ベガルタ仙台13年目の3・11 「これで燃えなかったらサッカー選手じゃない」想いを胸にJ1昇格へ

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2024年03月11日 10:51  webスポルティーバ

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 試合前に舞っていた雪は、キックオフを待っていたかのようにやんだ。ピッチに立つ選手たちの頭上では、雲のすき間に青空が広がっている。

 3月10日に行なわれたJ2リーグ第3節で、ベガルタ仙台がホーム開幕戦を迎えた。東日本大震災で被災したこのチームは、発災当日の3月11日の前後の試合がホームに設定される。震災の記憶を風化させない、大切な一日だ。

 試合前のタイムスケジュールに、特別なものはない。11年当時のメンバーがスタジアムを訪れるとか、メッセージが大型ビジョンに映し出されるといった演出は用意されていなかった。

 それで、いいのだろう。3月11日に近いホームゲームでユアテックスタジアム仙台に来れば、あの日抱いた思いが、あの日から忘れたことのない思いが、あの日からクラブが辿ってきた道のりが、人々の記憶のなかで輪郭を持つ。東日本大震災からの復興を誓うこの日は、ベガルタ仙台とともに過ごす日常の温もりを、あらためて確認する機会でもあるのだ。

 試合前には黙祷が捧げられた。東日本大震災とともに、令和6年能登半島地震の被災者へ向けた祈りでもあった。

 2022年からJ2で戦っている仙台は、今シーズンから森山佳郎監督のもとで戦っている。若年層の代表チームに長く携わってきた「ゴリさん」のもとで、アウェー2連戦で勝ち点4を持ち帰ってきた。

 大分トリニータとの開幕戦は1-1のドローで、V・ファーレン長崎との第2節は2-1で競り勝った。どちらもJ1昇格候補にあげられる相手であり、ベガルタはしぶとく、粘り強く、必要なら泥臭く戦った。「個の力」や「高度な戦術」が押し出されがちだった過去2シーズンと異なり、サッカーの原理原則を追求する姿勢が強く打ち出されている。「自分たちがやりたいこと」と、ひとつひとつの試合で「やるべきこと」が、しっかりと整理されているのだ。

【試合の行方に決定的な影響を及ぼした交代】

 復興応援試合と銘打たれた水戸ホーリーホックとの一戦でも、仙台は「やりたいこと」に偏らない。相手がハイプレスをしかけてくるとの分析に基づいて、DFラインから躊躇なくロングボールを入れていく。4-4-2のシステムで最前線に立つブラジル人FWエロンは長身ではなく、彼と縦関係に立つ中島元彦も地上戦を得意とするタイプだが、水戸のハイプレスを回避しながら不用意なボールロストを避ける意味では、現実的な対応だったと言える。

 0-0のまま試合が推移していくなかで、森山監督が交代カードを切ったのは62分である。エロンと2列目右サイドのオナイウ情滋を下げ、菅原龍之助と郷家友太を投入する。相手のハイプレスの圧力がやや落ちてきたところで、スピードを生かした突破が持ち味のオナイウから、パスの出し手にもなれる郷家へスイッチした。これが、試合の行方に決定的な影響を及ぼした。

 76分だった。自陣右サイドで右CB小出悠太がパスカットし、センターサークル付近の郷家へつなぐ。トラップが浮いてしまったものの、背番号11は迷うことなく左前のスペースへパスを通す。左MFの相良竜之介が、DFラインの背後へ抜け出していた。

 背番号14を着ける21歳は、胸トラップで前へ押し出したボールを右足でフィニッシュする。GKの頭上を破るループシュートが、ゴールネットに吸い込まれた。

「友太くんのボールの質と、あとはファーストタッチで決まったかなと。いいところにうまく置けて、GKの位置も見ながらうまく打てた。ループシュートは自信があるので、うまく入ってよかったです」

