前川ほまれ × 駒木結衣『藍色時刻の君たちは』対談 「被災地出身の自分にしか書けないこともあるのではないか」

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2024年03月11日 17:00  リアルサウンド

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 現役の看護師でもある作家・前川ほまれの小説『藍色時刻の君たちは』(東京創元社)が、第14回山田風太郎賞を受賞するなど各所から高い評価を得ている。自身の出身地でもある宮城県の港町を舞台に、ヤングケアラーの高校生3人が2011年の東日本大震災に直面する姿と、それから10年余りが過ぎた2022年に彼女/彼らが東京で再会するまでを描いた作品だ。人が人を支えることの難しさと尊さを描き出した内容は、今なお困難の最中にある能登半島の被災地をはじめ、これから起こりうるさまざまな災害に寄り添う意味でも、有意義な一つの視座を与えてくれる作品だ。


参考:川出正樹が語る、翻訳ミステリ50年の受容史 『ミステリ・ライブラリ・インヴェスティゲーション』インタビュー


 リアルサウンド ブックでは、著者と同じく宮城県の港町出身で、現在はウェザーニュース気象キャスター・防災士として活躍する駒木結衣との対談を企画。2011年の東日本大震災発生当時、ちょうど地元を離れていたために津波被害に遭うことはなかったものの、今なお心残りがあるというふたりが大切にしていることとは。3.11を改めて考えるための機会としてほしい。(編集部)


■前川「被災地出身の自分にしか書けないこともあるのではないか」


駒木:最初にこの小説を読んでこみあげてきたのは「なつかしさ」でした。もちろん、描かれているテーマは、震災とヤングケアラーという胸にずしんとくるもので、いろいろ考えさせられることも多かったのですが、舞台となる宮城県の港町の情景が、石巻で小学校6年間を過ごした私にはとても馴染み深いもので……。製紙工場の煙や、海沿いのちょっと生臭い潮風、独特の言葉の訛りがとてもなつかしく、ああ、これは私の日常と地続きの話なんだ、とも感じられました。


前川:僕自身も宮城の港町出身で、震災についていつか書きたいと、デビューしたてのころからインタビューでも話していたんです。今作を書こうと思ったきっかけは、看護師として働く職場でヤングケアラーに出会ったのがきっかけですが、ふりかえってみれば高校時代、家族を長時間サポートしている同級生がいたんですよね。それで、主人公を海沿いの町に住んでいることにしようと思い立ち、震災を書くことにもつながっていきました。


ーー本作の主人公は三人の高校生。統合失調症の母を世話する、祖父と三人暮らしの小羽(こはね)。双極性障害の祖母を介護する、父と三人暮らしの航平。アルコール依存症の母と幼い弟と暮らす凛子です。


前川:ヤングケアラーという言葉がここ数年で浸透したことで、周囲が窮状に気づきやすくなったり、制度にも動きがあり、利点はもちろんあるんですが、一方で本人の気持ちが置き去りになっている場合が多いのを感じています。家族をサポートしなくてはいけない理由もさまざまですし、介護に束縛されるから、イコール親を嫌いになるというわけでもない。むしろ愛しているからこそ複雑な感情が芽生えてしまうことも多く、凛子のように自立できないきょうだいがいれば、簡単に手を離すこともできない。三者三様の家族を通じて、一面的なラベリングがされることを避けたかったんです。


駒木:ここまで当事者のみなさんのしんどさを鮮明に描いた作品に触れたのは初めてでした。おっしゃるとおり、一口にヤングケアラーといっても、さまざまなケースがあるのだということがわかりましたし、すべてを理解することは難しくても、まず「知る」ことが私たちにはもっともっと必要なのだなと思います。


前川:臨床の現場に立っていると、どうしても患者さんばかりに目が向きがちなんですよね。でもあたりまえですが、患者さんの事情がそれぞれ異なるように、ご家族の置かれた状況も一つとして同じではない。ヤングケアラーとの出会いを通じて、自分の人生を自分で選択して生きていいんだよ、と伝えたくなったことも、今作を書くきっかけの一つです。


■駒木「痛みを抱える人たちの支えになる」


駒木:三人に手を差し伸べる、青葉さんという女性がいますよね。ちょっと訳アリの、不思議な女性ですが、彼女が小羽に言った「いつかちゃんと、手を離しなさいね」というセリフが忘れられません。頭では理解していても、家族ってやっぱり、簡単には断ち切れない関係じゃないですか。どうすれば良い形で手を離し、それぞれが自分の人生を生きることができるのか、社会全体が考えられる仕組みがもっとあったらいいのに、と思いましたし、それを私たち一人ひとりが考えていかなくてはいけないんだなと。


