電撃ネットワーク南部虎弾氏が「生前にやり残したこと」。メンバーが語る、その素顔

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2024年06月01日 09:10  日刊SPA!

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最後の最後まで身体を張り続け、芸人魂を貫いた
2024年1月20日、「電撃ネットワーク」(以下、電撃)のリーダー・南部虎弾氏が脳卒中により急逝。過激なパフォーマンスと演出は唯一無二の存在で、世界中でコアな人気を博していたのはご存じだろう。しかし、同グループを率いる南部氏のパーソナルな部分についてはあまり知られていないのではないか。電撃の結成当時から長く活動を共にしてきたギュウゾウ氏に話を聞いた。
◆バイト先ですでに異彩を放っていた南部氏

――南部さんと出会ったきっかけを教えてください。

ギュウゾウ:1989年に三五十五さん(元電撃メンバー、2015年逝去)に紹介してもらったんですよ。「元ダチョウ倶楽部の南部さんが、新しいグループに入ってくれるメンバーを探してるから、会ってみない?」と。

――南部さんのことは、元々知っていたんですか?

ギュウゾウ:僕はお笑いをほとんど見ていなかったので、知りませんでした。でも実はバイト先が同じだったんです。すごく目立つおじさんがいるなと思っていたら……それが南部さんでした。

――同じバイトだったんですか?

ギュウゾウ:舞台設営のバイトでした。時間の融通をきかせてくれる会社だったので、急にオーディションや撮影が入ったりする芸人やミュージシャン、俳優がたくさんいました。具体的には、高田純次さんや佐野史郎さん、バンドだとマルコシアスバンプやリップクリームや鉄アレイなど……。今考えると、かなりすごいメンツですよね。

――そのメンツの中でも目立つ南部さんはすごいですね。

ギュウゾウ:服装も派手だったけど、存在感が圧倒的でした。街並み、というか日常風景に溶け込めない人なんですよね。わざと変なことをするわけではないんだけど、会話のリズムやリアクションが独特で。

◆「台本を覚えられない」からこそ、リアリティを追求

――30年以上、共に電撃で身体を張り続けた間柄なわけですが、南部さんがずっと持っていたこだわりはどんな部分に感じていましたか?

ギュウゾウ:リアリティですね。本当に痛いリアクションや、本当に怖がっている反応を包み隠さず見せる。追い込まれた人間の内側から出るものを表現するということに、特にこだわっていましたね。

――電撃の芸を「本当は痛くないけど、それっぽいリアクションをしている」と評する人もいますが、真っ向から否定する信念ですね。

ギュウゾウ:南部さんは最後まで台本を覚えられない人でした。だからというわけではないですが、「演技力や表現力がないなら内面から抉り出したほうが面白い」とは、いつも考えていたはずです。僕も「リアリティを追及するためにわざと覚えていないふりをしているんじゃないか」と思った時もあったんだけど、本当に覚えてなくて(笑)。

――台本を覚えずに電撃のライブに臨むのは、危険もあるんじゃないですか?

ギュウゾウ:そうなんです。立ち位置さえ覚えきれない人だったので、「今から火薬をぶっ放すのに、その場所に南部さんが立っていたらヤバイだろ!」みたいなことはよくありましたよ(笑)。ただ、それがライブらしい緊張感を生んでいたのかもしれません。

◆デンマークの女王の前でお尻でサボテンを…

――電撃をやってきて、「これは成し遂げたな」と感じた出来事はありますか?

ギュウゾウ:デンマークの女王に招待され、ロイヤルレセプションに出た時ですね。デンマークの国立劇場で催されたアジア祭で、中国の京劇や韓国の太鼓演奏に混ざって僕らがいたので、かなり変化球でした。王室の方々の前で、サソリを口に入れたり、お尻でサボテンを割ったり、ロケット花火を飛ばしたりしましたよ。警備の人たちはめっちゃ怖い顔でこっちを見てましたけどね(笑)。

――南部さんも喜んでましたか?

ギュウゾウ:喜んでましたし「次はイギリスだ!」って叫んでましたよ(笑)。

――“女王巡り”をしようと狙ってたんですね(笑)。

ギュウゾウ:他には、ニューヨークでスリーマンのイベントに出たんですが、僕ら意外のメンツが「ラモーンズ」と「プリテンダーズ」だったんですよ。

――もはや歴史上の人物とも思える、雲の上のバンドですね!

ギュウゾウ:僕はラモーンズもプリテンダーズも大好きだったので、興奮しましたね。でも、南部さんはラモーンズを知らなかったみたいで。僕に近づいてきて「ねぇギュウちゃん。ラモーンさんってどの人?」って聞かれたので、「全員」って返事をしました(笑)。

◆やり残したことは、「恩返し」

――長年の付き合いの中で、南部さんに「変わったな」と思った部分はありますか?

ギュウゾウ:若手や後輩に対しては厳しい人で、精神的に追い込まれそうなレベルでダメ出しをしていました。僕もされましたし。だけど、足を切断する直前まで糖尿病の症状が進み、入退院を繰り返した2011年以降、優しくなっていきましたね。以前なら怒鳴るような場面でも「こうしたらどう?」とソフトに提案するようになっていて。

――逆に、南部さんと「やり残したこと」はありますか?

ギュウゾウ:川崎にあるCLUB CITTA’というライブハウスへの恩返しを一緒にしたかったなぁと思いますね。

――どんな恩があるんですか?

ギュウゾウ:僕らが最後に全国ツアーをしたのが2008年。その最終公演がCLUB CITTA’だったんです。あちこち出禁になって、東京でライブができなかった時でも、ツアーの最後は必ずCLUB CITTA’でした。いろんな会場で怒られたり止められてきたことでも「何やってもいいよ」と言ってくれて。本当にお世話になりました。

――どんな恩返しをしようと?

ギュウゾウ:2023年がCLUB CITTA’の35周年だったんですが、僕らはその記念イベントにスケジュールの関係で出れず。なので「2024年にCLUB CITTA’ででかいイベントをやろう」と、南部さんと話していたんですが……。

◆若手メンバーの3人を「次のステップに進ませたい」

――今後の展望について教えてください。

ギュウゾウ:次のリーダーはまだ決めていません。個人的にはすぐにリーダーを決めるのには賛成ではないんです。例えば、いかりや長介さんが亡くなってからのドリフターズさんは、リーダー不在のままでも滞りなく活動していましたよね。ただ、エンターテイメントのグルーヴは若い世代が作ったほうがいいとは思っています。特に笑いは、世代によって感性が大きく違いますしね。うちの若手メンバーは3人とも素材がいいので、いずれ彼らが中心になって進めてくれるんじゃないですかね。

――若いメンバーにも期待と責任がかかりますね。

ギュウゾウ:必ず変化はすると思いますし、むしろしなくてはいけません。若手を次のステップに進ませてあげるのが、僕の役割かなと思っています。

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リーダーでもありアイコンだった、鬼才・南部氏を失った電撃ネットワーク。しかし、“盟友”ギュウゾウ氏はしっかりと先を見据え、変化を厭わない新しい姿を思い描いているようだった。過激なパフォーマンスを継承しつつ進化させ、末永くグループが存続することを南部氏は望んでいるのではないだろうか。

<取材・文/Mr.tsubaking>

【Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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