「上皇さまのおかげ」宮本亞門、要再検査通知をスルー後に発覚した前立腺がん“全摘”の背景

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2024年04月28日 17:10  週刊女性PRIME

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宮本亞門

「まさか自分はがんにはならないだろうという気持ちがあったので、悔しかったし、すごくショッキングでした。自分のことを過信しすぎていたんです」

 と言うのは、演出家の宮本亞門さん(66)。

 がんが見つかったきっかけは、2019年に出演した健康番組『名医のTHE太鼓判!』(TBS系)で、人間ドックを受診し、前立腺に影が確認された。急きょNTT東日本関東病院で精密検査を受け、前立腺がんと診断されている。

要再検査の通知は2度あった

 前立腺がんは男性の罹患(りかん)率トップのがんで、50代から増え始める。早期の場合は自覚症状が出にくいのが特徴で、彼もまた、

「ちょっと尿が出にくいなと思うことがあったくらい。でも年を重ねればそうなるものだろうと思っていたんですよね。痛みも違和感も何もなく、突然の診断で狐(きつね)につままれたような気分でした」

 と振り返る。しかし、今思えば確かにサインはあった。定期的に受診していた人間ドックで、「要再検査」の警告を2度にわたり受けている。

「PSA(前立腺特異抗原)の数値が高く、がんの可能性もあると思いますので再検査を受けたほうがいい、と書いてありました。でも僕はそれほど深刻に受け止めてはなくて、きっと食べすぎだとか、軽い注意程度だろうと受け流していて。

 ちょうどそのころ仕事が忙しく、元気を出さなきゃとステーキばかり食べていたことがあったので、そういう意味では心当たりがあって。ストレスがたまっていた時期でもありました」

診断後、壮絶な孤独を感じた期間

 前立腺がんの診断後、さらに他へ転移がないか検査を進めることに。最終的な結果が下されるまでのこの期間は「魔の不安定期間」といわれ、精神的なダメージを受ける患者も少なくない。宮本さんもまた不安な時間を過ごしたと語る。

「みんな僕にどう接していいかわからなくて、その緊張感がどんと自分に向けられた。広い宇宙に一人ぽんと放り出されたような気分で、壮絶な孤独を感じた瞬間でした。

 僕自身もなかなか覚悟がつかず、部屋で1人ずっとネットを見てはいろいろ想像をして、どんどんマイナスのほうに考えを巡らせてしまう。やめようと思っても、思考がぐるぐる回り続けて止まらない。それが2週間近く続きました」

 検査の結果、他に転移はなく、最終的にステージ3になりかけのステージ2と告知を受けた。「魔の不安定期間」から解放されたのはそのときで、「ようやく目標ができた気がしました」と話す。医師の言葉も背中を押した。

「がんになって余命のカウントダウンをするような気持ちになっていた僕に、先生は明るく『亞門さん、これからですよ、一緒に頑張りましょう!』と言ってくれた。あの言葉をかけられたときのうれしさというのはもう格別でした」

 医師の説明によると、がん細胞が薄皮まんじゅうのような皮で包まれていて、今にもあふれ出しそうな状態にあるという。まだぎりぎり早期がんの段階ではあるものの、あまり悩んでいる時間は残されていない、ということだった。

 放射線療法と手術療法という2つの選択肢が突きつけられた。おのおのメリットもあればデメリットもある。セカンドオピニオンとして、放射線療法の専門病院も訪ねている。

「手術療法は勃起不全や尿漏れなどの後遺症が考えられるという。一方放射線療法は後遺症は少ないけれど、男性ホルモンを抑制する薬を投与することで、感情的に不安定になったり、弱気になったりすることがあるというお話でした。

 演出家というのは物事を冷静に判断しなければいけない仕事で、感情が上下していたら務まらない。今は演出家が灰皿を投げたらおしまいな時代だし(笑)、何より人を傷つけたくはなかったから」

