「白目の面積を大きくする整形手術を受けた」37歳女性がお化け屋敷で“驚かせること”に人生を賭けるまで

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2024年05月26日 16:01  日刊SPA!

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名門に進学したは良いものの…
 恐怖をエンターテイメントの形に落とし込んで売る仕事がある。お化け屋敷のトータルプロデュースを手掛ける「怖がらせ隊」だ。単なるお化け屋敷の運営のみならず、クライアントの空きスペースなどを活用し、予算に応じたお化け屋敷の制作や演出なども行う。大学の学園祭などにおいて、静かなブームになりつつあるのだという。
 もともとはゲームクリエイターとしてデジタルの世界にいた「怖がらせ隊」代表取締役・今出彩賀氏(37歳)が、お化け屋敷という古くから続くスタイルで身を立てるまでの道程は、予想外の波乱に満ちていた。

◆休みの日は「心霊スポットに行く」家庭で育つ

 いかにも利発そうで、よく笑う女性だ。取り扱っている「恐怖」という商品と裏腹に、今出氏は底抜けに明るい。

「やりたいと思ったことは絶対にやってしまうタイプなんですよ。常に面白いこと、ワクワクすることを追求したいと考えていて。幼少期の私にとって、ワクワクするのは怪談話でした。メジャーな怪談話はもちろん、子どもには敷居の高い『牡丹燈籠』なんかも好きでしたね」

 今出氏の“ワクワク”を育てたのは、父親だ。しかも氏の家族行事は一風変わっている。

「同年代の子が喜ぶような人形ごっこなどはほとんど興味がなくて、父が読み聞かせてくれる怪談話が大好きでした。父も、私が喜ぶので、さらに与える――というような感じだったと思います。私は広島県の出身で、父も同じ地域で育ったんです。休みの日になると、家族みんなで地元のディープな心霊スポットによく遊びに行きました。思い返すと、我が家のピクニック代わりだったのかもしれません」

 ところでホラー好きの今出氏だが、怖がりでもある。

「人を怖がらせる側の人間だからか、怖がりではないと誤解されることがあるのですが、かなり怖がりです(笑)。家族でお化け屋敷に行ったときも、『怖い』といって泣き出すこともしばしばで、父から『じゃあリタイアする?』なんて言われて泣きながら頑張ったりしていました。それは今でも変わっていなくて、むしろ恐怖は人一倍感じるほうだと思います」

◆“進学校だけど”親身になって答えてくれた

 教職者の父と、薬剤師の母。地方都市の伝統的で教育熱心な家庭で育った今出氏は、地元の進学校に入った。高校1年生のときの進路相談でのエピソードは微笑ましい。

「進学校なので、地元・広島大学はもちろん、東京の早慶を目指す子もたくさんいる環境でした。が、私は幼少期から変わらずホラーにのめり込んでいて(笑)。それまで私が体験したお化け屋敷、明らかな機械仕掛けのものが多かったので、『もっと本格的なお化け屋敷を自分で作りたい』という夢がありました。しかし調べた限り、お化け屋敷を作る専門学校のようなものはありませんでした。そのことを進路指導の先生に打ち明けると、先生はこんなふうに言いました。『この夏、エキスポランド(大阪府吹田市)に夏限定のお化け屋敷がオープンするらしいぞ。まずは行ってみろ、話はそれからだ』って(笑)。進学校の生徒がするような相談ではないのに、かなり真正面から答えてくださったその先生のことは、今でもやり取りするくらい信頼をしています」

 高校時代の今出氏も今と変わらぬ生粋の行動派。先生の助言通り、夏休みを利用して“視察”に行った。

「そこでみたお化け屋敷は人がきちんと演じていて、しかもコンセプトがしっかりしていたんです。『恐怖を楽しんでもらいたい』という純度の高い思いが伝わってきました」

◆「夢のために家族を捨てるのか?」と父から言われた

 だが前述の通りお化け屋敷を制作する専門学校はなく、今出氏はホラーゲームクリエイターになるという夢にシフトチェンジした。ホラー好きが高じて画集なども持っていた氏は、美術にも造詣があった。そこで大学は美術の名門・武蔵野美術大学へ進学することになる。だがここで、問題が起きた。

