったことが、やれていないのではないか。それは勉強や仕事といったタスクだけのことではなく、家族や友人と話をするとか、子供の成長をしっかり見るとか、そういったことも含まれる。


 スマートフォンは何でもできるゆえに、誰にでもフィットする。仕事中はこれ1つ持っていればいろいろ役に立つというのは便利だ。だが休日に持つものとしては、どうなんだろうか。あまりにも多くのコンテンツが、われわれにもっと消費せよと追いかけてくる。それよりは、ちょっとした連絡が取れるだけ、あとは時計とかタイマーとかあったら便利だよね、というぐらいまで絞り込んだものでいいのではないか。


 つまり「Light Phone」は、いうなれば「Holiday Phone」だ。休みの日は、ちゃんと遊んでちゃんと休め、人間らしい生活に戻れと、そういう事を示唆している。


●「依存」では測れないレベルへ


 子供達のネット依存について、さまざまな研究の報告書や本を読んで勉強した時期があった。今から10年ぐらい前になるだろうか。当時はスマートフォンの利用年齢が下がり、また社会がスマートフォンが使える事が前提となっていった時期だ。使わざるを得ない時間が増えているのに、どこからが依存といえるのか、その境目を判定するのに苦心していた。


 ところが10年たってみると、以前なら使いすぎといわれていた時間を、子供達だけでなく大人も費やしている。依存とは、平均値より突出している状態であるが、全員が依存レベルで使っているならば、それが平均値であり、もはや依存状態というのは存在しない。


 家族でおいしいものを食べに行っても、みんながそれぞれにスマホをいじって会話もないのは、間違っているのではないか。子供がそれなりに大きくなれば、親と食事に付いてきてくるだけマシともいえるだろう。ただ出てきた料理のバエ写真を取り終わるまで、みんなで「だるまさんが転んだ」みたいにフリーズして待っているのは、家族として正しい在り方なのか、考えてしまう。どの誰とも知らぬ人に、自分はこれだけ幸せなのだとアピールすることは、家族の幸せよりも優先されるべきなのか。多分私たちは、どこかで道を間違えてしまった。


 今はそれが普通だからいいのだ、という考えもある。幸せの形は1つではない。だが、子供達はすぐに大きくなり、巣立っていく。筆者と同居中の子供達は再婚した妻の連れ子であり、筆者は彼らの子供のことを知らない。このままでは子供達と大して話をしないままに年月が過ぎ、それぞれが家庭を持つだろう。たまの正月に帰ってきても、大した思い出話もなく、その日のうちに帰って行くようでは、家族としての縁や絆が育まれたとはいえない。


 かといって、子供達のiPhoneをLight Phoneに取り換えるのは、無理がある。だが筆者のスマートフォンは、Light Phoneでもいいんじゃないかと思い始めている。子供と過ごすときには、多少うざがられてもあれこれ話かけるべきなのだ。


 現在日本には、機能を絞り込んだスマートフォンは高齢者向けのものがあるだけだ。だが子育て世代は、別に「らくらくホン」が欲しいわけではない。例えば仮に筆者が「Holiday Phone」をプロデュースするとしたら、どの機能を残すだろうか。


 キャリアの通話機能はそれほど使わないが、緊急の場合に電話もかけられないのでは困るだろう。家族や友人との連絡は、LINEとMessengerが使えればいい。SMSはそれほど必要ないが、サービス認証で使えないと困ることがあるので仕方がない。また簡易的なブラウザと音楽サービス対応は欲しいところだ。あとは時計、アラーム、タイマー、Bluetoothがあればいい。日本ならではのリクエストとして、何らかのタッチ式キャッシュレス機能はあったほうがいいだろう。カメラはいらない。


 そういう意味では、Light Phoneの電子ペーパー採用は実にいいところを突いている。要するにアレで表示できる範囲の、スローな機能でいいわけだ。バックライトを付けても、バッテリーはかなり保つだろう。


 おそらく、このポジションにすっぽりはまるはずだったのが、スマートウォッチだ。だが登場時にはまだ、あれやこれやの機能は要らないといえるまで、世の中が成熟していなかった。結果的にセンサーを積んで、健康商品となって生き残るしかなくなった。


 製品として、足し算していくのは簡単…とは言わないが、方向性としては考えやすい。だが引き算はコンセプトがしっかりしていないと、何でないんだという話になるから大変だ。日本にLight Phone、あるいはHoliday Phoneなるものが受け入れられる土壌は、どれぐらいあるのか分からない。


 かつてはmixi疲れ、LINE疲れといった言葉があったように、あまりにも皆が注力しすぎるあまり、疲弊してしまうという現象が報告されていた。昨今はこうした言葉もあまり聴かれなくなったのは、皆それぞれが適度な距離を保てるようになったのだともいえるが、皆それぞれがネットコミュニケーションにそこそことらわれるのが当たり前の社会になったともいえる。


 ただもうそろそろ、手の中で何でもできるスマホから、人間らしい生き方を取り戻すことを考える人達が出てきてもおかしくない。Light Phoneの人気は、単なるガジェットとしての面白さという事ではなく、そういうタイミングに差しかかってきたという兆候ではないだろうか。


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