「このままでは邦楽は“浮世絵”になってしまう」音楽史をひも解いて見えたJ-POPのユニークさ<みのミュージック>

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2024年04月02日 16:11  日刊SPA!

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YouTubeチャンネル「みのミュージック」のみのさん
 YOASOBIの「アイドル」やCreepy Nutsの「Bling-Bang-Bang-Born」が世界的にヒットしている。サブスク全盛で海外の音楽ファンもJ-POPを楽しめる時代になった。しかし、日本人は自国のポップス史についてどれぐらい知っているのだろうか? 海外のファンに説明できるほど音楽のヒストリーを共有できているのだろうか?
 そんな危機感にかられて、『にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』(KADOKAWA)を上梓したのが、音楽評論家でチャンネル登録者数44万人超を誇る「みのミュージック」で知られるみの氏(@lucaspoulshock)だ。J-POPとは何か? また音楽から浮かび上がる日本とはどんな国なのだろうか? 存分に語っていただいたインタビューの前編。

◆邦楽が「浮世絵」のようになるのは避けたい

―――『にほんのうた』は縄文時代から現代までの大衆音楽を振り返る大著です。改めて執筆に至る問題意識と動機についてお聞かせください。

みの:2019年から運営しているYouTubeチャンネル「みのミュージック」で解説などをしていく中で、最初はカジュアルに話していたものが、徐々に評論の領域とオーバーラップしていく感覚があったんですね。そこで専門的に勉強していったときに、邦楽史をひとまとめに振り返られる資料がないことに気づいたんですよ。

 サブスクの時代になって邦楽が海外のファンに聞かれるようになるのは素晴らしいけれども、一方で日本人が自分たちの歴史を知らないままグローバルな音楽のヒストリーに合流していくのは危うい。かつての浮世絵のように、日本国内であまり評価されていなかったものが海外で評価され、逆輸入的にムーブメントになるなんて事態は避けたい。そんな気持ちから、誰もやらないんだったら自分が書こうと決めたわけです。

◆フリッパーズ・ギター、山下達郎、服部良一

―――今日はその中でもJ-POPにクローズアップしたいと思います。本書には、明治時代の文部官僚の伊澤修二が中心となり音楽教育も西洋化へとかじを切る様子がダイナミックに記されています。<いわば国家レベルで、日本人の音感を変えようとする巨大事業である。>(p.88)と書いていますが、日本語を五線譜にはめ込むことで生まれた“ねじれ”を前提とするJ-POPが海外のヒットチャートへ進出していく時代になりました。これは日本人の洋楽に対する感性や受容の仕方が洗練されていったと理解していいのでしょうか? それとももっと複雑になってガラパゴス化の道をたどっているのでしょうか?

みの:基本的に国内の傾向はガラパゴスだと思っています。J-POPの歴史を見ていくと、常に2つのグループが並走しているんですね。ひとつは、最先端の洋楽を解析して翻訳する。マーケティング用語でいう、“アーリーアダプター”的なミュージシャンですね。たとえばフリッパーズ・ギター、山下達郎、さらに昔なら服部良一のような人たちです。もうひとつは、アーリーアダプターが解析した洋楽をより歌謡曲に寄せて大成功を収める人たち。基本的にはこの2本立てなんですね。

 ただ、それでも最終的に日本人に訴えかける音楽性は極めてガラパゴス的なものに収斂していく傾向にあると思っています。そのガラパゴス的なものが海外のリスナーに違和感なく受け入れられるようになったのは、単純に海外の人たちが日本的な歌謡っぽさのツボを理解し始めたからなのではないでしょうか。日本人が洋楽的な作曲を得意とするようになったというよりは、海外の人が日本の味付けを楽しめるようになったという感じですね。

◆J-POPのユニークさの「正体」

―――なるほど。「ガラパゴスに収斂されていく」というご指摘で、J-POP好きで知られるマーティー・フリードマン(元メガデスのギタリスト)の「J-POPには“ふつうはこんな曲の展開はしないよね”というのがたくさんある」という言葉を思い出しました。みのさんはマーティーさんの言うJ-POPのおかしさやユニークさはどこにあると考えていますか?

みの:それは僕なりに明確な答えがあります。基本的に日本語はリズムにおいて躍動感を出すのに向いていないんですね。一方、英語には子音がたくさん含まれていて小刻みにリズムを刻むことができる。だからシンプルなリフレインでもリズムが立っていて、コード4つだけとかを繰り返しても気持ちいいポップスが成立する。だけど、日本語だとせいぜいリズムを半拍前か後ろにずらすぐらいの味付けしかできないんですよ。

 でも、ビートルズの「Let It Be」みたいに短いフレーズを繰り返すだけのサビは日本語では難しいんだけど、逆に一節が長いうねりを持って、感動の波を大きくしていくような方向にJ-POPは進化したと捉えています。その中で、マーティーさんが指摘されたように、ジャズ的なコードや部分転調とかディミニッシュとかオーギュメントとか、そういったスパイスの効いたコードがたくさん出てくる方向に進化したのです。

◆リアルな日本人の感覚が反映されている

―――1個の大きなうねりのメロディが感動を呼ぶ。これはJ-POPのアドバンテージであると同時に、歌詞がひとつの文章としてメロディと一緒に伝わりにくいという難しさも抱えていると思います。西洋のメロディとハーモニーに日本語をはめ込むこと、そしてその困難を経験することはJ-POPの進化の過程でメリットだった、それともデメリットの部分もあったと考えますか?

