【インタビュー】井浦新、海外出演作で伝える「違うを認めること」の大切さ

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2024年06月07日 07:51  cinemacafe.net

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井浦新/photo:You Ishii
6月7日(金)に公開となるアメリカ映画『東京カウボーイ』で、初の海外作品主演を果たした井浦新。

冷静沈着、効率至上主義のビジネスマンが、米国モンタナ州で思いがけず人生の豊かさに出会う物語の中で、異文化と触れ合ったことを機に自らを再生させる主人公ヒデキを演じている。

役柄同様、勝手の異なる現場を体験したという井浦さんに、撮影について、そして映画の魅力について聞いた。

多くの人が共感できる題材だからこそ「僕自身が試される」

――初めてのアメリカ映画主演作ですね。どのような経緯で出演されたのでしょうか。

マーク監督はこれまでの私の出演作をずっと観てくれていて、それで私に出演依頼が来ました。これまでも、私はとくに海外作品に出たいという意識はなかったのですが、俳優として取り組んできたことが、米監督からのオファーにつながった…ということが、日本の俳優として素直にうれしかったです。

――マーク・マリオット監督は、キャリア初期に来日し、山田洋次監督の『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』(1989)の現場に見習いとして参加したという日本映画通。「映画『朝が来る』を見て、新さんの素晴らしい自然な演技、純粋さに心を動かされて、この人が必要だ!とすぐに思い、今はそれは良い決断だったなと思います」とおっしゃっています。藤谷文子さんと共に脚本を担当したデイヴ・ボイル氏は、Netflixシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」(2023)の脚本・監督も務めています。オファーを受け、どのように感じましたか。

まず、好きな脚本だなと思いました。温かさを感じましたし、ある意味ヒデキの再生の物語でもありました。ヒデキを通して、人はどんな状況でも変化していくことができるという希望の物語でもあるとも思いました。とても普遍的で、自分の中にある身近なものにも寄り添える作品だと感じました。

だからこそ、この作品で自分がヒデキを演じることで、その思いをどうパフォーマンスしていけるかという点でも、これはすごいチャレンジになると思いました。たくさんの人たちが共感できる題材だからこそ、それに対してどういうアプローチをするかで、見え方や伝わり方は変わっていきますから、僕自身が試されるとも思いました。

――主人公のバックグラウンドはあまり語られていませんが、「再生の物語」と感じた理由は?

ヒデキには壮絶な過去があるわけではないと思います。こういう人っているよなと思わせる人物で、誰でも自分を重ね合わせられるような側面がある、そんな男だと思うんです。人によって幸せの価値観って本当に様々で、幸せの種類も人の数だけあっていいと思いますが、ヒデキは凝り固まった考えを持ってしまい、自分で自分の可能性をシャットアウトしていた。

きっと彼は、どちらかというと勝ち続けて来た人だったんだと思います。受験も、就職も勝ち続けて、周りが、もしくは自分が望むものをちゃんと手に入れてきて。恋人のケイコもそのひとつだったのかもしれません。ケイコは上司で、恋愛感情はあったとしても、どこか野心的な考えで付き合ったのかもしれない。

そんなヒデキがモンタナでは何にも通用しない。言葉も通じないし、価値観も違うし、何も伝わらない。そうして大負けすることができたんです。だからやっと恋愛や仕事で人とちゃんと関われるようになった。人と人とのコミュニケーションの中から、いろいろな幸せが生まれてくるんだということを知ることになり、生まれ変わっていく。そういう意味で、ヒデキの再生の物語だと思いました。



「ちぐはぐさを笑いにしない」それぞれの文化に敬意を払う

――「勝ち続けることが幸せ」という考えが長く当たり前でしたが、今『東京カウボーイ』のような物語が各国で賞賛されているのは、価値観が多様化し変化していくタイミングだからなのかもしれません。

世界中でみんながコロナ禍を同時に経験したというのも大きいかなと思います。当たり前だったものが当たり前じゃなくなって、既成概念が一回壊れて。新しい価値観を否が応でも受け入れざるを得なくなる。新しい考え方と共存して行くというか。もしくはこれはアップデートだと考えて変化をちゃんと受け入れていく、そんな価値観も生まれたのだと思います。

