キュレーターの存在なぜ注目される?『現代美術キュレーター10のギモン』難波祐子氏に聞く、アートの本質

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2024年03月31日 12:00  リアルサウンド

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  ここ最近、アート以外の分野でキュレーションという言葉をよく耳にするようになってきた。「何らかのジャンルの情報を収集・整理して、それを共有していくこと」をキュレーションと呼ぶようになったのは、ここ10年のことだろうか。


   元々の意味するキュレーションとは、美術展覧会のコンセプトを考え、形にしていくこと。「言葉はひとり歩きしていますが、キュレーションが果たす役割の認知度が高まったことで、その担い手としてのキュレーターの仕事が広くビジネスパーソンの間でも話題になっています」そう教えてくれたのは、国内外でさまざまな展覧会企画に携わるキュレーターであり『現代美術キュレーター10のギモン』(青弓社)を上梓した難波祐子氏。


  ロンドンでキュレーションを学び、美術業界を生き抜いてきた彼女が語る、キュレーターのリアル。そして、そのスキルがなぜ一般の人々に注目されているのか、聞いてみた。


■キュレーターってそもそも何をする人?

──近年、キュレーターへの関心が高まっています。


難波:そうですね。特に2000年代に入ってからIT用語として広まって、今やファッションやフードのキュレーターもいますし、ウェブなどで展開するキュレーションマガジンなどもあります。美術のジャンルを超えて、私が知っているキュレーションとは違う方向に言葉がひとり歩きしているようにも感じます。


──元々のキュレーターの意味とは?


難波:本来のラテン語の意味は、英語のcare(ケア)などの語源と同じcurare(クラレ)(=手当てする、世話をする)。転じて作品を管理する人のこと。国家資格である美術館、博物館、動物園、植物園などの学芸員は、英訳すると “Curator ”ですが、日本でカタカナで“キュレーター”と記した場合、現代美術の展覧会を企画する人という使われ方が多いですね。


──海外でも同じですか。


難波:欧米は分業制なので、キュレーターの役割は企画・展示をする部分。ただ日本では、助成金の申請から作品の集荷返却、諸々の事務作業も含めて何でもやらなくちゃいけない。“雑芸員”などと揶揄されたりすることもありますが。リサーチに基づいてコンセプトのアイデア出しから始まり、作品を選定したり、アーティストと一緒に展覧会を作り込んでいくことがキュレーターの根幹。そうイギリスの大学院で教育を受けてきたのですが、帰国して公立の美術館に就職したとき、まずその違いがカルチャーショックでした。私が知っているキュレーターと日本の学芸員は違っていたし、一方で学芸員はキュレーターに対して興行師のような印象を抱いていたと思います。特に2000年代初頭の日本の美術業界では、学芸員といわゆるキュレーターの間に温度差がありました。


──当時の日本は、キュレーターという職業自体、確立してなかったんですね。


難波:今では、日本でも美術館以外でおこなわれる芸術祭やアートプロジェクトがたくさん企画されることが多くなってきて、現場における中間人材、つまり社会とアートの繋ぎ手の必要性がやっと認識されてきましたね。


──キュレーターがもてはやされる現状をどう感じますか?


難波:キュレーターは本来黒子的な立場であったと思うんですけど、90年代以降から「スター・キュレーター」と呼ばれる人たちも登場してきました。アーティストの何をどう伝えるべきかを取りまとめる責任はキュレーターにあるので、スポットがあたること自体は悪いとは思いません。ただ個人的には、あくまでも主役はアーティストとお客さん、という軸はブレないようにしたいとは思っています。


──良い流れではあると。


難波:国内外問わずキュレーターの賃金はとても薄給。学芸員もそうだし、フリーランスはもっと少ない。ひと昔前なら日本の美術館で展覧会をしても、アーティストへのフィーの支払いすらなかったんです。フリーランスのキュレーターなんてもっとなかったり。輸送費や設営費には予算がつくのに、目に見えない知的労働や事務仕事は予算がつかなかった。キュレーターが世の中に認知されたことで、待遇面もプラスに働いていくことを願っていますが……。


■展覧会は、「ただやりたいから」では通用しない

──展覧会における、キュレーターの役割とは?


