「すぐに優勝したことを後悔した」R-1ぐらんぷり2014年王者が“第二のキャリア”を見つけるまで

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2024年05月28日 09:31  日刊SPA!

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「絶対に自分が演者をやりたいとか、そういうこだわりは一切ないですね」
「夢がない」で市民権を獲得しつつあるピン芸人の賞レース『R-1グランプリ』(関西テレビ系、改称前はR-1ぐらんぷり)。過去のチャンピオンの中には、芸人以外の道に進むなど、意外な変貌を見せる人もいる。
 2014年チャンピオンとなったやまもとまさみさんもそのひとり。今年の1月末に所属事務所を退社し、現在はフリーで活動している。その仕事内容は、ナント脚本家。表舞台から裏側へまわったのには、R-1で優勝したことへの後悔と、コロナ前からはじめた副業が大きく関係している。前途洋々とはいかなかったものの、「どちらも経験してよかった」という。本人に話を聞いた。

◆12回目の「R-1ぐらんぷり」挑戦

 元R-1チャンピオンのやまもとまさみさんは、米俳優のジム・キャリーのようなコメディ俳優になることを目指して上京したという。

「この頃は、『Deview』という雑誌で縁のできた芸能事務所の仮所属という形で、俳優の卵として色々なオーディションに参加していました。どこかの養成所に通っていたワケではなく、俳優やコメディの知識も何もない状態で、紹介されるオーディションをただひたすら受け続けていました。そんな時に見たのが『爆笑オンエアバトル』(NHK)で、『これに出たい!』と思ったのが、ピン芸人になったきっかけですね」

 その後、とんとん拍子で芸人になると、音や小道具を使わず、ストーリーや人間描写をメインにしたひとりコントで、着実に力を身に着けていった。そして第1回大会となる2002年から「R-1ぐらんぷり」に参加。何度も準決勝・決勝進出を繰り返し、芸歴15年目の年に12回目の挑戦で、念願の優勝にたどり着いた。

◆テレビ番組を一周させてもらえなかったワケ

 ピン芸人として憧れていた賞レース優勝を喜んだのもつかの間、「優勝したら売れる」というジンクスにハマらず、「すぐに優勝したことを後悔した」と話す。

「優勝したら、各局のテレビ番組を一周させてもらえるというのが定説ですが、なぜか僕は一周もさせてもらえなかったんですよね。主催の吉本興業さん以外で初の優勝者だったんで、勝手がわからなかったのではないかと思っています(笑)。まぁ、実際には何本か番組に出させていただきましたが、僕はトークが上手いほうではなく、爪痕を残せなかったのが一番の原因ではありますけどね(苦笑)」

◆「直後のGWはしっかり休暇がとれました」

 現在は、どこか吹っ切れた感じも漂っている中で、「芸風も影響していたのではないか」と冷静に推測を続ける。

「僕自身は、どちらかといえばイジられキャラなんですが、決め衣装や決めゼリフがあるわけじゃなく、がっちりしたコントをしていました。親しい先輩方以外は、触れにくかったんだと思います(苦笑)。テレビの仕事もほぼ入らず、直後のGWはしっかり休暇がとれました」

 以前とさほど変わらない日常に、複雑な思いを抱えていたという。そして、スケジュールを見ては不安が募り、次第に優勝したことを後悔するように……。

「優勝したら、評価と共にハードルも自然と上がりますよね。でも、あんまりテレビに出ていない(苦笑)。ライブや営業は増えましたが、何となく先細るだろうと予想していました。そうしたら案の定、翌年から営業の数が減っていきました。子どもが小学生に上がることもあり、お笑いだけじゃ食っていけないからバイトしようかと考えていた時に、『クレープのフランチャイズ展開を考えてるんだけど、よかったらまさみもやらないか?』って声をかけられたんです」