この作品は再生の物語ですが、この“再生”はコミュニケーションが鍵になっている。コロナ禍で世界中の人がコミュニケーションの断絶を経験し、不安を感じ、それを越えて価値観を再構築したりアップデートしたりする過程を経た。だから、この物語に自分を重ね合わせやすいのかも知れないです。

――モンタナの牧場でヒデキが「Languageが大切だ」と言われる場面が印象的です。直訳すれば、「Language」は「言語」という意味ですが、この文脈では相手の文化や習慣、考え方、服装までも含めた価値観などを意味していますよね。全く違う価値観を受け入れていくことは敬意のひとつであると感じました。

監督、脚本の藤谷さんはじめ、みんなが共通認識として持っていたのは、郷に入れば郷に従うことの大切さ。それは異文化交流でもあるけれど、その過程で見えてくるのは、言語や人種が違っても変わらないことがあるということ。違いを認めることで共通するものに気づけるということも、この物語は伝えようとしているのでしょう。

これは日本国内でも同じこと。物語の冒頭で、あるチョコレート会社を買収しますが、ヒデキはそこに気づけなかったから失敗した。共通する部分、変わらない思いに気持ちを寄り沿わせること、ヒデキがそれに初めて気づけた場所がモンタナだったんです。

――サラリーマンのヒデキがスーツを着て大自然に抱かれた牧場の中に入って行く。かなり滑稽ではありますが、脚本や演出もそれをバカにするのではなく、彼を見守るような温かさがあり、日本の文化を嘲笑するようなものを一切感じませんでした。作る人々が、日米両方の文化に敬意を払っているのが感じられて、見ていてとても気持ちの良い作品でした。

それは藤谷文子さんのおかげです。藤谷さんは日本にいた時期から俳優としてだけじゃなく、脚本家としても活動されていました。アメリカにフィールドを移した際に、日本の社会の中で浮いているアメリカ人やちょっと失敗している観光客をずっと観察し作品にしていらした。決して傷つけるようなやり方でなく。

今回、モンタナで日本人ビジネスマンを映し出すときにも、そのちぐはぐさを笑いに変えるのではなくて、そこに違和感を憶えたりユーモアを感じたりした観客が自然に何かを受け取ってくれればいいという姿勢なんです。笑いを押し付けてないというか。だから脚本もバランスがいい。

藤谷さんは両方の文化からの目線も持っているから、日本人サラリーマンをバカにしないし。人をちゃんと見て人を愛しているから、人や物事へのまなざしが温かい。だから作品の中で、日本人もメキシコ人もアメリカ人も、人種や文化、習慣、風習の違いを否定し合うことはないんです。



役と重なることを実感した撮影現場

――撮影は、東京以外に、映画『リバー・ランズ・スルー・イット』などのロケ地として有名なモンタナ州のパラダイスバレーでも行われましたね。

モンタナ州で約15日間、撮影が行われました。初めてのアメリカでの映画撮影は、日本とは勝手が違って本当に戸惑うことばかりでした。モンタナへ出張したヒデキの現地での戸惑いと、まったく同じ心境でした。モンタナでの撮影現場で学んだことは多かった。

共演した米俳優たちは、撮影でカットがかかるたびに、『今の自分のセリフはあまり気持ちが入っていなかったと思う。もう、一回、演じさせてほしい』など積極的に意見を出します。でも、実はいい作品を作るためには、そうやって現場で互いに素直に意見を出し合うことは、とても重要なことではないかと痛感させられました。

監督が求めていたのは、いわゆる演技らしい演技をせずに、怒ったり興奮したり、どう動いていくかを見せていくことでした。演技をし過ぎた時はもう1回やってみようとなり、僕も監督がこの映画の温度感をどうしたいのかはキャッチしていたので、いつの間にかヒデキの境遇と僕の状態が一つになっていました。

言葉が通じない撮影の現場に入っていくという点では、本当にヒデキと同じような状況になって、いつの間にかフィクションではあるけれども、僕の内側のところでは完全なノンフィクションになっていると、一つ一つ体感してみて感じました。


ヘアメイク:山口恵理子
スタイリスト:上野健太郎


(text:June Makiguchi/photo:You Ishii)
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