「良くも悪くもクラシカルな家庭の雰囲気があったので、東京の大学へ行くことに両親はいい顔をしませんでした。結局、散々話し合いをして、ときには怒鳴り合いになり、私は『ホラーゲームを作る』という自分の夢のために実家を離れる選択をしました。

 父などは『なんでそんなにホラーばかりに傾倒しているんだ! ゲームという夢のために家族を捨てるのか?』とか言い出したりして。小さい頃のクリスマスプレゼントもホラーゲームだったのに(笑)。そんなわけで、両親がなってほしいと願う娘にはなれませんでした」

◆武蔵美に進学。しかし、わずか3日で…

 大反対を押し切って上京した今出氏だが、武蔵野美術大学に通学したのは3日ほど。入学早々にあっさりと辞めたのは、こんな頓狂な理由だ。

「当たり前なんですが、美大のメインは美術なんですよね。ホラーではない。もっとホラーにのめり込みたかった私にとっては、空気感が違ったんです」

 そんなわけで一時的に実家へ舞い戻ったのも束の間、今出氏はすぐに1つの専門学校の門を叩く。

「ゲームクリエイターの専門学校のなかから、非常にスパルタで有名で、高い技術力を身につけられる学校を選びました。頑張った甲斐があり、特待生での入学でした。やる気と技術のない者はどんどん去っていくような場所です。卒業制作の発表会では多くのゲーム会社を呼ぶのですが、実質的な“ドラフト”の場になっています。企業は即戦力になる人間に目を光らせているので、自分をアピールする必要があります」

◆ゲームメーカーに就職。憧れのゲームにも携わる

 寝ても覚めてもホラーゲーム制作の勉強に没頭した今出氏は、厳しい指導にも耐え抜き、志望していた企業からオファーをもらうことができた。ゲームクリエイターとしての今出氏はまさに順風満帆。一度の転職を経験したそのトータルキャリアで、憧れのゲームにも携わることができたという。

「『零 月蝕の仮面』『ロリポップチェーンソー』『シャドウオブザダムド』『VRホラー 囁き』など、ありがたいことに比較的有名なホラーゲームに携わらせてもらえました。自分が学生時代にプレイしたこともあるシリーズなどに関わるのは高揚感がありましたね」

 だがそのキャリアをゼロにしてまで、今出氏はアナログなお化け屋敷制作の道を進む。そのきっかけは衝撃的なものだった。

「(東京都杉並区)方南町に『オバケン』という有名なお化け屋敷があります。当時最先端だったVR制作の参考になればと思い、訪れたその場所で、生身の人間が演じるお化けのあまりの怖さに私は打ちひしがれ、同時に羨望を覚えました。私たちはリアルに見えるデジタルツールを開発していましたが、実体がそこにあるお化けの臨場感や迫力には、どうしても勝てないと思ってしまったんです。そのまま、演じていた岩名謙太に弟子入しました」

◆家賃が払えず、キャバクラで働くことに…

 現在でこそ怖がらせ隊のお化け屋敷プロデューサーとして君臨する岩名氏だが、当時はまだ大学生。しかし圧倒的な演技力に魅了され、ホラーゲームクリエイターとして成功を収めつつあった今出氏はプライドもキャリアもあっさり捨てた。

「私はすぐに退職し、岩名とほか2名と一緒に、お化け屋敷制作の制作団体を立ち上げました。4人でルームシェアをしながら、オンボロ一軒家で生活しながらひたすらお化け屋敷を作る生活です。しかし想像に難くないと思いますが、そんな生活がうまくいくはずもありません。貯金はあっという間に底を尽き、貯金どころか家賃を払えなくなりました。生活が困窮し、仲間は一人離れ二人離れ、気づけば岩名とふたりきり。ご飯も梅干しとわずかな白米だけで何回もやり過ごしました」