◆クレープ店が成功!会社化直後にコロナ到来

 それまでは、ビッグサイトなどのコンベンションセンターで開催されるイベント用の仮設住宅作りや、ドラッグストア前で商品を売りこむワゴンDJのアルバイトなど「シフトの融通が利きやすい仕事を長く続けていた」と語る、やまもとさん。

 そこに来てのクレープ店のフランチャイズオーナーという誘いに、当初は戸惑ったという。

「確かに出資金を用意するのは大変ですが、その後は自分で自分のスケジュールをコントロールできます。芸人活動の時間が削られずに生活費を稼げることに魅力を感じて、融資を受けて2017年11月に第1号となる小田原店をオープンしました」

 当初はスタッフとして働いていたが、有能な店長を雇えたこともあり、早々に店舗の運営が手を離れた。その上、翌年の2018年度は営業成績もまずまずな所で着地した。まさに「生活のことを考えず、自由に芸事に集中できる」理想が実現したのだ。

◆キッチンカーをしながら原点回帰

 2019年の春には2店舗目となる町田店をオープン。1店舗目の好実績があったため、銀行の融資も難なく受けられたという。そして、年末に会社化して、これからと思った時にコロナがやってきた。

「コロナに入ってから徐々にお客さんが減っていって、緊急事態宣言が発表されてからは街から人が消えたようになっちゃって……。ただ、コロナ禍で外出に制限がかかっていたとはいえ、お店をしっかり守っていたオーナーはたくさんいますから、完全に僕の経営者としての力不足です」

 さらに、コロナ禍で都道府県をまたぐ移動がしにくくなった結果、小田原店の管理が厳しくなった。「クレープ店は自分の目の届く範囲内で続けよう」と考え直し、同店を他のオーナーに売却して、町田店のみに経営を絞った。

「2022年の秋に、町田店をキッチンカーにリニューアルしたのですが、お店の場所が建物の入り口に移動したので、多くのお客さんの目に付くようになりました。週末になると、待ちの行列ができることもあります。いまでも週4日ほどは店舗に立つようにしています。店舗と違ってキッチンカーならではの苦労もありますが、基本的には楽しんで働いています」

◆コロナ禍でスケジュールが白紙に

 一方の芸人活動のほうはというと……。

「コロナ以前も、ライブや営業はそれほど多くなかったのですが、コロナになった途端にスケジュールが真っ白になりましたね。毎年出させていただいていた演劇ユニットライブもできなくなりました。たまにリモートでトークライブをすることはありましたが、『仕事は待ってても来ないんだ』『自分で仕事を作るしかない』と色々と考えるようになりました」

 2021年の夏、コロナ禍で生まれた劇場における観客数の制限、出演者の少人数化といったルールを守りながら、演劇ユニットライブを再開。実はこの時から、脚本家へのカウントダウンがはじまっていた。

「めちゃくちゃ楽しかったですし、ライブができることのありがたさを痛感しました。そして、この時にはじめて他の人へ脚本を書いたんです。というのも、コロナ以降は色々なルールが生まれたので、以前のように長尺のお芝居をしにくくなったんです。その代わりに、ショートストーリーをオムニバス形式でやることになったんで、僕も脚本を書かせていただきました。自分の脚本を俳優さんが演じるのを見るのは、また違った楽しさがありましたね」

◆13年ぶりのオール新ネタ単独ライブを「実験に」

 演劇の新しい楽しみ方を知り、芸能活動へ弾みをつけるために思いついたのが、ひとりの役者によるオムニバス形式の「ヒトリブタイ」構想だ。

「独立した短編ストーリーが、ひとつのゴールに向かって進む、いわゆる回収型のような芝居です。演者には、現役の舞台役者さんがいいと思って、以前からよく知っている高橋健介くんに相談しました。でも、すぐにはいい返事をもらえませんでした(苦笑)」

 コロナ禍で決めた「自分で仕事を作る」という目標への第一歩として開催したのが、13年ぶりとなるオール新ネタの単独ライブだ。実は、この単独ライブには「ヒトリブタイ」のパイロット版の意味も込められていたという。

