「社会課題を解決したい」37歳男性が、“Amazonで商品を売る仕事”に見出した意味とは?

1

2024年06月04日 16:01  日刊SPA!

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊SPA!

※写真はイメージです
―[Amazon「自社ブランドOEM」高コスパ副業術]―
 皆さん、こんにちは。「物販NAVI」を運営している物販コンサルタントの船田寛と申します。

 夢や目標を持っていたとしても実現するための手段を見つけられる人は、決して多くはありません。第11回目は、約4か月前から自社ブランドOEMを始めたIさん(37歳・男性)の事例をご紹介します。

 Iさんは、これまでに広報・PR、動画や音声コンテンツの制作、プロボノ(専門知識・スキルを活かした社会貢献ボランティア)など、幅広く“複業”を行っており、年収は500万円ほどありました。それでもなぜ、Iさんは自社ブランドOEMにも力を注ぐようになったのでしょうか?

◆東日本大震災の経験で「お金をたくさん稼ぎたい」から「社会課題を解決したい」に

 Iさんは現在、地元の沖縄県で自分の経験を活かしてさまざまな活動をしています。

「全て本業でもあるし、すべて副業みたいな感じではあります。いわゆる“複業”ですね。ただ、自分の中で柱となっているのは“社会課題を解決したい”という思い。特に障害がある子を持つママ・パパの子育てや職を支援したい」

 沖縄県の高校を卒業後、東京の大学に進学。当時経験した東日本大震災がIさんの考え方に強く影響しており、仕事へのモチベーションが「お金をたくさん稼ぎたい」から「社会課題を解決したい」にシフトしたといいます。

「新卒では、子どもたちを支援したいとNPO法人に入社しました。そこでは障害のある子どもたちと触れ合う機会が多くあったのですが、支援できる人数には限りがありました。

 支援できる対象を自分の出身地の沖縄県や日本全国まで広げるためには、法改正につながる活動をするしかない……と、あの頃は意気込んでいましたね」

 日本の法改正という非常に大きな目標を設定していたIさんですが、第一子の誕生で環境が変わります。

「第一子の誕生を機に1年間の育休を取りました。妻も沖縄県出身なので生まれ育った地で子育てをしようと思い、一時的なつもりで沖縄に移住したんです。しかし職場復帰するタイミングでコロナ禍に突入。そのまま沖縄県からフルリモートで仕事するかたちとなりました。そのまま今も沖縄県に住み続けているのですが、仕事はコロナ禍が落ち着いたタイミングで独立しました」

 独立に踏み切れたのは、コロナ禍において副業で始めた動画制作の需要が大きかった。病院や医療系の会社の研修などをライブ配信したり、NPO法人などのソーシャルセクターの採用活動やSNS広告用の動画制作をしたり、多くの仕事があったといいます。

「動画制作の仕事だけでも年収1000万ぐらいあったので大丈夫そうだな、と。しかし独立した瞬間にコロナが五類に移行し、動画制作の仕事が急激に減ったんです。そこで自分の仕事について考え直しました。

 動画を制作するのは大きなやりがいがあるけれど、どうしてもクライアントごとの予算や都合に合わせて動かなければならない。それよりも自分でつくった商品をお客様に届ける仕事がしてみたいと考えるようになりました」

 その頃、Iさんの親しい友人が私のスクールに在籍しており、OEM事業で成功していました。

「大親友が『自社ブランドOEMを始めた』って教えてくれたんです。彼の本業は医療従事者でビジネスとは異なる領域ですし、そんなにうまくいくわけがないと正直思っていたのですが(笑)、販売開始半年ぐらいで月1000個以上の商品をAmazonで売るようになって。OEMのことをいきいきと楽しそうに僕に話してくれる彼を羨ましいと思ったのと同時に、情熱を注いでいることにリスペクトを感じました。そして、今まで経験がなかった彼が、ここまで鍛えられた環境はすごいと思って、私も興味を持ちました」

◆“障害を持った方の役に立ちたい”という思い

 私のスクールでIさんがまず行ったのは、取り扱う商材を決めるためのリサーチでした。

「自分なりに考えて育児系が良いのではないかと。最初に思いついたのは、お父さんがワンオペで育児するときに便利な、マザーズバッグのお父さん版です。良いアイデアだと思ったのですが、実際にリサーチしてみると検索数が低く、市場がほとんどないことが発覚しました」

 これは多くの生徒さんが最初につまずくポイントでもあります。もちろん、自分がやりたいことや、つくりたいものがあるのは良いことですが、実際に選定する際には「市場があるのか?」という視点が大事です。やはり、売れなければ元も子もないので。

 そこを意識したうえで「自分の経験の“棚卸し”をしてみたら?」とお伝えしたところ、過去の仕事から“障害を持った方の役に立ちたい”という思いにたどりついたそうです。

「新卒で入社したNPO法人の仕事で、自閉症や発達障害・身体障害の子どもたちがイヤーマフ(※ヘッドホンのような形状で、装着すると大きな音をやわらげる)をつけていたことを思い出しました。日常生活で聞こえてくる音に対して、聴覚過敏の悩みを抱えている子が多いんです」

 イヤーマフをAmazonで検索してみると、新卒だった頃から約15年経っているにもかかわらず、商品のデザインや機能が変わっていないことに驚いたという。

「子どもたちにとって快適とはいえない商品が並んでいました。既存のイヤーマフは“工事現場”で使用する大人用のものがほとんど。そのため、遮音値(音をさえぎる力を表す数値)が非常に高く、壊れにくいように重くて硬い造りになっている。これを子どもが長時間つけていると、当然、痛くなってくる。