難波:あるコンセプトのもとに、どんなアーティストや作品を選定して、どう見せていくか。どこで開催して誰に何を届けたいのかを考え、その環境をしつらえていく(準備をする)こと。ただやりたいからやるという甘い世界ではないんです。私自身は展覧会を企画する時に“展覧会の必然性”とよく言うんですけど、「なぜその展覧会を今、この場所でやる必要があるのか」、その意味付けがないといけません。展覧会自体お金も時間もかかりますし、それこそ公立の美術館でやるとしたら都民や市民の血税。


  なかには家が一軒建つようなお金を使って開催するものもありますから、その説明責任を果たさないといけない。展覧会を通して、何らかの言説を生み出し、それを観た人にとって何か小さな気づきや発見、喜びなどが得られる場になることが大事です。いろいろな考えのキュレーターがいますが、私個人はそう思っています。


──そこがキュレーターの腕の見せどころ。


難波:はい。アーティストの個展でさえキュレーターによって切り口が違ってきますので、グループ展となればキュレーターの個性もさまざま。他のキュレーターの展覧会を観て、私ならこうするのにと思うこともありますし、逆に思わぬ発見をもたらしてくれるものもあって、勉強になることが多いです。


──キュレーターに求められるスキルは何ですか。


難波:当然、美術史の知識は求められますし、現代美術に限っていえば、多くの人と協働しながら展覧会を作るので、コミュニケーションスキルがないと難しい。プラクティカルな面でいえば、日本だけで仕事をするわけではないので最低限英語ができないと厳しいと思います。そして、日本の美術館に就職したいなら、学芸員の資格が必要。キュレーターなら資格はいらないので、キュレーターと名乗れば今日から誰もがキュレーター……ではありますが、実績がないとフリーランスで続けていくのがしんどいのは間違いありません。ただでさえ食べていこうと思うと大変な職業ですから。


──そもそも近代美術と現代美術の違いは?


難波:一般的に現代美術というのは1945年以降、つまり第二次世界大戦以降のものを指します。例えば東京都現代美術館では戦後から現在に至るまでの作品が展示されていますが、戦前の美術のコレクションもあり、定義はあいまいです。また、現代美術=コンテンポラリーアート。つまり同時代の美術という意味でもあるので、始まりは戦後でも、終わりはずっと常に「今」。第一、近代美術もルネッサンス美術もその当時は「現代」美術だったわけですから。


──近代と現代。キュレーターとしての役割の違いはありますか?


難波:もちろん同じ役割はあるし、違う部分もあります。現代美術の特徴としては、多くのアーティストが現役で活動していること。基本的な仕事は近代・現代共に変わりませんが、現代美術の場合、アーティストと一緒に「新しく作る」作業も加わります。そこが元々ある絵や彫刻などの作品をリサーチして展覧会を作る近代美術までのキュレーションと大きく違うところですね。


──アーティストとの協働作業だと。


難波:社会と関わりあうような作品を作るアーティストも増えています。参加型や誰かに寄り添って地域コミュニティの人たちなどと一緒に作るものもあります。最近では古美術と現代美術を組み合わせる展覧会や、科学と美術など異分野を横断する展覧会もあります。今や現代美術でキュレーターが求められる役割は本当に幅広くて、1人が網羅的にすべてを担うのは至難の業でしょうね。


■1本の展覧会で、人生が変わることがある


──アートの魅力とはなんでしょう。


難波:なんでアートなの? と言われると難しいのですが、私はアートにしか成しえないことがあると信じています。正直、展覧会100本を見ても、自分の心にピンとくるものは1本や2本あったらいいほう。ただその1本に出会えると、人生を変えてしまう力がアートや展覧会にはあって……現に私は変えられちゃいましたから(笑)。私がキュレーターを目指すきっかけになったアメリカのアーティスト、ビル・ヴィオラのある作品……その1回の出会いの余韻が今も続いているんです。


