大阪の魔窟・味園ビルの飲み屋街が年内閉店「“終わらない文化祭”のようだった」

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2024年05月28日 09:31  日刊SPA!

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風情ある味園ビルの廊下
 大阪でディープスポットとして人気の「味園ビル」。1955年に建設され、かつて宴会場、キャバレー、ホテル、レンタルルームなどが存在し、現在は1階のライブハウス、2階のテナントフロアにスナックや飲食店が営業している。近年は外国人観光客を集めていたが、今年いっぱいで2階のすべてのテナントが閉店することが報道された。
 味園ビルでライブシアター「なんば紅鶴」「なんば白鯨」など4店舗を運営しているB・カシワギさん。半世紀以上にわたって大阪のランドマーク的存在だった味園ビルの飲み屋街の閉鎖について、彼は何を思っているのか。かつて「なんば紅鶴」でイベントを開催した経験のあるライターのカワノアユミが話を聞いた。

◆時代の移り変わりとともに…

 カシワギさんが味園ビルでライブシアター「なんば白鯨」をオープンしたのは2009年9月のこと。もともとはお笑い芸人として活動していたカシワギさんが、ライブシアターをオープンするまでにはどのような経緯があったのだろうか。

「最初はサイキック青年団というラジオ番組に憧れ、北野誠さんのいる松竹芸能に入りました。でも、当時は芸人がトークイベントができるライブハウスが少なかったんです。当時、新宿ロフトプラスワンのようなライブハウスでトークイベントをやりたいという憧れはあったのですが、大阪にはありませんでした」

 ちょうどその頃、カシワギさんの先輩が味園ビルでテナントを借りていた。その先輩が店を閉めることになり、そのスペースを譲り受けたことがきっかけだった。

 自分たちで好きなことができる場所がほしいと思っていたタイミングで譲り受けたそのスペースが、現在の「なんば白鯨」の前身となったという。ビルは活気づいていたものの、まだ空いているテナントはある状態だった。

「昔からあったスナックは時代とともになくなっていって、今ほどの盛り上がりはありませんでした。それまでは毎月、どこかの店がオープンしては潰れるという流れの繰り返しだったんです。その後、徐々に色々な店が増えていき、今の味園ビルのような形になっていきました」

◆大阪のサブカルチャーの聖地に

 2011年には、白鯨グループの2号店となる「なんば紅鶴」をオープンさせた。まさに、全盛期の味園ビルを象徴するひとつのライブハウスとなったわけだが、当時、記憶に残ったエピソードはあるのだろうか。

「ちょうどその頃、難波から日本橋の間の千日前周辺の飲食店街が『ウラなんば』とメディアで呼ばれるようになり、味園ビルもその中心としてブームになりました。2015年には味園ビルを舞台にした映画『味園ユニバース』が公開され、赤犬や純烈などユニバースの雰囲気を愛する多くのミュージシャンがライブを行うなどして、盛り上がっていました」
 
 味園ビルは、大阪のサブカルチャーの聖地として人気となった。その後、インバウンドの影響で外国人旅行者も多く訪れる人気スポットとなったが、奇しくもコロナ禍が訪れる。

◆「コロナ禍が味園ビルの寿命を縮めた」

 コロナ禍ではミナミの街が時短や休業を余儀なくされ、「なんば白鯨」も「なんば紅鶴」も20時までの営業時間となった。筆者(カワノアユミ)自身もこの期間中にイベントを行ったが、客はほとんど来ず落胆した。カシワギさんはこの頃から、“配信”をメインに切り替えていった。

「コロナ禍でライブのやり方が180度変わりました。これまでは大阪のお客さんをターゲットにしていたのですが、配信に切り替えたことでライブを見に来たいのに来れない人へのフォローができるようになったんです」

 しかし、コロナ禍の影響はあまりにも大きすぎた。2020年には5階の宴会場が休業し、その後は営業再開することはなかった。

 さらに、味園ビルが位置するミナミの繁華街では外国人観光客の回復に伴い、土地の価格が大幅に上昇した。カシワギさんは「今回の閉鎖には驚かなかったが、コロナが味園ビルの寿命を縮めたように感じる」と話す。

◆“終わらない文化祭”のようだった

 今回の閉鎖を受け、味園ビルで15年間、オーナーとしてライブハウスを続けてきたカシワギさんは何を思うのだろうか。

「単純に“時代の移り変わり”なのかなと思いますね。建物も来年で築70年なので今回もしも更新できたとしても10年後まであったのかどうかは微妙なのかなと。テナントの中にはガタがきていて、夏場にはクーラーをつけられない店もあります。ただ、もう少し長く続くかも……と思っていた部分は少しありますね」

 2階にある各テナントは3年ごとの契約で、これまではただ更新できていたが、今回は、ビルの運営会社から“次の契約更新はありません”という通知がきたという。

 カシワギさんは「追い出されたようには感じていない」と話す。

「敷礼、保証金なしと味園ビルはそもそも条件がよかったんです。僕からしたら店をやるきっかけをくれた味園には感謝しかないです。味園で過ごした時間は“終わらない文化祭”のようなモラトリアムで、大人にしてもらった……という感じですね」

 最後に、味園ビル閉鎖後の白鯨グループのこの先について聞いてみた。

「味園に4つある店舗をいまやっているコンテンツのまま、残したいです。たとえば、小さくてもいいのでビル1つ借りられたりするのが理想ですね。また同じように別の場所でも盛り上がると信じているので、これで死ぬまで店をやっていければいいな、と思います。味園に与えてもらったものを使って、今度は自分たちでまた1から始めたいですね」

 私が関西に住んで著書を出した際、最初にお世話になったのは、カシワギさんをはじめとする味園ビルの飲食店界隈の人達だった。今年いっぱいでテナントはなくなってしまうが、私たちの記憶には、きっと「味園ビル」の存在がいつまでも残るのだろう。

<取材・文/カワノアユミ>

【カワノアユミ】
東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在は夜の街を取材する傍ら、キャバ嬢たちの恋愛模様を調査する。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano

このニュースに関するつぶやき

  • 清春ライブで行った事あるビル。翌日は五日市のキャンプ場で清春ライブがあって死にそうに眠い中、コロナ禍ライブ遠征したのは今となってはいい思い出。
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