コブクロ、絢香、Superflyをブレイクへ…48歳でこの世を去った“伝説の音楽プロデューサー”

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2024年03月07日 07:00  ORICON NEWS

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『「桜」の追憶 伝説のA&R 吉田敬・伝』
 稀代の音楽プロデューサーであり「伝説のA&R」として知られ、48歳の若さでこの世を去った吉田敬さん。彼の近くでA&Rとしての姿を見ていた黒岩利之氏が、吉田さんの人物像や仕事術に迫るノンフィクション『「桜」の追憶 伝説のA&R 吉田敬・伝』を刊行した。同書では、TUBE、コブクロ、絢香、Superfly、CHEMISTRY、the brilliant greenら、日本を代表するJ-POPアーティストのミリオンヒットを連発。いちからその才能を見出し、数多くのアーティストをトップまで成長させた吉田さんについて、黒岩氏が見聞きしたさまざまなエピソードがまとめられている。同書から、吉田さんへの思いをつづったイントロを紹介する。

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■「なんで、そんなに桜の歌が多いんですか?」

 音楽業界とは関係のない友人に、よく聞かれることがある。

 桜は冬の寒さを耐え忍び、春の訪れとともに、満開の花を咲かせ、やがて散っていく。その見事に咲き誇るピークと、散るときの潔さ、儚さが日本人の心象風景に絶妙にシンクロするので、桜をテーマにした名曲が多いのだと思う。

 そういう私見を友人に返しながら、僕が必ず思い出すのは、コブクロが歌う「桜」という曲だ。そして、その楽曲をヒットさせた僕の恩師、“敬さん”こと吉田敬さんとの日々だ。

 吉田敬(よしだたかし)1962年5月13日生まれ。1985年、慶応義塾大学卒業後CBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社。販促・宣伝畑を歩み、タイアップ担当として数々のドラマ主題歌や番組のテーマソングを獲得し、頭角を現す。1997年に「Tプロジェクト」を立ち上げTUBEのミリオンヒットに貢献。

 その後、the brilliant green、平井堅をトップアーティストに育て上げ、2001年38歳で分社化して誕生したデフスターレコーズの代表取締役に就任、CHEMISTRYをブレイクさせた後、2003年に外資系レコード会社ワーナーミュージック・ジャパンに電撃移籍し、代表取締役社長の職に就いた。

 コブクロ、絢香、Superflyを次々とブレイクさせ、業績を飛躍的に伸長させる。自らが先頭にたってヒットプロジェクトを牽引する伝説のA&Rマンというのが、音楽業界内に認知されている彼のプロフィールだ。そして2010年10月7日、48歳という若さでこの世を去った。

 元号は平成から令和に移り、音楽業界を取り巻く環境も劇的に変化を遂げた。CDパッケージの時代からサブスク(定額聞き放題配信サービス)の時代に変遷し、プロモーションの中心はインターネット上・SNSへと移行しつつある。

 敬さん……。(僕たちは「社長」などとは呼ばずに、いつも親しみを込めてそう呼んでいた)

 いまだに、いや今だからこそか。何かにつけて、心の声で自問自答する。

 敬さんだったら、この状況をどう分析するか?どう僕らに指示を出すか?そして自らどう動くのか、と。

 僕がこの原稿を書き始めることを決意した2022年の音楽業界は、実に「ざわざわ」した1年だった。「ざわざわしてる、してない」は、よく敬さんが、そのアーティスト・楽曲がヒットしそうな雰囲気を作れてるかどうかを僕らに問う際に使う象徴的な言葉だ。今でいうと、「バズる」という言葉に近いのかもしれない。

 SNSでの「バズり」をきっかけに音楽シーンに次々と彗星のごとく新たなアーティスト達が登場し、チャートを賑わしている。もちろん、ビッグ・アーティスト達もSNSを巧みに使いこなすことで、さらなるスマッシュヒットのきっかけをつかんだ。

 一方、タイアップヒットも健在で、コンテンツそのものとタイアップして、その相乗効果が社会現象となり、グローバルに波及した、映画『ONE P IECE FILM RED』ウタ(Ado)を筆頭に、秋クールでは王道のドラマ主題歌ヒットとして、研音所属の川口春奈が主演するドラマ『silent』の主題歌にOfficial髭男dism「Subtitle」が起用され大ヒットを果たす。

