『366日』第6話 ナンセンスな視点の切り替えと、“外部との接点”の話

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2024年05月14日 19:01  日刊サイゾー

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日刊サイゾー

 冒頭、頭を打って記憶を失ったハルト(眞栄田郷敦)のモノローグから始まりました。

「昨日、久しぶりに夢を見た。それは、おそらく子どものころの自分で、そこから先にはどうしても進めなかった」

 映し出されるのは、ハルトの実家のお好み焼き屋の風景。そこには若かりし頃の両親と、ランドセルを背負った妹の姿もありました。

 ドラマには視点というものがあって、この『366日』(フジテレビ系)ではこれまで、記憶を失ったハルトが「いつ」「どれくらい」記憶を取り戻しているのかを、ハルトから発せられる情報をもとに周囲が推察、あるいは医師が診断して客観的に描くということをやってきています。常に他者の視点であり、「ハルトが何を考えているかわからない」ことで登場人物たちの戸惑いや葛藤を生んできたのです。

 ここでハルトのモノローグを入れるということは、ドラマの視点を180度転回するという意味になります。この視点の切り替えの手法は、人物Aの視点で描かれてきたドラマが、実は人物Bからはこう見えていた、という、具体的にはちょっとすごくマイナーな作品しか思い浮かばないけれど、例えば吉田恵輔監督の『机のなかみ』(07)で使われたように「登場人物の本心」を描くためにしばしば採用されます。『机のなかみ』なら「あべこうじは鈴木美生が自分に気があると思ってたけど、鈴木美生は全然そんなこと思ってなかった」とか。

 ここに至って『366日』はそんなダイナミックなことをやるのか、実はハルトは早い段階から目覚めていて、意図を持って記憶を失ったフリをしているだけだったのか。このタイミングで、しかも冒頭から視点の切り替えが行われたことで、そういう期待がふくらむわけです。

 いや、ウソです。期待はふくらんでないわ。この保守の権化みたいなドラマがそんなトリッキーなことするわけない。

 結果、単に「ハルトの記憶は昔の分は戻ったけど、最近のは戻ってない」という情報を手っ取り早く伝えるだけの段取りでしたね。これシナリオ的には反則ですけどね。

 というわけで、13日放送分の第6話です。振り返りましょう。

■憧憬と不穏と

『366日』は、美しき高校時代の感情や関係性を全肯定することでしかモノを語れないドラマです。

 なので、高校時代の仲良し5人衆に悪感情を抱かせることができません。ズルい、卑怯、ワガママ、身勝手、要するに視聴者がドラマを見ていて「こいつウゼーな、ムカつくな」と思ってしまう要素を丁寧に排除しています。そして、「高校時代の気持ち」に立ち戻ることこそ美徳であると言い張ります。

 しかし、それだけだとお話が進みませんので、周囲から不穏や災難を振りかけることになります。

 今回でいえば、まずは5人衆のひとりであるカズキ(綱啓永)の彼女。カズキがアスカ(広瀬アリス)に未練があることを知っている彼女は、カズキと同棲しているタワマンにアスカを呼び出し、その瀟洒な暮らしを見せつけます。

 それと、ハルトの担当ナースである宮辺さん(夏子)に病院の廊下でからんでいた退院間近の患者。宮辺さんも、過去にハルトが痴漢から救出したという過去があり「美しき高校時代」に含まれる人物です。

 そして、ラストでリコ(長濱ねる)を夜道で付け回しているっぽい謎の男。

 今回は主にこの3人が“外部の不穏”の象徴として登場していますが、いわゆる“内部”の5人衆が全員内向きな生活態度なので、外部との接点が作りにくいんですよね。だから、内部と外部の接点が生じるときに乱暴になる。

 カズキがハルトの病室にスマホを忘れていき、そのスマホに彼女から電話がかかってくるシーンがあります。

 アスカがその電話に出るわけですが、なぜかアスカは電話の相手に「雪平と申します」と自己紹介をします。さらに「佐竹さんって会社の同僚の方ですよね」と詮索します。こういうケースは現実でも起こりますが、その着信が誰からであろうがアスカには関係ないし、名乗る必要もないし、着信相手の名前を確認した上で何か言うのはデリカシーがなさすぎる。迅速に「お知り合いの方でしたら、病室に忘れていったと伝えてほしい」と伝えるだけ伝えるのが大人です。おまえの自己紹介、自己主張を挟み込む場面ではない。非常識だ。

 こうやって、乱暴にしか外部と接点を作れないドラマになってしまっている。急に人物が非常識になるから、ぎょっとしちゃうんですよ。次回はリコちゃんに謎の男が何かするんでしょう。ぎょっとする準備をしておきます。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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