前川:三人の過酷な日常に、少し強引にでもいいから光を差し込んでくれる存在がいてくれたら、という想いから生まれた登場人物が青葉さんでした。おっしゃるとおり、家族って、連絡先を消したらそれで終わる関係とは違い、同じ屋根の下に暮らしている以上は、どうしても距離をとることができない。そういうとき、必要になるのが第三者の介入であったり、ワンクッションをおくことなんだろうな、と。


駒木:いったん距離を置く、というのが難しい間柄であるからこそ、しなければいけないんでしょうね。どうしても人は、身内のことになると頼らず無理をしてしまうし、まわりもなかなか介入しづらい。でもときには「私にゆだねてよ」って強引にでも手を差し伸べることが必要なんだなと思いました。


前川:あと、先ほどの発言と重複しますが、ヤングケアラーとひとくくりにしても、その心情はさまざま。「かわいそうな子たち」とイメージを押し付けるようなことだけは絶対にしたくなかったんです。だから青葉さんは、小羽と航平、凛子の前ではそれぞれ見せている顔が少しずつ違う。一人ひとりにちゃんと向き合って気持ちを汲んでくれる人として描きたかった。


駒木:共感という言葉を使うのはおこがましいですが、家族のなかで、誰か一人でも時間が止まってしまった人がいると、先が見えないトンネルの暗闇に迷い込んだような気持ちになってしまうのは、少し、わかる気がするんです。というのも、震災後、石巻の病院で働いた父が、傷つきすぎてしまった結果、二年ほど、自宅で療養していたことがあるんです。本作で描かれる三人は、出口の見えない現実を必死でもがき続けていて、さらに震災という途方もない絶望に襲われて……それでも青葉さんを通じて最後に希望を描いてくださったこの小説は、痛みを抱える人たちの支えになるんじゃないかと思いました。状況は違っても、絶望にどう向き合えばいいのか、乗り越えていけばいいのかのヒントになるんじゃないのかな、と。


前川:ありがとうございます。正直、書くうえでは迷いもあったんです。というのも、ヤングケアラーとしての彼らの人生は、くしくも震災を経て中断してしまうわけですね。ある意味で解放されたわけだけど、それは決して「よかった」ことではない。いろいろと思うところのある読者の方もいらっしゃるだろうなと思いましたが、被災地出身の自分にしか書けないこともあるのではないかと、今回は覚悟を決めました。


■駒木「地元のことを伝えていく姿勢を大事にしていきたい」


ーー本作は2011年に震災が起きるまでを描いた第一部と、2022年に大人になった三人が東京で再会する第二部とに分かれています。


前川:震災を経た今、当時はヤングケアラーだった子たちはどう成長したのかという姿を、変化した被災地の街並みと重ねて描いてみたくもありました。それに、資料を読んだりいろんな方にお話をうかがったりしていると、親のサポートを終えても悩み苦しんでいるケースはたくさんある。現状をどうにかするだけでなく、その後もふくめ、中長期的にサポートすることが必要なのだということも、物語にこめたかったことです。


駒木:震災「後」が描かれたことで、「忘れない」ことがすべてじゃないんだなということを痛感しました。たとえば凛子ちゃんは、一生懸命忘れようとすることでどうにか前を向くことができている。風化させたいんだ、って彼女の言葉に、ああそうか、と胸が衝かれる思いがしました。3.11の時期が近づくと「忘れない」という言葉が頻繁に使われるけれど、そのせいで痛みから抜け出せずにいる人もいるのだということも、ちゃんと心にとどめておかなくてはいけないのだ、と。でもそれは、前川さんが津波の現実を真正面から、しっかり描いてくださったからだとも思います。実際に人がどんなふうに飲み込まれていったのか、水を含んだご遺体がどんなふうに膨張したのか……。なかなか想像だけでは及ばないこと、なんとなく知ったような気になっていることを伝えてくれるから、簡単に「忘れるな」とは言えなくなってしまう。


前川:僕自身は、3.11のときは東京にいたので、当時の資料をかなり読み込んで書いたものなんです。当事者ではなかったからこそ、そのとき何が起きたのか、ちゃんと知りたいという思いもあって。


駒木:私も、震災当時は仙台市内にいて、津波を経験してはいないんです。だから石巻の友人たちとはどこか壁を感じてしまっている自分がいて……。自分だけが安全な場所にいた、まぬがれてしまった申し訳なさがぬぐいきれないんですよね。前川さんにも同じ思いがあるのかな、とあとがきを読んでも感じたのですが。


前川:ありますね。ぬぐいきれない、罪悪感はずっとありました。その瞬間、僕が被災地にいたところで何もできなかったと思うんですけど、それでも、東京で何をすることもできなかった自分に対する嫌悪というのは定期的に感じます。だからこそ震災を書くことに慎重になっていた……というか、書きたいという思いはありながら、どんなふうに書けばいいのかずっとわかりませんでした。ノンフィクションではなく小説で、ただのフックとして扱うのではなく、当時の人々の想いをちゃんと伝えるものにするにはどうしたらいいのか、って。