 もちろん、忘れてはならないトピックスに、11年ぶりのオリジナルアルバム『SOFTLY』をリリースした山下達郎が、パッケージが売れないといわれる時代にCD、LP、カセットを合わせて30万枚を超える出荷を達成したことも実に世間をざわつかせた出来事である。

 敬さん……

 現在の音楽業界も、敬さんの遺伝子を継ぐプレイヤー達が音楽業界をざわつかせ、様々な爪痕を残しましたよ。

 敬さんが、突然僕たちの前からいなくなってから13年の時間が経過した。当時の敬さんの年齢をとっくに越えてしまった僕たちは、未だ音楽業界を取り巻く荒波の中で揉まれ続けている。

 そんな2022年、僕はというと、4年半勤めた老舗音楽事務所スマイルカンパニーの代表取締役を退き、独立の道を選んだ。敬さんと共に闘ったレーベル名「デフスター」の「デフ」=(カッコいいの意味)の文字を冠した新会社、デフムーンを設立し、自分なりに新たな闘いを始めることとなった。

 敬さんの足跡、生きた時代、過ごした日々を僕なりに文章として残したい。文章は今まで、ほぼプレスリリースしか書いたことがなかったけれど、あの時の空気を少しでも今の時代に伝えられたら……。

 サブスクもSNSもない時代に、敬さんとともに、僕らが行ってきた音楽で世間をざわつかせた日々を新たな世代に伝えることができたら……。

 それが僕の次のミッションだと勝手に確信しました。

 かつて、敬さんとともにソニーミュージックからワーナーミュージック・ジャパンにチームごと移籍したのも束の間、新しい環境で結果を出せずに苦しんでる僕を見かねて、「持ち味出せてないから、好きなことをしろ」と宣伝企画という名のタイアップ部隊を作ることを許してもらったことがありましたね。

 「せっかく独立したんだから、好きなことをやってみろ」

 今回も背中を押してもらえませんか?

 僕が敬さんに出会ったのは、今から23年前の1999年、ソニーミュージックの宣伝部に配属され、TBSの担当になり、当時音楽情報番組として影響力のあった深夜番組『ワンダフル』にthe brilliant greenの新曲MVのメイキング風景の取材をブッキングする時だった。それから約10年間行動を共にすることになるが、僕が補完できない、その出会う前からの話を含め、業界の様々な人に取材し、その足跡を辿り、業績を顧みることで、僕たち音楽業界人がさらにもう一歩前に進むためのヒントを得たい。僕の知り得なかった敬さんに近づく旅を一歩ずつ始めていきたいと思う。

■著者・黒岩利之プロフィール
ソニーミュージック、ワーナーミュージック・ジャパンの宣伝畑を歩み、老舗音楽事務所スマイルカンパニーの代表を務めた後、独立。2022年に合同会社デフムーンを設立。宣伝コンサルタント業を営みながら、新人アーティストの発掘・プロデュースを行う。『「桜」の追憶』では、音楽業界で“伝説のA&R”と称された音楽プロデューサーである故・吉田敬さんの人物像や仕事術についてつづった。

■吉田敬プロフィール
1962年5月13日生まれ。85年、慶応義塾大学卒業後CBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社。販促・宣伝畑を歩み、タイアップ担当として数々のドラマ主題歌や番組のテーマソングを獲得し、頭角を現す。97年に「Tプロジェクト」を立ち上げTUBEのミリオンヒットに貢献。その後、the brilliant greenなどをトップアーティストに育て上げ、2000年38歳で分社化して誕生したデフスターレコーズの代表取締役に就任、CHEMISTRYをブレイクさせた後、03年に外資系レコード会社ワーナーミュージック・ジャパンに電撃移籍し、代表取締役社長の職に就いた。コブクロ、絢香、Superflyを次々とブレイクさせ、業績を飛躍的に伸長させる。自らが先頭にたってヒットプロジェクトを牽引する伝説のA&Rマンというのが、音楽業界内に認知されている彼のプロフィールだ。そして2010年10月7日、48歳という若さでこの世を去った。
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