「息子たちに本来の僕の仕事ぶりを見てもらうのが表の目的で、実は『ヒトリブタイ』の実験という裏テーマもありました。久しぶりに脚本・演出・出演をやってみて、めちゃくちゃ疲れた反面すごく楽しくて、やって良かったと思ったんですが、ぶっちゃけチケットの売れ行きはイマイチでしたね(苦笑)。でも、高橋くんから『やってみたい』と言われたので、結果的には単独をやって良かったです」

◆企画書が即採用!脚本家の道が本格スタート

 コロナ禍でクレープ店の経営と向き合い、オーナーとしての意識も変わったやまもとさんだが、「この下支えがある上で、原点回帰して、コメディ俳優になるため演劇に力を入れると決めた」と話す。単独ライブ後から「ヒトリブタイ」プロジェクトが本格的に動き出し、2023年の夏に「高橋健介のヒトリブタイ『ビューティフル』」を開催。好評を受けて、すぐに年内での再演が決定した。

「色々な方の協力もあって、第1弾は大成功しましたが、『ヒトリブタイ』を継続する方法がわからなかったので、知り合いに相談しまくったら、『主催や製作を請け負ってくれるパートナーを探したらどうか』とアドバイスをもらったんで、急いでKADOKAWAさんに企画書を送りました」

 すぐに返信をもらい、緊張しながら打ち合わせに向かうと、開口一番「ぜひ、一緒にやりたい」という言葉が。

「僕は脚本家として関わり、その他のブッキングや製作費、スケジュール管理といったこと全般をKADOKAWAさんが引き受けてくださることでまとまりました」

 理想的な形に落ち着き、新たな主演者の松島勇之介というパートナーを得て、すぐに第2弾となる「松島勇之介のヒトリブタイ『喝采』」が開催された。

◆所属事務所も退所「自信しかありません」

 今後も定期的に「ヒトリブタイ」シリーズを重ねていく予定だが、他にも、元芸人仲間と一緒に立ち上げた「SHOW(賞)プロジェクト」も、軌道に乗せたいと話す。

「名前の通り、舞台の何かしらの賞を取ることが目標です。また、個人的に考えているのが、小劇団への脚本提供です。出演者の人数やストーリーの設定にスケジュールなんかも教えてもらえれば、それに合わせて書きます」

 昨年、「ヒトリブタイ」のほかに、女性5人によるワンシチュエーション芝居の脚本も手掛けた。今年1月に所属事務所も退所し、脚本家としての活動に勢いがつく。「根拠はないけど、自信しかありません」と話す。さらに、昨年末に役者として参加した大衆演劇では、演劇の幅の広さ、奥行きの深さを知ったことで、ますます演劇の世界にのめり込むことに。

「まったく知らないジャンルだったので、純粋に楽しめたし、新鮮でした。新しくチャレンジすることの大切さみたいなことも学んだ気がします。ありがたいことに、別の劇団さんにも声をかけていただき、5月下旬にもう一度、大衆演劇に挑戦することになりました。これからは脚本家をメインに据えつつ、いろんな劇団さんとコラボしていきたいと思います」

【やまもとまさみ】
1974年生まれ。2014年に『R-1ぐらんぷり』決勝に進出し、優勝を果たした。マセキ芸能社、佐藤企画を経て現在はフリーで活動。2023年から作・演出を手掛ける一人舞台プロジェクト「ヒトリブタイ」を行うなど、現在は演劇活動にも力を入れている。X(旧ツイッター):@masami02210111

<取材・文/安倍川モチ子>

【安倍川モチ子】
東京在住のフリーライター。 お笑い、歴史、グルメ、美容・健康など、専門を作らずに興味の惹かれるまま幅広いジャンルで活動中。X(旧Twitter):@mochico_abekawa
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