『ホールデン・コモドア』国際交流戦に現れ、快走したオーストラリアンV8【忘れがたき銘車たち】

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2024年04月23日 16:00  AUTOSPORT web

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1986年の全日本ツーリングカー選手権第5戦インターTECをアラン・グライス、グレアム・クロスビーのドライブで戦ったHOLDEN COMMODORE VK。
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、富士スピードウェイで開催された“インターTEC”に参戦したグループAマシン『ホールデン・コモドア』です。

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 1985年、富士スピードウェイを舞台に初めてインターTECが開催された。

 このインターTECは、グループA規定の車両で競われた全日本ツーリングカー選手権(JTC)の一戦であったとともに、ボルボ240TやジャガーXJSなど海外のグループAレースを戦う外国車たちが来襲し、日本車にその実力差を見せつけるなど、グループAマシンの国際交流戦としておおいに盛り上がったレースでもあった。

 今回紹介するホールデン・コモドアも、そんなインターTECにやってきた舶来のグループAマシンである。

 コモドアはゼネラル・モータース(GM)の子会社であるオーストラリアのホールデンが生産していたセダン/ワゴン。グループAレースに参戦したのは、VK型のSSというホールデン・ディーラー・チーム(HDT)が製作したセダンだった。

 OHVでキャブレターという旧式ながら5.0リッターという大排気量エンジンを搭載していたこともあり、車重も重く、ボディサイズも大柄だったが、1986年のヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)では上位に食い込む活躍も見せていた。

 そんな同1986年、コモドアは来日してインターTECへと参戦。2台がエントリーし、そのうちの1台がレース終盤まで2番手を走り、前年インターTEC勝者であるボルボを追走。ライバルを驚かせた。

 しかし、チェッカー目前に左フロントタイヤが脱輪。そのままの状態でなんとかフィニッシュしたが、最終的には5位という結果に終わった。

 翌1987年は日本のプライベーターが前年のインターTECを戦ったHDTのワークスマシンを購入し、JTCにフル参戦するプランもあったが、結局はインターTECのみにエントリー。結果はリタイアに終わっている。

 前述の通り、決して最新式とは言えないメカニズムを持ち、車重も規定重量を大きく上回る重量であるなど、レーシングカーとしてはデメリットも多い車両であったコモドア。しかし、5.0リッターV8が放つビックパワーを武器に快走した侮り難いグループAマシンでもあった。

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