佐藤琢磨が日本人初のインディカーウイナーとして殿堂入り。初優勝の地ロングビーチに記念板が埋め込まれる

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2024年04月24日 03:20  AUTOSPORT web

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殿堂入りセレモニーに参加した佐藤琢磨。同じく殿堂入りとなったキャサリン・レッグ(右)も参加した
 2024年NTTインディカー・シリーズの第2戦が開催されたカリフォルニア州ロングビーチにて、ロングビーチGPの殿堂入りセレモニー(Long Beach Motorsports Walk of Fame)が行われ、佐藤琢磨が日本人ドライバーとして初めて殿堂入りの表彰を受けた。

 殿堂入りの理由として2013年のロングビーチGPにおいて、日本人ドライバーとして初めてアメリカンオープンホイールのトップクラスで優勝したことに加え、2017年と2020年の2度のインディアナポリス500マイルレース(インディ500)優勝と2004年のF1アメリカGPでの3位入賞と、アメリカのモータースポーツにおける顕著な活躍が評価されたものだ。

 殿堂入りの証として、ロングビーチGPの会場において約20Kgもある琢磨のプラーク(記念板)が埋め込まれる。また同日には、イギリス人女性ドライバーのキャサリン・レッグも同時に表彰された。

 当日会場に招かれた琢磨はスピーチを促され、「殿堂入りを出来たことについて、とても光栄に思います」と壇上で語った。

「2013年当時のAJフォイトレーシング、14号車のドライバーであったことをとても誇りに思いますし、歴史的にも雰囲気も素晴らしいこのロングビーチで初優勝を挙げられたことは忘れることはできないでしょう」

 2013年4月21日。もうあのロングビーチから11年も経ったのかと思うと感慨深い。

 琢磨がF1からインディカーに来て4年目だった。2010〜11年をKVレーシング、2012年をレイホール・レターマン・ラニガンを戦っていた琢磨は、ポールポジションや表彰台は獲得していたものの、まだ未勝利でいた。

 2012年インディ500でファイナルラップのアタックを見たAJフォイトが、それ以来猛烈なラブコールで琢磨をAJフォイトレーシングに迎え入れていた。

 2013年チーム移籍のシーズンオフテストから琢磨が好調だった。ベテランエンジニアのドン・ハリディとの息もぴったりで、何年もコンビを組んでいたような雰囲気さえあった。

 新しくなったファイアストンタイヤの特性をいち早く掴み、セブリングのテストでトップタイムを叩き出した琢磨は、開幕戦のセントピータースバーグでもフロントロウを獲得していた。

 第3戦ロングビーチでは予選4番手2列目のグリッドを獲得し、朝のウォームアップでもトップタイムをマークした。

 スタートではあえてブラックタイヤ(ハード)を選択した琢磨は、レースを有利に運び、後半のレッドタイヤに替えてからも2番手のグラハム・レイホールに大差をつけて、見事初勝利を飾った。

 この勝利以来、ロングビーチでは“ブラックスタート”がトレンドになってもいる。今回のレースでも、表彰台に上がったのは揃ってこの作戦を取ったドライバーたちだ。

 80周のレースを終え、拳を天に突き上げながらパルクフェルメに戻ってきた琢磨。ヘルメットを脱ぐと満面の笑顔でコクピットに立ち、日の丸を両手を掲げた。日本人ドライバー、インディカー初優勝の瞬間だった。

 表彰台では、レイホールと今は亡きジャスティン・ウィルソンという長身のふたりから、シャワーのようにシャンパンを浴びせられていたのが印象的だった。パルクフェルメで手にした日の丸を表彰台でも、場内一周のパレードでも、記者会見でもずっと手から離さないでいた。

 琢磨は殿堂入りのスピーチで「90年のヒロ松下選手以来、日本の先輩ドライバーがアメリカンオープンホイールに挑戦し続けて、僕がある。今もまだ走り続けるつもりだし、今年のインディ500に挑戦します」とマイクの前で語った。

 今も現役で走りる続ける琢磨だが、その記念すべきアメリカでの1勝目は、本人とともに彼をサポートし続けたチーム、関係者、そしてファンとともに思い出に残る1勝だった。

 琢磨のプラークは永遠にこのロングビーチに刻み込まれた。それは日本人ドライバーがアメリカのモータースポーツに挑戦し続けた証でもある。

 琢磨は最後に「今日は当時の14号車のエンジニアやクルーたちと、久しぶりに集まって、ここでディナーをしようと思います」と琢磨らしい時間の過ごし方だと思った。あの優勝以来、AJフォイトレーシングは勝利を挙げられていない。

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