──1本の展覧会、1枚の絵で人生が変わることがあるんですね。


難波:はい。ただ、出会うためには機会をたくさん作らなくてはいけません。作品の存在をどうやって知るかといえば、やはり展覧会。きっかけを作る仕事は大事です。じゃないと、アーティストが皆自分のスタジオで作って終わることになってしまうので。


──ネットで配信するアーティストも増えています。


難波:確かにオンラインやVRを使った作品は進化していると思いますが、まだリアルな空間に追いつくのは難しいというのが正直な感想です。それはコロナ禍のときに感じました。やはりネット中継では我慢できないんですよね。空気感や匂い、作品との距離、色などは、モニター越しからでは吸収できません。特に現代美術は視覚だけではなく、音や身体全体を使って楽しむものがたくさんあります。それを手触りのないもので再現するのはまだ難しいのかなと。


──なぜ、人はアートを求めるのでしょう。


難波:現実としては、経済状況が悪化すると、予算が削られるときはまっさきにアートで、そんなことよりも衣食住が大事だよね、と……。当然そうなんですけど、アートは人間が作って、人間が楽しむもの。とても人間臭い行為。辛いときでも人は歌うし、画材など何もなくても砂に絵を描いたりしますよね。人類はそうやって生きてきたので。


──アートに触れる欲求は根源的なもの?


難波:自分で描き溜めて満足しているアーティストもたくさんいるなかで、それをみんなで共有したい欲求ってありますよね。それでお腹いっぱいになるわけではないけど、感動したり泣いたり、楽しくなったりする。人間関係で悩んでいる人の気が楽になったりとか。日常から非日常に踏み込むきっかけは、アートがくれる何事にも代えがたいものではないかと。


■キュレーションスキルは社会に役立つのか


──キュレーションスキルは、ビジネスで役立ちますか?


難波:私は現在、大学で社会人にも向けて開講しているキュレーションにかかわる授業を担当しているのですが、実はたくさんのビジネスパーソンが受講を希望してくるんです。意外な気がするのですが。


──その理由はなんでしょう。


難波:社会人と大学生がチームとなって有楽町の街なかで展覧会を行う授業をやったのですが、現代美術のアーティストと一緒に作ることは、社会人の方々にとってかなり刺激的な体験だったようです。どこまでがキュレーターの裁量で、どこまでがアーティストの領域なのか……そのへんは戸惑いながらも、展覧会を作れたことがよかったと。みんな目をキラキラ輝かせて取り組んで、なかには有休をとって設営に来る方もいました。


──その経験がビジネスにフィードバックされる。


難波:そうでもありますし、単純に楽しいという理由もあるのではないでしょうか。この問題の根本には、日本の美術教育のあり方が関係していると思います。本物そっくりに「上手に」描きましょうとか、太陽なら赤く塗りましょう、みたいな古い時代の教育を受けてビジネスパーソンになった世代の人たちにとっては、「クリエイティブな思考でいい」というのは戸惑いつつも楽しいことなんだと思います。


──アートですら、決められたことに従うように教育された影響もあるのでしょうか。


難波:たとえば、金沢21世紀美術館は、明確な順路表示がないんです。ただ、順路表示がないとお客さんからクレームがくることもあるそうで。日本人は順路を示してくれたほうが安心するのかもしれません。歴史の授業を例に挙げれば、年号を一生懸命暗記させる日本の教育に対して、第二次世界大戦がなぜ起こったのかなどを考えさせるのが欧米式。日本も徐々にアクティブラーニングになってきていますけど、美術に関していえば、自分で考えて判断するきっかけとして展覧会があると思うし、キュレーターはその機会を創出する触媒的な役割(ミディエイター)を担っていると思います。


──社会におけるアートの役割はありますか?  たとえば災害時など。


難波:難しい問題ですね。震災もコロナ禍もそうですが、悲惨な事態にどう対応するかはアーティストでも意見がわかれるところだと思います。すぐ現地に行ってアクションをおこす人もれば、しばらくは何も考えられない人もいる。坂茂さんが阪神・淡路大震災をきっかけに、災害者支援として段ボールで仮設住宅を作りましたが、建築家やデザイナーなどプラクティカルなクリエーションをしている人のほうが現場にすぐ対応できるのでしょう。コロナ禍ならマスクをデザインするとか。


