【対談連載】BCN創業者 奥田喜久男(下)

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2024年05月31日 08:01  BCN+R

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BCN+R

2024. 5.9/奈良県奈良市の奈良ホテルにて
【奈良発】生成AIが、さまざまな産業のさまざまな分野で活用される時代となった。こうしたテクノロジーの進化は歓迎すべきことだが、私たちのようなメディアの仕事も代替できるようになるという予測もある。この点について、創業者である奥田喜久男にその懸念をぶつけてみると、BCNの記者がAIに負けることはありえないと即答した。プロの技を持ち、人を描くことにこだわる書き手による文章が、そんな表層的な文章に負けるはずはないと。心強い思いとそうあらねばという覚悟が交錯した。
(本紙主幹・奥田芳恵)

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●「商品を書くな、人を書け」の

意味するところとは

 コンピューター業界を舞台とするメディアのなかで、「流通を制する者が市場を制する」というコンセプトを掲げて差異化を図ったわけですが、そこに新たな気づきはありましたか。

 ほかのメディアが注目していない販売や流通に目をつけたことは一つの勝因だったと思うけど、「つくる人・売る人・使う人」の三者がそろっていないとマーケットは拡大しないわけだよね。そこで気づいたことは、何事も「人」から派生するということだった。

 それが座右の銘とされている「人ありて我あり」につながるわけですね。

 このときは、とても深く考え抜いた末に、この業界の本質に行き着いた。それは、すべてに人が介在すること、時間軸とともに進化すること、そして、流通網が重要なかぎを握るということの三つだった。こうしてまとめると、とても当たり前でシンプルなことのように聞こえると思うけれど、当時はいろいろな思考のプロセスを経たうえで、こうした結論に至ったんだ。それで、“人”と“売ること”にフォーカスしたコンピューター流通紙をつくろうと決めたんだね。

 なるほど。でも、むしろシンプルなほうが理解されやすくていいのではないでしょうか。

 ところが社員からは、なかなか理解してもらえなかった。「商品を書くな、人を書け」と言っていたのだけれど、ふつうは商品のスペックや機能を書くほうが楽しいよね。「この新製品はこんなことを可能にする機能を備えていて、既存製品の何倍のスピードで処理できる」とか。

 でも、その優れた商品をどんな人がつくったのかとか、そのエリアで突出して売れている商品はどんな人がどんな工夫をして売っているのかを取材してほしいと指示していたんだ。どうしても、そこで起こっている出来事や事象に関心が集まり、その元となっている「人」に注目しない傾向があるから、その視点を変えようと考えたんだね。

 それが、人にフォーカスするということですね。煮詰めていくと、まさに「千人回峰」の世界につながる気がします。

 その通りだね。

 それで、この連載「千人回峰」を始めるに至ったいきさつは?

 私はメモマニア、切り抜きマニアで、時系列・人・商品で分類したスクラップのファイルをつくっていた。“人”のファイルは、私が興味を抱いた人、つまり会って話を聞いてみたい人のリストだ。それを見た編集デスクの中林傑さん(2024年3月25日号・4月1日号の本欄に登場)が、連載企画にしたらと勧めてくれたのが始まりだね。

 第1回が07年1月ですから、もう17年も続いているわけですね。ちなみに、そのスクラップ・ファイルは?

 オフィスの引っ越しをする際に、すべて処分されてしまった。それもあっさりと。その事実を知ったとき、一瞬、頭に血が上ったが、これも「また勉強し直しなさい」というご託宣だと思って気を取り直したよ。

 いつも前向きな姿勢でなによりです(笑)。

●「人とはなんぞや」という問いの先にあった

「無償の愛」という言葉

 この「千人回峰」の対談だけど、もともと人が好きで、自分が会いたいと思う人に会って話を聞くのだから、こんなに面白いことはないよね。でも、直接収益に結びつく連載企画ではないから、経営者としての判断が必要だった。

 人にフォーカスするという点では、本紙には「Key Person」というインタビュー記事もありますし……。

 「Key Person」の取材対象者は、いわばこの業界のリーダーや成功者で、業界紙としてのメインストリームの企画といえる。それはもちろん大切な記事なのだが、「千人回峰」の取材対象はコンピューター業界の人に限ることはなく、また有名・無名にもこだわらない。もちろん、成功者に限定することもない。唯一の共通点は、私と何らかの「縁」があった人であるということだ。

