『セクシー田中さん』芦原妃名子さんの漫画が、多くの人から愛され続ける理由

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2024年06月04日 18:20  女子SPA!

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芦原妃名子『セクシー田中さん』(フラワーコミックスα)小学館
日本テレビで2023年秋に同名ドラマ化された漫画『セクシー田中さん』の原作者である漫画家・芦原妃名子さんが急逝した件で、日本テレビが5月31日に、原作の発売元である小学館が6月3日にそれぞれ調査報告書を発表した。

報告書の内容を受け、本件は改めて世間の耳目を集めることになり、脚本家やプロデューサーへの批判も再燃してしまっている。しかし、芦原さんの本心はもはや伺うことができないものの、芦原さんの作品は「誰かを悪者にしないこと」がたしかに通底されていた。

(初公開日は2024年2月6日 記事は公開時の状況)

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1994年のデビュー以来、小学館漫画賞を受賞した『砂時計』『Piece』をはじめ、数々の名作を紡いできた漫画家の芦原妃名子先生。先週報じられた芦原先生の訃報は、ファンの一人としてとても受け止められないショックな出来事でした。

心が弱ったときや、前を向けないとき。芦原先生の物語には、いつでも読者を支えてくれる力があります。今回は、そんな芦原先生作品の魅力について紹介したいと思います。

◆1:深いキャラ設計で「人間」としての解像度が高い

アラフォーで地味な経理部のOL田中さんと、婚活に励む派遣OL・朱里を中心に登場人物たちが刺激し合って成長する物語『セクシー田中さん』(小学館刊)。この作品を読むだけでも、登場人物たちのキャラクター設計の深さに驚かされます。

主人公・田中京子は、TOEIC900点越えで税理士の資格をもち、経理部のAIと呼ばれる地味な40歳の独身OL。一方で、夜になると妖艶なベリーダンサー「Sali(サリ)」に変貌します。もう一人の主人公・朱里(あかり)は、23歳の派遣OLで、いわゆる「愛され女子」の風貌ですが、内面は実は腹黒く、考え方もドライ。

朱里は、田中さんのベリーダンサーとしての一面を知り“ストイックで、クールで、クレバーでユニークだけど少し影のある……気になって仕方ない人”(セリフ引用:芦原妃名子『セクシー田中さん』/小学館刊より、以下“”内同じ)とファンになります。自分の生き方を貫き、朱里からは、圧倒的な存在として崇められる田中さん。しかし、自己肯定感が低い部分も伺えます。四十肩に見舞われた際には“ダンスが踊れない私なんて、ただのおばさんよ――っ!!!”と号泣し、闇落ち。少女漫画やロマンチックな映画は好きだけど、恋愛には驚くほど消極的。人に関心がないようにみえて、過去の経験から他人とのコミュニケーションにとことん臆病。

ひとりの人間を、ひと言で表現するのは実に難しいことです。いい面もあれば、悪い面もある。調子がよい日もあれば、悪い日もある。対峙する人が変われば、見え方も変わってきます。そんな人間の本質的な部分を前提に、深く丁寧にキャラクターが設計されているからこそ、どの登場人物も「人間」としての解像度がとても高い。読者は、その奇抜な設定ではなく、人間らしく生きる唯一無二のキャラクターに惹かれるのです。

◆2:決して型にハマらないストーリー展開

誰かを一方的に悪者にしない描き方も芦原先生の作品の特長。例えば、女性への偏見にまみれた36歳の銀行員男性・笙野(しょうの)。はじめは、田中さんを“おばさん!”と呼び止め、朱里のことは“媚びまくって、男つかまえることしか頭になさそう”と決めつけるなど、失礼な発言しかしない人物です。

登場した当初は、筆者も「なんだこの無礼な男は!」「でも、アラフォーのこじらせ男子ってこういう価値観なのかも……?」なんて思っていました。しかし、徐々に彼を見る目が変わっていき、なんなら好きになりました。それは、彼の偏った価値観の背景にある家庭環境や過去の恋愛経験、親切心をもつ人間性が、丁寧に描かれていたから。さらに、田中さんとの対話、交流を通して笙野は少しずつ価値観をアップデートしていくのです。

そこから一気に田中さんと笙野が恋人関係に発展していくのか?! と思った読者も多いはず。しかし、そんな王道展開にはならないのが芦原先生の作品です。恋の矢印は簡単には向き合わないし、“理想的な気もするけど、おばさんだから抱けない!”など葛藤や勘違いをくり返していく笙野。

◆女性だけでなく、男性ならではの生きづらさも描く

また一方で、朱里からの好意に気づきながらも「友だち」という言葉で縛り、向き合うことから逃げてきた朱里の同級生・進吾(しんご)。そして、朱里のことを狙うチャラい広告マン・小西も、男性ならではの生きづらさを抱えています。朱里と小西の恋が「上手くいくのか?!」と思ったら、急に小西と進吾がふたりで男飲みすることになるなど。「えっ! そっち?」と、ありそうでなさそうな展開には驚かされます。そこが面白い。

人間は生きているだけで、さまざまな「想定外」に見舞われるものです。年齢を重ねても、そんな時はうろたえるし、自分の思うように世界は回らない。そんな大人たちのリアルな「ままならない」を、コミカルに、何より愛をもって描いている作品なのです。