 また、深夜の工事現場でも目立つように、たいていのイヤーマフがビビットカラーなのですが、学校や日常生活でつけていると目立ちすぎるわけです。目立ちにくい黒や、子どもたちが好むパステルカラーがあれば、喜ばれるのではないかと思いました」

◆自信を持って商品化に踏み切るまで

 さらに、小児科医である双子の弟さんの存在も大きかったそうです。

「弟が小児科医なので監修をお願いしてみると、『遮音値が高いと完全防音になり、逆に子ども用としては危ない。25デシベルくらいがいいんじゃないか』とアドバイスをくれたんです。耳障りな音は防ぐけれど、街中で親御さんが注意する声や周囲の音は聞こえることが安心・安全につながる、と。25デシベルは、子ども用のイヤーマフにベストな数値だったんです」

 ここまで順調に見えるIさんの商品開発ですが、同時に大きな不安も抱えていたそうです。それは「本当にこの商品が市場にフィットするのか」。

「いちおう市場があるといっても、そもそも子ども用イヤーマフ自体がそこまで認知されているわけではなかったので、つくっても売れるのか不安でした。そこで知り合いの聴覚過敏があるお子さんたちに1〜2週間お試しで使ってもらいました。すると、ほとんどのお子さんが『すごくよかった』と言ってくれたんです。それで確信しました」

 たとえば、「映画が終わるまで親子で一緒に映画館にいれた」「聴覚過敏のない兄弟も一緒に家族揃ってイベントに出席できた」「花火大会に参加できた」……そんな感想が多く寄せられたといいます。不快な音をやわらげて、精神的に安定するお子さんの存在を実感し、商品化に自信を持って踏み切れたのです。

◆「プロダクト」の力で社会課題を解決したい

 発売開始から4か月が経った現在、Iさんの商品は順調に売上を伸ばしています。

「聴覚過敏の症状があるお子さんが通っている保育園や特別支援学級の先生から、親御さんに『こういう商品が売っているから試しに使ってみたら?』とすすめてくれるようです。もともと子ども用イヤーマフの存在自体を知らなかった親御さんからも『この商品に出合えてよかった』といった感謝のレビューも多く、僕にとって励みになっていますね」

 1〜2か月目は順調な売上ではあるものの、広告費をかけたぶん、利益はほぼゼロ。しかし3か月目からは広告費を差し引いても手元に残る純利益が30万円を超え、収入としても安定してきました。今後は「耳栓専門店」として事業を拡大していきたいとIさんは意気込みます。

「最初の商品は3歳から15歳の子ども向けの商品でしたが、第二弾として0歳から3歳までの子ども向けの商品を発売しました。今後は特別支援学校で使えるもの、大人用の商品も展開できればと思っています」

 最終的に売上1億円を目指す……というのも目標のひとつではあるそうなのですが、Iさんが実現したいのは、自分の会社を「障害がある子を育てるママ・パパがスキルを活かして働ける組織」にすることなんだとか。

「OEMは、リサーチ・デザイン・製造・経理など、工程ごとに仕事を区切れるんです。ひとりでなんでもできるジェネラリストとしての働き方を求められる今の一般企業ではなかなか難しいけれど、区切られた特定の業務なら担えるという人はいると思うんです。

 実は僕の兄の子どもが障害を持って生まれてきて、兄夫婦は育児と仕事の両立にとても苦労しています。ゆくゆくは兄夫婦のように障害がある子を育てるママ・パパが働きやすい社会を実現したいですね。社会を変える方法は法改正に限らない。プロダクトを通じて社会課題を解決する手段もある、ということに気づいたんです」

 ここまで読んでいただいてわかるとおり、Iさんには自分で物事を考える力が備わっているので、私がアドバイスすることは正直そこまで多くありませんでした。沖縄在住ということもあり、東京でリアル講義を受けたのは1度だけ。オンラインでのやりとりが中心です。

 ただ、Iさんは「仲間との出会い」を喜んでくれていました。お互いに商品の相談をしたり、自主的な勉強会を開いたり、切磋琢磨する機会が多くあります。自社ブランドOEMに限った話ではありませんが、ビジネスは孤独になりがちです。どんなときでも相談できる仲間の存在は大きいと言えます。

 また、自社ブランドOEMで大切なことは「どれだけお客さんの悩みにしっかり向き合っていけるか」です。Iさんはとても強い思いを持っているので、未経験からでも成功できたのではないかと思っています。

<構成/松本果歩>

―[Amazon「自社ブランドOEM」高コスパ副業術]―

【船田寛】
物販コンサルタント。自社ブランドOEMスクール「物販NAVI」運営。かつては大手物流企業に勤めるも給料が少なかったことから新聞配達や深夜の警備員などでなんとか生活。ある雑誌で「せどりで稼ぐ方法」の記事を見つけたことをきっかけに、2011年6月より国内転売をスタート。2014年9月に脱サラ、法人設立後は自社ブランドOEMで月収500万円を達成。現在では物販スクールの講師としてコンサルも行いつつ、売り上げは月商2000万〜2500万円をキープしている。YouTubeチャンネル(@navi913)でも情報発信中。

    前日のランキングへ

    ニュース設定