 生きていくため、お化け屋敷以外での収入も必要だった今出氏は、水商売も経験した。

「キャバクラに勤務して、業務が終わったらまた違う店舗で朝キャバをやったり……私は何をやっているのかなと(笑)。今でこそ笑い話ですが、当時は本当に精神を病んでしまいました。心配した父親から『大丈夫なのか?』と電話がかかってきて、『大丈夫にするしかないじゃろ!』と怒鳴ったのをよく覚えています」

◆「お化け役の控室」にブルーシートを敷いて暮らすことに

 そんな2人を見かねた人物が、千葉県館山市にあるお化け屋敷の運営を依頼してきた。住居も用意するという好条件に思えた。

「チャンスをいただけたことはありがたかったのですが、結構過酷な環境だったと思います。私たちの居住エリアは、お化け役の人たちの控室です。そこにブルーシートを敷いて暮らしていました。当時、私は30歳前後だったと思います。30歳、住所・お化け屋敷の女でした(笑)。場所がアクセスの良いところではないので、そもそもそんなに集客ができず、そうした意味でも困りました。くわえて、私たちの居住エリアと炊事場の間にお化け屋敷があるという間取りなので、毎回ご飯を持ってくるときとお茶碗を洗うときは、惨殺死体の模型が転がっているところを通り抜けなければなりません(笑)。懐中電灯を口にくわえながら、恐る恐る歩いたりして、本当に怖かったですね」

 自分で選んだ道とはいえ、おそらく多くの人が一生することのない体験を重ねた。だがその先に、救いの手は差し伸べられた。

「あるとき、株式会社バンダイナムコアミューズメントさんからお仕事をいただきました。それから徐々にメディアからの監修依頼なども増えてきました。今はさまざまなご依頼に対応できるように、コンセプトごとに演者や小道具を使い分けてクライアント様のご希望に添えるオーダーメイドのお化け屋敷を展開しています」

◆「驚かせる」うえで喜びを感じる瞬間は…

 わっと驚かせる。たったその一瞬に賭ける今出氏の思いとは、どのようなものか。

「私は人が驚いているのを見て、あるいは自分が人を驚かせて、そこに喜びを感じているわけではないんです。お化け屋敷にみんなで行き、わかっているのに驚いてしまう圧巻を味わってほしい。きっとそこには隣に家族だったり恋人だったり友人だったりがいるはずで、その一瞬一瞬が思い出になっていくと思うんです。

 友だち同士で入って、みんな怖いのに我慢する男子学生。泣いちゃった子どもに『お父さんは強いから大丈夫だぞ』と話しかけるお父さん。抱き合って出口から出てくるカップル――ひとりひとりと話すわけではないけれど、その人たちの思い出のお手伝いをさせていただいているようで、この仕事が大好きです」

◆「白目の面積」を大きく見せるために整形手術を受けた

 だとすれば、今出氏は恐怖の種となる死者に対しても、こんな哲学をもって仕事に向き合う。

「『お化けを商売道具にして、呪われたりしないの?』とよく聞かれます(笑)。ただ、私の考えはこうです。もし自分が幽霊の立場だとしたら、自分たちを茶化したり馬鹿にしたりして利用している人間のことは許せませんが、こっちが引くほど本気で取り組んでいたらむしろ応援したいと思うはずなんです。私はホラーアクターの子たちにも、『必ず本気で演じなさい』と言うようにしています。人を驚かせることは、そんなに浅い話ではありません。本気で取り組むことで、生きている人はもちろん、亡くなった人も驚くような演技を見せたいと思っています」

 今出氏の場合、すでにこんな驚きの実践を行っている。

「黒目の上にある白目の面積が大きいと、お化けのように見えるんですよ。私はもともと白目の面積が少ないので、大きく見せるために整形しました。整形外科医にも、『美容のためではありません。お化けに近づきたいんです』とお願いしました。きっと困ったでしょうね(笑)」

 お化け役が客と目を合わせるのは、時間にして1秒もないだろう。その刹那のためだけに、今出氏は労を厭わず変身する。恐怖を愉しむことができる動物は、おそらく人間だけ。人間だけに与えられた特権的な愉悦を高いレベルに昇華させ、今出氏はこれからも人々の驚嘆の現場に立ち続ける。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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