◆3:共感せずにいられない、心に沁みる台詞たち

芦原先生の作品を読んでいると、乾いた心が潤っていく。それは、共感せずにはいられない、繊細な心理描写によってもたらされるものだと思います。

 “なんで 皆 自分には 大した価値がないって すぐに 思っちゃうんだろう”

 “友達 便利な言葉だな”

 “「キレイだね」って 言われるよりも 「かわいい」って 頭をなでられたい 好きな人にだけは”

年齢や性別、生き方や考え方は違っても、登場人物たちが語る心情に、自分自身の心や経験のなかにある想いを重ねずにはいられないのです。「その気持ち、分かる」と共感することで、過去もしくは今の自分を肯定してもらえたような気持ちになりませんか? そんな共感と肯定はとても優しく、まるで包み込まれるような読後感に、疲れた心が癒されるのです。

◆曲がってしまう背筋を、何度でも伸ばそうと思える

一方で、ハッとさせられる、背中を押してくれる台詞も数多くあります。

 “胸を張ろうと 決めたんだ 誰に何を 言われても 何度も 背筋を伸ばす”

 “若い人に 3倍努力すれば 追いつける 10倍努力 すれば 追い越せる
  私のこれからの 人生の中で 今が一番 若いんだから”

 “あなたは 今 あなた自身と 向き合って できることを やればいい”

私は漫画の技術的なことには明るくありませんが、セリフの一文字一文字も、構図やコマ割りも、伝えたいメッセージが読者の心に届くように計算されているのではないでしょうか。物語を介して、登場人物が、芦原先生が、自分に寄り添ってくれている気がするのです。この作品を読んで、曲がってしまう背筋を、何度でも伸ばそうと思った読者はきっと多いと思います。

◆改めて読み返したい、芦原先生の珠玉の作品

愛おしいキャラクターたちがリアリティをもって物語のなかで生きている。心に響くセリフが散りばめられた珠玉の物語は、『セクシー田中さん』だけではありません。

●四季を重ねながら綴られる初恋『砂時計』
両親の離婚をきっかけに母親の実家・島根に越してくる主人公の杏(あん)。そこで出会った幼なじみ・大悟(だいご)との物語である『砂時計』(小学館刊)は、映画・ドラマ化された大ヒット作品です。

年齢と四季の移ろいを重ねながら描かれる恋模様は、美しくも切ない。一見すると気が強く明るい杏ですが、12歳で母親を自死で亡くしており、どこか不安定。そんな弱さを抱えながら、周囲の人たちと共に前へ前へと進もうとする杏の姿には、胸が熱くなります。自分の指針が揺らぎそうなとき。自分に自信をなくしたとき。何度もこの作品に救われました。

●ミステリー小説のような『Piece』
ドラマ化もされた『Piece』(小学館刊)も推したい作品です。主人公・水帆(みずほ)は、19歳の若さで病死した高校の同級生・はるかが妊娠していた事実を知らされます。はるかの母親に頼まれ、元交際相手を探すことにした水帆。自分が高校時代に想いを寄せていた成海皓(なるみ・ひかる)をはじめ、関係者たちと対峙していきます。

調査対象となるはるかの生きた道は、決して奇抜なものではありません。けれど、徐々に彼女の真実が紐解かれていくストーリーは、ミステリー小説のような手に汗握る展開で惹きつけられます。そこに、自分自身の「心」と向き合わざるを得なくなった水帆の成長が重なり合って、涙なくしては読めません。

●結婚や幸せのカタチを模索『Bread&Butter』
人生に迷ったときに読みたいのは『Bread&Butter(ブレッドアンドバター)』(集英社刊)。あるトラブルをきっかけに小学校教師を辞職し、婚活をはじめた34歳の主人公・柚季(ゆずき)と、小さなパン屋を営む、元売れっ子漫画家である39歳の洋一の人生を描いています。柚季から洋一への突然のプロポーズから、ふたりの物語はスタート。パンを焼くこと、食べること、働くことを通して、自分自身と相手、そして周囲の人たちと、心を通わせていきます。

結婚や幸せのカタチを模索していくふたりの姿から、「自分は何を大切に生きていきたいのか」を、読者自身が問われるような作品です。人間関係に行き詰まったときや、自分の未来が見えなくなったとき。そっと寄り添ってくれることでしょう。

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他にも競馬の騎手を目指す少女が主人公の『Derby Queen(ダービー・クイーン)』(小学館刊)や、主人公が祖父の遺した不倫小説に自身を投影する『月と湖』(同)など、芦原先生の名作は数多くあります。

登場人物たちの愛おしい人生が描かれたそれぞれの作品は、いつまでも私たちの心を支えてくれるかけがえのない宝物です。

<文/鈴木まこと(tricle.ltd)>

【鈴木まこと】
tricle.ltd所属。雑誌編集プロダクション、広告制作会社勤務を経て、編集者/ライター/広告ディレクターとして活動。日本のドラマ・映画をこよなく愛し、年間ドラマ50本、映画30本以上を鑑賞。Twitter:@makoto12130201
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