みの:そうですねぇ……。西洋の音楽が入ってきたことでそもそも日本人のアイデンティティみたいなものがかなり希薄になっているのではないかとか、あるいは西洋こそが等身大の表現をできているんだとかいう感覚に陥りがちなんですけど、そういうことは全くない。日本人の等身大の感覚として、和洋折衷、そして同化している生活を送っているわけです。和洋、どちらに振り切っても違和感があるわけですよね。

 温泉に行ってよかったと思ったりすることはあっても、ずっと着物を着て生活している人もいない、そういうリアルな日本人の感覚が反映されているのが今日の邦楽のあり方だと思うので、そこに明治期の歪みが色濃く残っているかというと僕はそうではないと思います。そういう歪みが大きかった時期はもちろんあるんですけど、だんだんと消化されていって、今は等身大のところに落ち着いているのではないでしょうか。

◆最先端の流行を翻訳するK-POPと、独自進化のJ-POP

―――今の話でいうと、最近のアメリカのヒット曲の中には、ハリー・スタイルズやアリアナ・グランデのようにちょっとJ-POPっぽいメロディやコードが出てきますよね。リズムの反復の気持ちよさよりも、一節のうねりの感動を伝える曲が増えてきました。西洋の側から見ると、逆輸入といった感じなのかもしれません。

みの:うん、なんかそういう展開は、たとえばK-POPみたいに最先端の流行を翻訳して国内でうまくそれに寄せて作って出していく方法だと、成果として表れないものじゃないですか。だから日本国内で独自進化を遂げられたのは非常にいいことですね。

―――西洋化の歪みが消化されていき、等身大の創作としてのJ-POPが欧米のアーティストに影響を与えている。みのさんのお話をうかがって、大衆音楽における近代化の到達点が宇多田ヒカルなのではないかと思いました。かなりアクロバティックに日本語の歌詞をはめ込むソングライティングをどうご覧になっていますか?

みの:徐々に洋楽的な手法が浸透していく中で、子音とかを細かく切って反復で気持ちよくさせるやり方をきっちり最初に提示したうちの一人が宇多田でしょう。ポップスにおける言語感覚のリズムの部分の回答は、彼女の出現で決着したと思いますね。

◆“桑田佳祐モデル”というコンセプト

―――宇多田ヒカルが示したソングライター的な視点に加えて、みのさんは“桑田佳祐モデル”というコンセプトも提言されています。具体的なソングライティングの方法論というよりも、洋楽に対する姿勢ですね。<ヒット性を保ちつつ、その枠内で最大限の音楽的冒険を行うことを矜持とした。>(p.321)と書かれていますが、具体的な方法論ではなく精神性が作品にあらわれる現象も、また日本的だなと思いました。

みの:サザンオールスターズの後に続くバンドで色々明示されていますけれども、音楽性のジャンルが違っても、アティチュードの面で共通しているのはすごく日本的ですよね。でも、いわゆるビートルズ的な音楽的な実験をしつつヒット曲も出すという形を日本でやろうとしたときに、ビートルズがやった形そのものは日本風に翻訳できないわけです。

 それをCharやゴダイゴなどが探っている中で、サザンオールスターズ、桑田佳祐が“ここまではやっていいよ”という限界を明確に見せてくれたんですね。それ以上行ってしまうとアングラ扱いされてお茶の間に出てこられなくなるよ、と。でも、やっぱりロックってギリギリのところまでアクセスしようとするエネルギーにみんな魅力を感じるんですよね。だけど、そこで桑田は“一旦ここまでだよ”という決まり事を楽曲の中で教えてくれたんです。

◆「自ら西洋化にかじを切った国は日本だけ」

―――日本なりのポップスが独自の進化を遂げた例として、宇多田ヒカルと桑田佳祐を挙げていただきましたが、そうしたユニークな音楽が生まれてきた背景には何があったと考えますか?

みの:結局、西洋化するという決断を自ら進んでした国って世界史的に日本だけじゃないかと思うんですよね。他のケースは押し付けられたか植民地化の過程でやむを得ずそうなったという感じでしょう。思いっきり西洋化にかじを切ってみようとしたのは日本ぐらいですね。自らの意志による選択だからこそ、西洋とは何かをちゃんと考えられるのはあるかもしれません。

<取材・文/石黒隆之 撮影/山田耕司>

【みの】
1990年シアトル生まれ、千葉育ち。2015年に3人ユニット「カリスマブラザーズ」を結成。2019年より独立し、YouTubeチャンネル「みのミュージック」を開設。現在、チャンネル登録者数は43万人を超える。また、ロックバンド「ミノタウロス」としても活躍。2021年より、Apple Musicのラジオ番組「Tokyo Highway Radio」のDJを担当している。著書に『戦いの音楽史 逆境を越え 世界を制した 20世紀ポップスの物語』、『にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』(ともにKADOKAWA)がある

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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