NGT48本間日陽が4月13日に卒業コンサートを開催!「2回目のシングルセンターに立てた達成感で卒業を決めました」

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2024年04月06日 12:50  週プレNEWS

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卒業コンサートをひかえた本間日陽

新潟県を拠点に活動するアイドルグループ「NGT48」の本間日陽(ほんま・ひなた)が4月13日(土)に卒業コンサート(新潟県民会館大ホール)を開催する。その前に約8年半のアイドル活動やグループの同期、後輩たちへの思いを語ってくれた。

【画像】NGT48のセンター本間日陽

――卒業間近ですが、本間さんのことを知らない方のためにNGT48に入ったきっかけから教えてもらえますか?

本間 小学1年生からクラシックバレエをやっていて、将来はステージに立つ人になりたいって思っていました。アイドルも好きだったので、その道もどうかなと思っていたら、中学3年生の冬に地元の新潟にNGT48ができるって聞いて、絶対に受けようって決めました。

――どんなアイドルが好きだったんですか?

本間 ミニモニ。さんからスタートして、小学生のときはAKB48さんの『ヘビローテーション』を友達と振りコピしていました。アイドルさんのキラキラしている姿を見て、いいなー、かわいいなー、楽しそうだなーって自然と憧れていきましたね。

――NGT48の前は何かオーディションを受けたりしたんですか?

本間 実はAKB48さんのチーム8オーディションを受けていて、最終の3人まで残ったんです。それでテレビにちょっとだけ私の姿が映って、地元の友達にバレちゃって(苦笑)。先生からは「アイドルなんて......」って、当時の自分にとってはかなりグサッと刺さる言葉を言われ。

やっぱりアイドルなんか目指さないで、勉強を頑張って、大学に行った方がいいのかなって。でもNGT48ができるって発表されて、やっぱりアイドルを諦められない、最後まで自分の力で挑戦してみようって。

――NGT48がダメだったら、東京に出てアイドルをやろうとか思った?

本間 それはなかったです。新潟で自分の夢を叶えられるなら、両親も納得してくれるんじゃないかって。

そもそもオーディションの件で両親と大ゲンカしちゃって。最終審査の日程と、学校の海外研修がバッティングしてしまったんです。その研修に行かないと、大学への推薦の単位が取れなくなるっていう、将来を左右する一か八かの選択だったんです。私はNGT48にかけてみたい思いが強かったので、ボロボロに泣きながら両親を説得して、やっと掴んだチャンスだったので本当に合格してよかったです。

――約8年半在籍して、辞めたくなったことはありました?

本間 なかったですね。悩むこともありましたけど、自分で選んだ道だし、それぐらいの試練がなくちゃ、楽しくないかなって思っていて。

同期の中井りかちゃんが卒業するときに、加入した頃の話をしたんですけど、「日陽と初めて会ったとき、目をキラキラさせて合宿楽しみだねって言われた」って話していて。加入してすぐに10日間ぐらいの合宿があったんですけど、朝から晩まで同じ曲を練習し続けるような地獄の特訓で(苦笑)。今だったら絶対できないと思うんですけど、当時、私はそういうアイドルの厳しい合宿の映像を見て憧れていたので、苦痛と思わず、ワクワクしていたんだなって(笑)。

――あの厳しいレッスンを私もできるんだみたいな(笑)。本当にいいアイドル人生でしたね。

本間 私は48グループが合っていたんだなって。各地に姉妹グループがあって、小さい頃から見てきた偉大な先輩たちの背中があって。選抜総選挙で選抜メンバーにランクインさせてもらったことによって、先輩からたくさんのものが得られて。NGT48ではそれを後輩に伝える作業をして。

――何を受け取ったんですか?

本間 一番変わったなって思うのはグループ全体のことを考えるようになりました。加入したてのころは何がなんでもセンターになってやるっていう、今考えたら、ちょっと怖いぐらいのセンターへの思いがあって。でも総選挙で選抜に入ったときに先輩たちは、48グループをどう世間の皆さんに知ってもらおうとか、どうやったらもっと好きになってもらえるかとか考えていて。

――NGT48のセンターに立ったときは、プレッシャーを感じました?

本間 シングルの売り上げの数字は気にしていましたし、ファンの皆さんにこれからも応援し続けてもらうためにはどうしたらいいんだろうって永遠に考えていました。

――センターに立った曲の売り上げが下がったら、この人のせいで下がったってSNSや掲示板に書く人がいますからね。

本間 そうなんですよ。10代のときはネットの書き込みにすごい左右されたりして、でも20代になって、やっと気にせずに自分の考えを尊重できるようになりました。

――4月13日に卒業されますね。

本間 私はグループに加入したときからずっとお芝居をやりたいという思いがあって。目標としている先輩は川栄李奈さんなんですけど、20歳のときにグループを卒業されて、映画、ドラマ、舞台など活躍されているのを見て、なんとなく20歳っていう区切りが自分の中にあったんです。それまでに自分の立ち位置を確立して、自分のやりたいことを活動に活かせる立場まで、のぼり詰めようと。でもいざ、20歳になってみると、まだグループでできることがたくさんあるなって。そこからは自分の目標のためと、NGT48のハイブリット型で活動させていただいていました。

――卒業を決心したのは?