上皇さまのおかげで希望が持てた

 最終的に選んだのは全摘出。前立腺と精嚢(せいのう)という、精子を機能させる部分を手術により摘除する。後遺症を含め、男性には大きな決断だが──。

「最初はもちろん迷いました。そんなとき、上皇さまが天皇陛下でいらしたころにやはり全摘出されていたのを知って。術後すぐ被災地に行かれ、膝をついてみなさんを勇気づけられていた。

 なんてすごいのだろうと胸を打たれました、自分は何を迷っているんだと、こんな小さなことで悩んでいる場合じゃないと、自分で自分に言い聞かせました」

 医師のすすめもあり、手術は手術支援ロボット「ダヴィンチ」による摘出を行っている。米軍が戦場にいる負傷兵の手術をするために開発された技術で、遠隔操作による精密な施術が可能になるという。

「日本ではまだ珍しかったのかもしれません。先生はがぜん乗り気で、『亞門さん、やりましょう、やりましょう!』と笑顔で言われて(笑)。実際どんなものかと思ったら、ガランとした部屋に1人で寝かされ、先生はコックピットの向こう側でゴーグルをつけて操作されている。まるで宇宙船のような雰囲気です。

 マネージャーをはじめ、みんながコックピット側から手術の画面を共有して見ていたそうです。先生が操作しながら、『ここはこうなっていますから』と逐一説明をして。すごい時代だなと思いましたね」

 手術は無事成功し、体調も順調に回復。退院2日後から早くも海外を飛び回っている。

 ただし、やはり後遺症はあったそう。

「尿漏れがすごくて、蛇口が壊れたような状態でした。演出中も尿漏れパッドが欠かせません。一度など稽古の最中に血尿が出て、便器が真っ赤に染まったことがありました。

 びっくりしてすぐ病院に電話をしたら、先生に「かさぶたが取れただけ。大丈夫、大丈夫、明日には治るよ」と言われましたけど(笑)。

 その後も軽い脱腸になったりと、身体が整っていくまでやはり半年間くらい、いろいろありました。でも痛みもなければ、傷痕も一切なく、こんなに早く治るものかと驚いています」

改名して気持ちも楽になった

 手術を経た2019年秋、亜門から亞門に改名をした。新たなスタートを切り、心境の変化があったか聞くと、

「亞は文字の真ん中が窓のように開いている旧字体で、改名して、なんかいい意味で風が吹いたかな。ちょっと楽になったというか、いろいろなものをどんどん認めたくなるし、楽しめる。

 年を取ると考えがこり固まってしまいがちだけど、まったく違う分野のことだって怖がらずにいくらでもやっていいじゃないかって思えてきました。なので舞台に限らず何でもやります、お仕事くださいって、大きな声で言ってるんです(笑)」

 演出の仕事に加え、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』で俳優にも挑戦。さらに「まだまだやりたいことがあって」と目を輝かせる。

「今考えているのは、どうやったら楽しく死んでいけるか、幸せな死に方を演出すること。例えばみんなを集めてセレモニーをしたり、今まで学んできた演出を生活に取り入れて、新しい生前葬のようなものができないか考えていて……。

 がんと闘った経験は僕にとって勲章です。死というものを目の前に見たことで、生きることにエネルギーが出てきて、ますます日々が面白くなってきている。まだ生きられるということは、自分にまだ役目があるということだと思う。

 今は気分がどんどん上がってきていて、前以上にエネルギッシュに、存分に生きていこうという気持ちでいます」

宮本亞門(みやもと・あもん)●演出家。1958年生まれ。ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎などジャンルを問わず幅広く作品を手がける。テレビドラマ初出演としてNHK朝ドラ『ブギウギ』で作詞家の藤村役を演じる。2024年6月アイスショー『氷艶Hyoen2024 -十字星のキセキ-』の上演を控えている。

取材・文/小野寺悦子

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  • 要再検査を2回もスルー出来るのがすごい。私ならすぐ行っちゃう、気になって眠れなくなる。
    • イイネ!7
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