 先ほどふれたように、当初は収益のことがちょっと頭をかすめたけど、会社も業界も安定期に入った時期だったこともあり、一歩踏み出してみた。すると、やり続けているうちに何人かの人から「この企画はすごいね」と言ってもらえるようになった。だから、この「千人回峰」は新たな価値を生んだのだと思う。

 人にフォーカスすることの大切さは私も理解しているつもりですが、「人とはなんぞや」という問いにこだわり続けてきた原点は、どこにあるのでしょうか。

 恥ずかしいからこれまで話さなかったのだけれど、私が13歳のときに母親を亡くしたことがそのきっかけなんだ。母が亡くなると、それまで着ていた寝間着を裏返しにして、それを物干し竿にかけて家の北側で1週間吹きさらしにするという風習があったのだけど、その光景を見た私は「母ちゃんがかわいそうじゃないか」と父に食ってかかった覚えがある。

 母が亡くなったという事実を目の当たりにしているものの、まだ子どもだから死という概念を理解していない。母親がいなくなっても、裏山の杉や檜の木はずっと変わらず生き続けている。なぜだと。そこに「人とはなんぞや」というとても根源的な疑問が生まれ、以来、心のなかにそれが棲みついているんだね。

 13歳の少年にとってはとてもつらい経験だったでしょうし、当時のその光景は鮮明に残っているのでしょうね。

 ところで「人とはなんぞや」の解を求めて330人以上の方とお会いになったわけですが、その解にたどり着くことはできましたか。

 解ではないけれど、行き着いた言葉は「無償の愛」だった。それこそが、人に関する最高位の言葉ではないかと感じることができたのは60代に入ってからのこと。だから、解に近づくためには、ある程度の歳月が必要だということだね。

 はたから見れば、粗野で呑ん兵衛の私に似つかわしくない言葉のようだが、そういう側面も共存しているんだ。

 この「千人回峰」では、対談相手の過去・現在・未来についてお話をうかがっていますが、今後、ご自身にどんな変化が起こるとお考えですか。

 未来の部分だね。それについては何度も考えたけど「あるがまま」でいいというのが結論。いつも初めての道だから、いまもワクワクしているよ。

●こぼれ話

 「解は質問の中にある」。ずいぶん前に、奥田喜久男さんとこんな話をした記憶がある。知りたいことを聞き出せるかどうかは、すべて質問次第ということである。当たり前のことだ。しかし、漫然と生きていれば、いい質問は出てこない。日々、「なぜ、なぜ」と本質に迫ろうとする姿勢が質問を生み出す源になる。喜久男さんは、「なぜ、なぜ」の使い手で、いつもなぜなぜ言っている。言わない時も思っている。もともと根源的なところまで、物事を深く理解したいと思うところもあるように思うが、同時に、記者として経営者として問題の真因を明らかにするよう、自分をつくり込んできた証しかとも思う。

 週刊BCNは、市場の形成と成長をメディアという立場で支え、業界の発展に貢献したいと願い、40年以上にわたって情報を伝えてきた。私は編集者時代、情報という無形の価値を提供するビジネスの社会に対する貢献度を実感できず、悩んでいたことがあった。大好きな本の力を信じられなくなる時もあった。しかし、BCNに入社して、読者の皆さんの声に触れ、広告スポンサーの方々からの評価を聞き、「業界紙というのは市場をつくり、業界の成長に貢献できる」ということを知った。同時に、情報という力を信じる希望を得た。その感動は、メディア企業である以上、業界と社会の発展に貢献すること、そしてそれをみんなで実感したいという思いを支えている。

 創業からの10年はつらかったと喜久男さんは振り返ったが、それさえも上回る楽しさや喜びを感じていたことだろう。創業時のエピソードには悲壮感が感じられず、なぜかいつも楽しそうなのである。この時は、あの人が教えてくれたとか、この人が一緒にやってくれたなど、助けられた人たちのお名前が出ることも多い。もしかしたら、時の流れが良い思い出に変えただけかもしれないが…。

 写真は、創業の地である東京の大塚駅近く、大塚三業地のアパート一室で撮影された。定期購読者100人到達を記念したもので、「100」と書いたメモを口に加えている。「やったぜ」というような表情は、いかにも創業時の勢いや躍動感を表しているようだ。今は、紙の新聞、デジタル版、Webといろいろな媒体で、多くの読者に支えられているが、読者と向き合う姿勢やその重みは変わらない。しかし、最初に獲得した定期購読者100人というのは、計り知れないほどの喜びであったことだろう。「読者を裏切れないね」と2人で話しながら、改めて、真実・中立・信頼を追求する姿勢を胸に刻み込んだ。(奥田芳恵)

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

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