 1-0でリードする終盤は、水戸が長身FWを前線に並べてクロスを送り込んできた。森山監督はシステムを5-4-1へ変更し、試合終了のホイッスルを歓喜の瞬間とした。CBのマテウス・モラエスと知念哲矢を同時に投入するのは、2節の長崎戦でも見せた逃げきりのパターンである。

【震災当時の映像を見て気持ちがたかぶった】

「最後のほうは向こうも長いボールを含めて放り込んでくるということで、こちらも大きい選手をふたり入れて、殴るなら殴ってこいぐらいで、ゴール前にへばりついて守っていたような感じですけど、集中して身体を張って、最後の際のところで守れていた。ルヴァンカップも含めるとここまで3試合で喫した5失点すべてが後半の34分以降で、しかもすべてクロスからの失点でした。かなり振り返りもやって、映像上では確認をして臨んだので、そのへんのところも集中してできたのかなと思います」

 Jリーグで初めて采配をふるう56歳の指揮官は、シーズン初のクリーンシートを評価した。続けてホーム開幕戦の「熱」を勝因にあげた。

「バスで競技場へ入ってくる時に、とてつもない数のサポーターの方に、ものすごい声援で出迎えていただいて、こちらも胸が熱くなって。選手には、これで燃えなかったらサッカー選手じゃないよな、と話しました。

 宮城に、仙台に必要とされ、応援してもらえるクラブになるのが今年の一番の目標なので、サポーターのみなさんに喜んで帰ってもらえるために、全員が死力を尽くしたかなと」

 熊本県に生まれ、広島でキャリアを積んだ森山監督も、「3.11」を胸に刻んでいた。

「被災したクラブを代表して、3月11日の前日にホームゲームを戦う思いも確認して、2011年の震災後のベガルタのリーグ再開初戦、川崎フロンターレ戦の逆転勝利の映像を選手たちに見せて......。

 サポーターのみなさんの思いとか、選手たちの眼に見えない力を動かすとか、そういうところもベガルタのよさというか、それを出していきたいというところでは、少しは見せることができて、サポーターの方々にもちょっとは元気を与えることができたのかなあ、と思います」

 決勝点をあげた相良は、佐賀県出身である。サガン鳥栖の育成組織を経てプロになった彼も、震災当時の映像に心を震わせた。

「試合前のミーティングで震災の動画というか、そういうのを監督から見せてもらって、気持ちがたかぶりました。いろいろな人たちに感動を与えたいと思って試合に臨みました。それが結果につながってよかったです」

【13年前を思い返すことで絆を深め合う日】

 仙台のジュニアユースで育った郷家も、「今日は何としても勝ちたかった」と振り返る。「ゼロゼロの状況で入ったので、勝ちを手繰り寄せようという思いでやりました」と話した。落ち着いた言葉に、チームを背負うとの芯が通っていた。

 ユースから昇格した入団2年目の工藤蒼生は、プロとして初めてユアスタのピッチに立った。「ホームで絶対に勝ちたい、ファン・サポーターと喜びを分かち合いたいという思いだったので、とてもうれしいです」と勝利を噛み締める。そして、2011年を踏まえて自らの立場に触れた。

「あの時は、スタンドで勇気とか元気を与えられた側でした。今回はしっかりと勝つことで、ファン・サポーターのみなさんや、震災にいろいろな思いがある人に、勇気とか元気を届けられたのかなと思います」

 13年前のあの日を思い返すことで、クラブと、チームと、ファン・サポーターが、絆を深め合う。森山監督のもとで一体感を高めているチームを、どんな時でも支えていく。クラブに関わる誰もが、そうした日々の行き先にJ1昇格があると願っている。

このニュースに関するつぶやき

  • 相良がゴールした後に、ユアスタのサポート達が歌ったのが「スタンディング仙台」で、その歌詞に「きっかけはお前のゴール」ってあるんだよね。
    • イイネ!9
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