──実用的なことなら行動に移しやすいです。


難波:ただ現代美術は、ある程度抽象化していくプロセスがないと距離が近すぎて……。すぐに役に立つようなものではないと思います。コソボ紛争のときに、現地の難民キャンプに行って子どもたちと一緒に絵を描くワークショップをする活動がありましたが、基本的にはアートの力で何かをやろうというのは短期的にはなかなか難しいと感じています。


──何かしらメッセージを伝えるのも難しいですか?


難波:世の中が危機的な状況にある時にアートになんらかのメッセージを込める活動は、一歩間違えればプロパガンダとなってしまう危険性をはらんでいます。もちろん、政治的なアートがいけないわけではなく、必要なときには必要な手段としてやるべき。特に現代美術のアーティストは境界線に挑んできた歴史があり、そこは否定するつもりはありません。ただやり方を間違えると、第二次世界大戦中のナチズムのように極端なナショナリズムに加担するなど、危険をはらんでいるのも確かです。アートが役に立たないとは言いませんが、役に立つように使い過ぎるのも問題だと思っています。そういう意味では、適度な距離感というものを取りづらいのがアートの特性なのかもしれません。


■最後は直感を信じる!

──キュレーターの視点から、アートの楽しみ方のアドバイスを。


難波:直感を信じる(笑)。心を開いて、直感に従ってほしいですね。


──アートを「理解できる・できない」はさほど気にしなくていい?


難波:はい。アートってすぐに結果が出るものではないんです。観た瞬間に感動するときもありますけど、10年してからふと思い出して理解できることも。好き嫌い関係なく、心にどこかひっかかりがあれば、やがておりが溜まっていくように、腑に落ちることがあります。


──まずは展覧会に足を運んでほしいということですね。


難波:ピピっときたら、迷わず行ってみたほうがいい。会期が短い展覧会もありますし。面倒ですが、展覧会は足を運んでいかないと観られないですし、無理して行っても後悔する可能性もありますけど……それすら楽しんでほしい(笑)。アートはたくさん数に触れるのが大事。経験値が積まれ場数を踏んでくると、直感も磨かれていくはずなので。


──直感が磨かれる。それこそアートから学べるスキルかもしれません。


難波:私もキュレーターとして直感を重視しています。たとえば2枚の同じような絵があって、どちらかを展示しなくてはいけないときは、最後は直感で選びます。私自身は、たくさんの展覧会を作れるタイプのキュレーターではないので、生涯10本でも納得できる企画ができたらいいと思っています。ピカソみたいにたくさん描く画家もいれば、フェルメールみたいに作品が数十作しかない画家もいる。それぞれのやり方を貫いていけばいいと思います。



難波祐子(なんば・さちこ)



キュレーター。NAMBA SACHIKO ART OFFICE代表。東京藝術大学キュレーション教育研究センター特任准教授。東京都現代美術館学芸員、国際交流基金文化事業部企画役(美術担当)を経て、国内外で現代美術の展覧会企画に関わる。 企画した主な展覧会に「こどものにわ」(東京都現代美術館、2010年)、「呼吸する環礁―モルディブ-日本現代美術展」(モルディブ国立美術館、マレ、2012年)、「大巻伸嗣 – 地平線のゆくえ」(弘前れんが倉庫美術館、青森、2023年)など。また坂本龍一の大規模インスタレーション作品を包括的に紹介する展覧会(2021年:M WOODS/北京、23年:M WOODS/成都、24年:東京都現代美術館)のキュレーターを務める。札幌国際芸術祭2014プロジェクト・マネージャー(学芸担当)、ヨコハマ・パラトリエンナーレ2014キュレーター。著書に『現代美術キュレーターという仕事』、『現代美術キュレーター・ハンドブック』『現代美術キュレーター10のギモン』(すべて青弓社)など。


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