俗に「目の錯覚」とも言われる、視覚に関する錯覚のことを、とくに「錯視」といいます。「錯視」が起こるわけを研究すると、脳のしくみを知ることもできるのです。今回は、特に有名な錯視を例に、解説しましょう。
「ミュラーリヤー錯視」は、なぜ2つの棒が違う長さに見えるのか?
心理学の分野では、いろいろな錯視に関する図形が考案・研究されてきましたが、その中でもっとも有名なのは「ミュラーリヤー錯視」ではないでしょうか。ドイツの心理学者であるフランツ・カール・ミュラーリヤー(Franz Carl Müller-Lyer)が120年以上前に発表したもので、非常に古くから知られているので、多くの人がどこかで見たことがあると思います。
下に示したのは、オリジナルを少しアレンジしたものですが、さっそく見てみてください。
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オリジナルの図形はすべて黒で描かれていますが、ここでは説明しやすいように、注目してほしいところを赤色にしています。
上下段に2つ図形が描いてあり、赤く示した線分の両端に内向き(上段)または外向き(下段)の矢羽がついていますね。さて、上段と下段の赤い線分の長さを比べてください。どちらが長いでしょうか。
既に答えを知っている方も多いでしょうが、実は上下段の赤い線分の長さはまったく同じです。それにもかかわらず、下段の方が長く見えませんか。
知らなかったという方が「同じだ」と明かされて見直しても、やっぱり下段の方が長く思えてしまうはずです。同じ長さだと信じられない方は、両端についた矢羽を隠してみるか、ものさしを使って赤い線分の長さを測ってみてください。
この錯視はどうして起こるのでしょうか。全容は解明されていませんが、現在のところもっとも有力視されているのは、1963年にイギリス・ケンブリッジ大学のリチャード・グレゴリーが発表した解釈です。
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グレゴリーの説明によれば、矢羽が加わることで、私たちの脳は、この図形を「三次元的」に認識するようです。具体的には、次の図のように考えられます。
左に示したように、紙を蛇腹のように折りたたんだ状態を想像してください。
両端に内向きの斜め線が入ったところの線分は、山折りになっていて手前の方にあるとみなせます。一方、両端に外向きの斜め線が入ったところの線分は、谷折りになっていて奥の方にあるとみなせます。
左の図の各部分を切り離し、赤い線分の長さをそろえて描きなおしたのが右図です。
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この習性が影響して、「同じ大きさに見える線分であっても、山折りになっていて手前の方にある線分よりも、谷折りで奥の方にある線分の方が実際には長いだろう」と脳が判断するせいで、ミュラーリヤー錯視が起こるのだと説明できます。
ミュラーリヤー錯視はシンプルですが、無意識のうちに、遠近を考慮して実物の大きさを推定しようとする、脳のしくみのすごさがわかる錯視図形なのです。
阿部 和穂プロフィール
薬学博士・大学薬学部教授。東京大学薬学部卒業後、同大学院薬学系研究科修士課程修了。東京大学薬学部助手、米国ソーク研究所博士研究員等を経て、現在は武蔵野大学薬学部教授として教鞭をとる。専門である脳科学・医薬分野に関し、新聞・雑誌への寄稿、生涯学習講座や市民大学での講演などを通じ、幅広く情報発信を行っている。(文:阿部 和穂(脳科学者・医薬研究者))