老舗お酢メーカーの後継者は元広告マン。“創業者の末裔”と思われても「変化球勝負」で挑むワケ

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2024年06月04日 09:21  日刊SPA!

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タマノイ酢株式会社 代表取締役社長の播野貴也さん(40歳)
 老舗企業における事業承継は、大きな転換点と言える。1907年創業のタマノイ酢株式会社は、大阪府堺市を拠点に置く老舗お酢メーカーだ。2024年4月1日付で33年ぶりの社長交代の人事を発表。
 新社長に就任したのは、元広告代理店出身の播野貴也さんで、父親である播野勤氏から事業を引き継いだ形となる。

 6代目という歴史の重みを背負い社長に就任した背景や、1世紀以上の歴史を持つ老舗企業の成長戦略について、新社長の播野さんに話を伺った。

◆学生時代はバックパッカーとして世界旅行

 大阪・堺で育ち、高校までは地元の学校に通っていた播野さんは、「大学へ進学するなら東京へ行ったほうがいい」と言われ、早稲田大学へ進むことに。

「すごく自由な空気で、面白そうな学校だなと思ったのが早稲田大学でした。大学時代はいろんなアルバイトを経験しながら、貯めたお金でバックパッカーになり、海外を渡り歩くような生活を送っていました」

 学生時代で最も夢中に取り組んでいたのは、ビジネスコンテスト(ビジコン、ビジネスのアイデアやプランを競う大会のこと)だったそう。播野さんが所属していたゼミの仲間とチームを組み、ビジコンのテーマに沿ってプロモーション戦略を考えていたという。

◆夢中で取り組んだビジコンで学んだこと

「毎回、ビジネスプランを考えてプレゼンするのが、すごく楽しかったんですよ。大学の単位を取るとか、資格を取得するために勉強するのとは違い、自主的にメンバーをファミレスに集めて、一晩中語り合ってプランを考えていましたね」

 やりがいを持って取り組んだビジコンでは、「世の中には、良いものなのに広げられていないものがたくさんあることを学んだ」と話す。

「どんなに素晴らしい商品やサービス、地域の良さがあっても、結局その魅力を伝えられなければ、無価値なものになってしまう。それって、すごくもったいないことだと思うんですよ。まだ世の中に知られていない、良いものを広げる仕事は何かと考えたときに、自分の中では広告代理店が思い浮かびました」

◆「業界最大手との戦い方を学びたかった」

 新卒で大手広告代理店のADK(アサツー・ディ・ケイ)へ入社する。広告代理店の二大巨頭といえば電通と博報堂が思い浮かぶが、播野さんは「業界トップに対して、2番手や3番手の“戦い方”を学べた」と語る。

「業界最大手の企業は、2位や3位の企業に比べて、ビジネスの規模感も、見えている景色も全く異なります。だからこそ、同じ戦い方をしては勝ち目がないわけで、真っ向から挑むのではなく、変化球で勝負することが求められます。そうしたビジネスの戦い方を実践で学び、自分たちで何かをプロデュースしてどんな反響が返ってくるのかを学べた経験は貴重なものになりました」

 ADKには3年間勤めたが、「消費者心理に興味を持つきっかけになった」と語る。

「うまくいった広告も、うまくいかなかった広告も経験しました。特に面白いなと思ったのは『広告として評価が高いことと、商品が売れることは、必ずしもイコールではない』ことでした。広告賞を受賞しても商品が売れるかどうかは別の話で、消費者心理の奥深さを知ることができました」

◆タマノイ酢に入社するも「配属に葛藤」

 そんななか、一番印象に残っているのが、ゲームのサウンドプロモーション企画だったそうだ。某ゲームのリメイク版をプレイした世代に向けて想起させる広告戦略に取り組んだという。

「思い出想起をいろんな角度から行うことになり、渋谷のセンター街で歩いている人たちに『耳に残るような懐かしい音楽を流す』というサウンドプロモーションを実施しました。結果的には多くの歩行者が振り返ってくれて、その様子をビデオカメラに収め、当時の部長にプレゼンしたんです。今で言うところのSNS企画に近いプロモーションでしたが、経営層から『すごく面白い企画をやってくれた』と間接的にポジティブな意見をもらえたのは、とても印象深かったなと感じています」

 3年間、広告マンとして働いた後、2010年にタマノイ酢へ入社した播野さんだが、経営者である父親からは「まずは現場に入ってもらう」と言われ、工場で勤務することになった。

「私としては、ずっと広告代理店でやってきた経験をもとに、会社の成長に貢献したいという思いを抱いていました。それでもタマノイ酢はメーカーなので、工場で全ての商品が作られる。だからこそ、『現場を見ておくこと』が重要なんだと自分の中で解釈しました。入社後に色々な仕事に関わらせてもらいましたが、結果的には最後の部署で販売企画を担当することになりましたね」

◆経営者である父の背中から学んだこと

 そんなタマノイ酢は、変化球で勝負を仕掛ける「挑戦の歴史」を歩んできたそうだ。世界で初めてすし酢を粉末化させた調味料の「すしのこ」や、ビネガードリンクのパイオニアになった「はちみつ黒酢ダイエット」など、時代の変遷に合わせて伝統と革新を紡いできた。

「やはり業界をリードするメーカーは王道の戦略を取ってくる傾向があります。広告代理店時代もそうでしたが、正面からではなく違う角度からアプローチしてみたり、奇をてらった策を打ってみたりしないと勝つことは難しいと考えています。そういうのは、経営者である父親の背中を見て学んだ部分もあるかもしれません」

 日本の伝統的な基礎調味料の消費量が年々減っているなか、タマノイ酢ではロングセラー商品であるすしのこのレシピ開発や、人気TVアニメ「【推しの子】」との特別コラボ商品の発売などのマーケティングで、新たな需要喚起を図っている。

◆縮小する基礎調味料の市場において

「大手企業は、広告予算が大きい傾向があります。そのため、SNSを起点に消費者を巻き込みながら、話題を醸成していくことで、認知を取っていくつもりです。そして、実売につなげていけたらと考えています。直近の『推しの子』との特別コラボ商品は、Yahoo!リアルタイムでトレンド1位を獲得するなど、大きな反響をいただきました。今の時代、本当にやり方次第でいろんなチャンスが見出せると感じています」

 とはいえ、広告に対して消費者が嫌悪感を抱きやすくなっているのも事実。消費者からの支持を狙って、広告で無理やり共感ストーリーを作り出そうとすれば“違和感”につながってしまう。そうならないためには、「企業と消費者との絶妙な距離感」が肝だと言える。

「常にアンテナを張りながら、いかに自然なストーリーに落とし込めるか。その点については、今まさに試行錯誤している段階なので、これからもさまざまな角度からのアプローチで、日々のライフスタイルの中でお酢の商品を使ってもらうように働きかけ、それがひいては健康寿命の延伸に貢献できたらと考えています」

「将来は会社を継ぎたい」。そう思うようになったのは、播野さんが中学生のときだった。学生の頃に思い描いていた未来が現実となった今、播野さんは老舗企業の「強み」を生かしつつ、時流に沿った「新しさ」も取り入れていけるように尽力していくという。

<取材・文・撮影/古田島大介>

【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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