木村大作キャメラマン、『鉄道員(ぽっぽや)』ロケ地で上映会に参加 廃線決まるも「町の人たちの元気が無くらないよう頑張ってほしい」

2

2024年03月23日 17:00  ORICON NEWS

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

ORICON NEWS

映画『鉄道員(ぽっぽや)』の上映イベントに参加し当時お世話になった幾寅婦人会の皆様と共に駅舎をバックに木村大作キャメラマン (C)東映
 キャメラマンの木村大作が23日、北海道空知郡南富良野町の南富良野町保健福祉センターみなくるで映画『鉄道員(ぽっぽや)』の上映&講演に参加した。

【写真】『鉄道員(ぽっぽや)』ポスター前で取材を受ける木村大作キャメラマン

 『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台となった幾寅駅は、3月31日をもって廃線が決定している。121年の駅の歴史を閉じるのに当たって、幾寅駅の魅力を振り返り、町民の心に思い出を刻もうと南富良野町企画課まちづくりプロジェクト推進室がこの上映会と木村の講演を企画した。

 幾寅駅は25年前に町の方々の協力のもと高倉健さんらが『鉄道員(ぽっぽや)』のロケ撮影(1999年1月17日〜30日)を行なった駅。本来駅名は「幾寅駅」だが駅舎には「幌舞駅」という劇中の駅名が撮影時のまま掲げられている。奇しくも廃線寸前の駅という映画の内容と現実が同じ運命をたどってしまうことになった。

 2016年に台風被害を受けた後、幾寅駅の線路には一度も列車が走ることはなく、復旧の目処もつかないままの廃線になってしまった。列車が走ることがなくなっても駅舎内には高倉健さんが劇中で着用した「駅長のコート」をはじめ小道具や関連する品々が飾られていて、さながら『鉄道員(ぽっぽや)』記念館に、日本全国、アジアを中心とした海外の方々も年間4万人も訪れる観光地となっていた。幾寅駅には駅舎の他に、撮影の為だけに建てられたセットが3つ、今でも残っている。本来なら撮影が終わったら壊すもので、冬の雪の重みにも耐えられるようには作られていない。しかし、どうしてもこのロケセットを残したいという町役場の方の強い熱意で残すことが決まった。毎年11月下旬から4月まで積もる雪の重みにも耐えてきた。廃線が決まった際、普通なら駅舎を含め壊すが、地元の方の熱い思いから駅舎を含め3つのロケセットもこのまま維持していくことになった。

 木村は、上映前に集まった幾寅婦人会の方と駅舎の前で写真を撮りながら昔話に花を咲かせた。婦人会の方々はロケ撮影中、毎日ボランティアで食事作りに協力し、昼食に提供された手作りのイモ団子は、高倉健さんも「おいしい!」と言っていた。ジャガイモをゆでて潰して片栗粉とねり、焼いた素朴なものだが、地元のジャガイモを使い、熱々のところにバターを塗って食べるのは極寒のロケの最中には特に美味しく感じられたようで、高倉さんは東京に戻ってからもこの味が忘れられなかったという。この日も婦人会会長の後藤さんの手作りのイモ団子が木村に振る舞われた。婦人会の方々は雨の日も、風の日も、雪の日も毎日駅を清掃、高倉健さんの命日には毎年、祭壇を設け、イモ団子やコーヒーを供えたり、木村が文化功労者に選ばれた時は、駅舎の中におめでとうの幕を掲示し一緒になって喜んでくれるなど、常に『鉄道員(ぽっぽや)』とともに歩んで来てくれた方々だ。

 この日、上映会に集まったのは主に南富良野町の人たちだが、遠く広島や埼玉などからも駆けつけた130人が鑑賞した。冒頭、南富良野町の高橋秀樹町長のあいさつに続いて木村さんの登壇となった。

■木村大作コメント
 撮影当時は59歳。そこから25年経った今、高倉さん、降旗監督ら当時のスタッフ、キャストも鬼籍に入ってしまい、生き残っている自分が「この映画を語り継ぎたい」と本日来させていただいた。当初、この企画に難色を示していた高倉さんだったが、自分にできることは先行してロケハンして準備することだと、2週間ほど北海道中をトラックで自ら運転してたどり着いたのが幾寅駅だった。幾寅駅は駅舎より線路が高いところにあり、乗客は階段を登ってホームから列車に乗り込む。幾寅駅に決めた理由は、この階段が高倉健や登場人物の心情を表すから。映画公開から25年、その後初めて駅舎に訪れた。当時駅舎の周りにはコンクリートの電柱が3本あった。撮影するのは映り込むのが必至だったので、J R北海道や電力会社にお願いして、木の電柱に変えてもらった。その木の電柱が今でもそのままあった!(前日、東京から飛行機で新千歳空港着、列車と車を乗り継いで4時間かけて南富良野町に到着したが)本当に遠いな!でもこの駅を選んだのは俺だった!(笑)。

 廃線はとても残念だが、今の世の中、仕方のないこと。ただ、列車が通らなくなると廃れてしまう駅を今までたくさん見た。高倉健さんの出演映画は北海道でのロケが多く34本を数えるがその中でも鉄道とのつながりは特に多い。『駅ステーション』の増毛駅、『幸福の黄色いハンカチ』夕張など廃線になってしまった駅も多い。列車が通らなくなると街は廃れてしまいがちだが、町の人たちの元気が無くらないよう頑張ってほしい。駅舎とロケセットを残すことも決めてくれたことは本当にうれしいし、ありがたい。

 エキストラで出演した女性は、当時幾寅駅の乗客の一人として参加した際に持っていた鞄を持参し、高倉健さんから「協力、ありがとう」と言われたことが本当にうれしかったと語った。公開前に撮影協力のお礼として監督の降旗康男さん、高倉健さん、小林稔侍さんが記念の植樹を行なったブンゲンストウヒがそびえ立っている。夏には葉が銀白色になり耐寒性が高いことから選ばれた杉の一種。育ったこの木は今でも駅舎を見守っている。

このニュースに関するつぶやき

  • また廃線か。JRも私鉄も人を運ぶことしか考えていない。本来、鉄道のメリットは物流だろう。先人が日本中に張り巡らした鉄道網を今使わなくていつ使う?
    • イイネ!0
    • コメント 0件

つぶやき一覧へ(2件)

ニュース設定