駒木:その想いに小説を通じて触れて、私も気が引き締まりました。仕事柄、地震や津波についてのニュースに触れる場面もあるんですが、いつも、こみあげる気持ちをぐっとこらえながら、淡々と伝えるようにしていたんです。でも、自分の罪悪感からも逃げないで、地元のことを伝えていく姿勢を大事にしていきたいなと思います。


前川:小説にも書いたことですが、痛みの向き合い方は人それぞれでいいと思うんです。当時を知りたい人は知ればいいし、語りたい人は語ればいい。ただ、防災の観点からいうと、駒木さんのような立場の方がニュースを通じて、折に触れて振り返ってくださるのは、重要なことなんじゃないかなと思います。


駒木:難しいですよね。凛子ちゃんのように、忘れなければ生きていけない人もいるけれど、本当に忘れてしまってはいけない。一方で、小羽ちゃんは、津波の直前で別れ別れになった青葉さんのことをずっと覚えて、探しているけれど、体験を身近な人に語ることはなかなかできなかったりするじゃないですか。私の父も、そうでした。先ほど話したとおり、当時の父は石巻の病院で働いていて、次々と運ばれてくるご遺体が廊下に積み重なっていくのを目の当たりにしているんですね。「本当に言葉では言い表せない」と言っただけで、それ以上は何も語ろうとしません。家族の間でも触れないまま、十年が経ちました。だけど小羽ちゃんが、同居の渚ちゃん(義理の妹)にぽろっとこぼすシーンを読んだとき、時間の経過によっていつか話せる時がくるのかもしれない。でもこなかったとしても、それはそれでいいのかもしれない、と思いました。


前川:難しいですよね。どうしても人は、自分の営みを続けていかなくてはならないし、そのためにメンタルのバランスを保つことも重要ですから。


■前川「過去を乗り越えたとしても、大なり小なり悩みを抱えている」


駒木:航平くんは、わりとさらっと話すタイプの子でしたね。それも、意図的に書き分けたのでしょうか。


前川:はい。これもまた、いろんなかたちがあっていいと思いました。正解なんてないし、個人として向き合っていければそれでいいんだよ、ということを書きたくて。


駒木:再会した航平くんが、また違う過酷な状況に身を置かれていて、驚きました。でも、ひとつ辛いことを経験したらそれでおしまいってわけにはいかないのも、人生なんですよね。この小説には、LGBTについての描写もあって、震災とヤングケアラーにとどまらず、社会全体について考えさせられることも多かったです。


前川:セクシャルマイノリティを、特別なものとして描きたくなくて。カミングアウトの有無を踏まえても、きっとあなた達の周囲にいるよって感じで描きたかったんです。震災とヤングケアラーについての小説だから、それ以外の事象については描かないなんてこともないし、ふつうに存在して、ふつうに生きているなかで、結婚できないとか偏見にさらされるとか、生きづらさを抱えることがあるということを、並行して描きました。


ーーそれは最初におっしゃっていた、一面的にラベリングしない、という思いとも重なりますね。被災者だから、ヤングケアラーだからといって、画一的に存在している人なんて一人もいないのだと。


前川:そうですね。過去を乗り越えたとしても、今は今でみんな、それぞれ大なり小なり悩みを抱えている。それがあるからこそ、人の個性は生まれるのだと思います。


駒木:すごく印象に残っている場面があるんです。震災が起きた日の夜に、避難所で小羽ちゃんが「星、凄いね」とつぶやきますよね。あれはきっと、多くの人が感じたことなんじゃないかと思います。停電して、まっくらで、悲しみと絶望のなか、星だけが冷酷にも輝いている。あの光景は、仙台にいた私の目にも焼き付いていて、今でも忘れられません。石巻や女川、三陸では、星を見る余裕なんてなかった方々のほうが多かったとも思うのですが、それでも夜空を見上げて、星になった人たちの輝きにも重ねて、いろんなことを思ったんじゃないのかな……と。


前川:先ほども言ったとおり、僕は海沿いの町に住んでいて、小さいころからしょっちゅう海に行っていたんですけど、日没や夜明け、早朝のきれいに色づいている空が心象風景のように残っているんです。東京と宮城では空が違う、と青葉さんが言う場面もありますが、それは僕自身の実感としてもあって。主人公たちの「大人でも子供でもない年齢」と「日没でも日の出でもない空の色」を重ねて、タイトルは最初に『ブルーアワー』とつけていました。最終的には人生の時刻を重ねて『藍色時刻の君たちは』と。


駒木:この小説で描かれた、陽がのぼる直前の希望は多くの人たちの心を救ってくれると思います。読ませていただき、本当にありがとうございました。


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