パチンコ店の“サクラ”で稼いだ53歳元パチプロの「その後の人生」。普通に働こうとするも“時すでに遅し”

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2024年05月29日 16:21  日刊SPA!

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写真はイメージ
 朝から晩までパチンコやパチスロを打ち、勝ち金で生活をするパチプロ。20代ならまだしも、30代、40代となるにつれ、世間の風当たりの強さに足を洗う者も多い。気ままな稼業の代名詞とも言われる彼らは、一体どんな人生を歩んでいるのだろうか。
 今回は前回に引き続き、元パチプロの村木隆弘さん(仮名・53歳)が歩んできた壮絶な人生の後編をお届けする。

◆サクラが功を奏して、このホールは優良店に

 パチンコ店の店長と組んでサクラの打ち子グループを作り、毎月20万円以上の収入を得ていた村木さん。バーの店長としても働いていたため、それなりの収入があり、遊び続けていた挙句、家庭は崩壊してしまう……。それでも「楽しい日々を過ごしていた」と話す村木さんだが、“さらなる崩壊”は意外なところから始まった。

「店長がサクラを雇っている店だから、ほぼ毎週、何らかの5号機に設定6が入って出ているワケでしょ。そりゃ、他の客も放っておかないんだよ。何度か台が取れなかったこともあったけど、1年くらい経つと朝から激戦状態になっちゃってた。それまでは吉宗だ! 番長だ!って走ってたヤツが、5号機に走るようになったんだよ」

 幸か不幸かサクラが功を奏して、このホールは優良店になったことで客が増え、台が取れないようになってしまったのである。さらにメンバー間でのトラブルも村木さんに追い打ちをかける。

「あるメンバーが自分のツレに台番号を教えて抜きをするようになったんだよ。それでそいつを呼び出してメンバーを追放するって言ったら、『じゃあサクラやってることバラす』って。結局、サクラのバイトを紹介してくれたイトーちゃんと話して、口止め料としてまとまったカネ払って追放しようかってなったんだけど、ある日、そいつがいきなり消えちゃったんだ。で、この一件で店長がものすごく警戒するようになって、結局、そのまま解散しちゃった。なんだかんだでサクラやってたのは2年弱くらいかな」

◆しっかり働こうとするも、時すでに遅し

 その後、村木さんは心機一転、バーテンとしてしっかり働こうとしたのだが、時すでに遅し。村木さんの店に寄りつく者はいなくなっていたのだ。

「サクラのグループが解散したら、誰も店に来なくなっちゃったんだ。金の切れ目が縁の切れ目で誰も寄りつかなくなっちゃった。サクラのメンバーが入り浸っていたから、フツーの客はほとんど来なくなっていて、ほぼ開店休業状態。サクラやってたこともオーナーの耳に入ってたんだけど、儲けが出てたから何も言われなかっただけで、こっちも金の切れ目が縁の切れ目でさ。半年くらい頑張ったけどオーナーが下した決断は閉店。完全にホームレス状態になっちゃった」

 そして、村木さんの人生はまさしく、転がるように転落をしていった。

「いろいろやったなぁ……。キャバクラのボーイやって、いろいろあってポーカー屋で雇われ店長もしてた。あんまり詳しく言えないけど、ヤバい仕事もやったりして、結局また東京に戻ってきた。でも、まともな仕事なんて就けないわけよ。なんとか潜り込んだのは夜の世界の店員。女のコの送迎とか、なんでもやったよ」

◆元パチプロの現在の仕事は

 その後も定職に就かないまま今に至る村木さん。では、今は何をしているのだろうか。

「ヒモやりながらUberの配達員やってるよ(笑)」

 顔をご覧に入れられないのが残念だが、実は村木さんは今なお、かなりのイケメンなのだ。どことなくキムタクに似た顔つき、浅黒い肌、170cmの身長……外見は確かにモテオヤジである。

「今の彼女はネイルサロンをやってて、まぁまぁ流行ってるみたい。お金出すから飲み屋でもやったらって言われてるけど、オレ、すぐに調子に乗っちゃうからね。毎日自転車に乗って走り回ってるほうがいいんだよ、健康的だしさ(笑)」

 好き勝手生き続ける村木さん。話を聞きながら「こんなに自由気ままに生きている人はいるのだろうか……」と何度も思った。

◆自由気ままに生きる人は“勝ち組”なのか

 そんな村木さんに、ちょっと意地悪な質問をぶつけてみた。自分の人生は勝ち組と思うか、負け組と思うかと。

「オレの人生なんて勝つとか負けるとか、そういう勝負の土俵にすら上がってないからね。パチ屋の店長の言いなりになって寄生虫みたいにカネもらって、危ねぇ仕事して、ヒモになって毎日Uberで配達してるヤツなんて、そもそもフツーの人と争う土俵に上がってないよ。自由気ままに生きることが勝ち組っていうならそうかもしんないけど、それもちょっと違うんじゃないかな」

 とはいえ、今の生活には「満足しているかな」と村木さん。今年の夏、20年ぶりに里帰りをすることを目標に、今日も配達員としてペダルを踏み込んでいる。

◆サクラとして打っていた思い出の一台

 最後に村木さんの思い出の一台を聞いてみた。

「ベルコの『日本一の桃太郎CT』って台。サクラで打ったんだけど、これがもう、本当につまらなくて拷問だった(笑)。ベルコってビンゴシリーズとかで尖った台を出すメーカーって印象があったから、そんなメーカーの5号機第一弾って期待するじゃない。サクラで打ったんだけど、これがもう、本当につまらなくて拷問だった(笑)。設定6だけど機械割も低くて、とにかく出ない。頭の中じゃ『仕事仕事! これは仕事だから』って思いながら無心で打ち切ったなぁ……」

 苦笑いしながらも、当時を振り返って村木さんは語ってくれた。

取材・文/谷本ススム

【谷本ススム】
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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  • 因みに、パチンコ屋で働いていたことを履歴書に書いたら書類選考で落とされるらしいよ。まぁ、当然だね。
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