本間 シングルのセンターに立ってからも、ソロ公演、ソロコンサートをやらせていただいて。しばらくは後輩を支えるという役割に徹していたんですけど、一昨年に新潟民放4局合同ドラマ『夜明け前の彼女たち』の主演をやらせていただいたんです。そこでドラマと連動したシングル『渡り鳥たちに空は見えない』のセンターに立たせてもらって。2回目のシングルセンターに立てたという達成感があって、ファンの方にその曲を披露して、やり切れた感がありました。

――そのときから考えていたんですね。肩の荷がおりたんじゃないですか? 

本間 そうですね。1回目のセンターに立ったときは新しいグループを見せて、自分がグループを引っ張っていく姿で安心させたい思いがあったんです。2回目はプレッシャーや重荷とかすべて肩から落ちて、楽しんでセンターに立っていましたね。

――本間さんが卒業して同期のメンバー3人が残ります。

本間 同期の存在って年数を重ねれば重ねるほど貴重なものだなって実感していて。ちょっと前に同期が立て続けに卒業したことがあって、私は舞台に出ていて卒業公演に出れず、卒業を見送れなかったんですよ。そんな私を同期は暖かく迎え入れてくれて、すごく心に沁みたんです。アイドルという職業に就いたからこそ、出会えた仲間ではあるんですけど、今は切磋琢磨する以上の関係性になれているなって。

――後輩へ伝えたいことはありますか?

本間 アイドルという職業を憧れだけ終わらせるのではなくて、自分の夢を実現する場所にして欲しいなって思いがすごくあります。


――本間さんがNGT48で活動してきて嬉しかったことはありますか?

本間 初めて「朱鷺メッセ 新潟コンベンションセンター」でコンサートができたときは本当に嬉しかったです。加入当時から大きいステージでパフォーマンスすることを目標にしていたので、決まったときはすごくドキドキして、めちゃくちゃ嬉しかったです。

――逆に悔しかったことはありますか?

本間 10代の頃は曲が出るたびに序列を気にしていました。初めて楽曲を頂いた『Maxとき315号』で自分の歌割りを見たときは「あ、いま自分はこのポジションなんだ」って。目指していた場所が高かったからこそ、悔しかったです。

――本間さんは悔しい感情や表情をあまり見せてこなかったような?

本間 ネガティブなことを発信したくないという思いが強かったんだと思います。私はファンの方がステージを見て、楽しいとか、明日も頑張ろうって思ってもらえるようにしたいって理想があって。だからこそ、自分の悔しい気持ちやもどかしい気持ちは、どうファンの方に伝えたらいいのかなって。

――ファンは悔しいとかつらい姿を見ると、もっと応援しようって思っちゃうんですよね。じゃあ、そのときはどうしていたんですか?

本間 会員制のメールがあるんですけど、めちゃくちゃ長文にして、今の気持ちを伝えたり、握手会で「次はもっと前のポジションに行きたい」って話したり、少しずつですけど、ファンの方に伝えるようにしていました。

――ステージ上で涙を流すこともなかったんですか?

本間 2020年にTDCホールで行われた「NGT48選抜メンバーコンサート〜TDC選抜、合宿にて決定。初めての経験〜」かな? 初めてステージ上で泣いて、ファンの方にすごく驚かれました。それだけ思いのこもったステージだったんだねって言ってくれることも多かったですし、自分自身もそんな泣くとは思っていなかったから、初めての経験で戸惑いました(苦笑)。

――卒業コンサートでは泣いちゃいますかね。

本間 いやー、泣きたくないですね。でも20歳を越えてから涙腺が弱くなって......。以前に北原里英さんがテレビで甲子園のダイジェストを見て泣いていて、なんでそんな泣けるんだろうって。でも今ならその気持ちがわかります(苦笑)。

――今後の展開は?

本間 お芝居を中心にやっていきたいなっていうのもあるんですけど。やっぱり新潟で生まれ育って、アイドルをしてきたのもあって、その活動の中で地元・村上市のスペシャルアンバサダーという役職をいただいたんです。これからも地元での活動も引き続き、頑張っていきたいなって思っています。

――最後にメッセージをお願いします。

本間 NGT48で私を見つけてくださって本当に感謝の気持ちでいっぱいです。卒業して終わり、ではなくて、新しいスタート地点だと思っているので、さらに活躍していくかっこいい姿を皆さんにお見せできたらいいなって思います。どんな人が見ても誇りに思ってもらえる存在になれるように、ここからさらに頑張ります!

本間日陽(ほんま・ひなた)
1999年11月10日生まれ、新潟県村上市出身。
血液型=B型 nickname=ひなたん 
2015年にNGT48の一期生としてデビュー。2018年4月リリース3rdシングル「春はどこから来るのか?」で表題曲初センターに抜擢。2022年12月リリースNGT48 8thシングル「渡り鳥たちに空は見えない」では表題曲2度目のセンターを務めるなど、エースとしてグループを牽引。卒業コンサートの翌日(4月14日)より本間日陽ファンクラブがオープン!
公式X【@hinata_homma】
公式Instagram【@hinata_homma1110】

取材・文/林 将勝 撮影/武田敏将

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