日本代表の「攻撃的3バック」は「改悪」 ミャンマーだからボロが出なかった

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2024年06月07日 11:50  webスポルティーバ

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 2026年W杯アジア2次予選、日本がミャンマーにアウェーで5−0と勝利した一戦は、森保一監督が"オリジナリティを発揮"した一戦と言い換えてもいい。

 ミャンマーは日本と100回戦っても勝てそうもないFIFAランキング163位の相手だ。普通に戦っては進歩がない。新たな試みをする絶好の機会であるとの認識は、森保監督と共有することができた。問題はその中身になるが、それを語る前に、森保監督と3バックの関係を簡単におさらいしておきたい。

 3バックが好きな監督である。サンフレッチェ広島時代はほぼそれ1択で通してきた。4分割にすれば3−4−2−1。前任のミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現・北海道コンサドーレ札幌)が採用した布陣を、自身が監督に昇格してもそのまま使い続け、そしてペトロヴィッチ以上の結果を出した。

 Jリーグを3度制し、「Jリーグで最も実績を残した日本人監督」の看板を引っさげ、日本代表監督に就任したのは2018年7月のことだった。

 他方、Jリーグでは広島に代わり、川崎フロンターレ、横浜F・マリノスが台頭。布陣で言えば、4−2−3−1や4−3−3がメインストリームとなった。高い位置から網を掛けようとする攻撃的サッカーである。

 森保監督としては、代表監督として、流行から外れた3−4−2−1を採用しにくい状況になった。就任当初は「臨機応変」と言って方向性を曖昧にしていたが、ほどなくして、時代の流れに合わせるように4−2−3−1、4−3−3をメインに使用し始める。

 だが、成功体験を完全に忘れ去ることはできなかった。グループリーグ突破は難しいだろうと言われたカタールW杯で、森保監督は突如、3−4−2−1に回帰する。結果論で言えば、その方針転換は大成功を収める。スペイン、ドイツに勝利し、予想を覆してベスト16に進出した。カタールW杯以降、3−4−2−1は4−3−3、4−2−3−1と並ぶ、立派な選択肢のひとつになった。

 もっとも3−4−2−1は、4−3−3や4−2−3−1に比べると異質だ。感覚的な言い方になるが、たとえば4−3−3の"攻撃的サッカー指数"を5とするならば、4−2−3−1は4.5で、中盤フラット型4−4−2は4ぐらいになる。ところが3−4−2−1はせいぜい2だ。落差が大きすぎるのだ。

 なぜ、そこまで攻撃的サッカー指数を下げなければいけないのか。

【オリジナル版の3−4−3】

 1試合のなかで、そこまで方針転換を求められる試合はどれほどあるか。4−2−3−1、4−3−3でうまくいっていたものを、3−4−2−1にしたばっかりに敗れたとなれば、監督の采配ミスとなる。監督にとって本来リスクが多い選択になる。

 なぜ、そんな手に打って出るのか。本質的に後ろで守る守備的サッカーが好きだからなのか、3バックが好きだからなのか。それならなぜ、ほかの3バックではダメなのか。

 森保監督は今回の代表メンバー発表会見の席上で、3−4−2−1ではなく3−4−3と称していた。しかし、3−4−3と言われる布陣には、3−4−2−1とはコンセプトが真逆な、攻撃的と言われる3−4−3もある。ミャンマー戦、シリア戦は事実上の消化試合である。試すなら、攻撃的な3バックであるべきだ。日本の現状を踏まえれば、中盤フラット型よりダイヤモンド型の3−4−3だと、ミャンマー戦のプレビュー原稿で筆者は述べた。

 ミャンマー戦。パッと見、3バックだった。その中身に目を凝らせば、時間の経過とともに全貌は明らかになっていった。中盤フラット型でもダイヤモンド型でもない、それは完全なオリジナル版だった。

 からくりは至ってシンプルで、従来の4−2−3−1、4−3−3に手を加えたものにすぎなかった。拍子抜けしただけならまだよかった。ほどなくすると期待は落胆に変わった。典型的な改悪だった。

 伊藤洋輝、谷口彰悟、橋岡大樹、菅原由勢。この4人が最終ラインを形成する時間もあったが、右の菅原が高めの位置を取る時間が長く、それが3バックに見えた理由だ。

 3と4の可変式である。3バックといえば、これまでの森保ジャパンの場合は3−4−2−1で、それは5バックと同義語だった。「3バック=5バック=守備的」。日本では3バックは守備的サッカーの代名詞だった。だが、この日の3バックは5バックとイコールで結ばれなかった。従来の概念を覆す新しいものに見えた。

 問題は菅原の前で構えた堂安律のポジションだった。右のウイングと言うより1トップ、小川航基の斜め下で構えるシャドー的な選手だった。

【右サイドで後手を踏むことは確実】

 右のサイドアタッカーはその結果、菅原ひとりになった。右と左とはつまり非対称な関係に陥った。伊藤はセンターバック(CB)というより、半ばサイドバック(SB)的な位置づけで、その前に鎌田大地、さらには大外にウイング然と中村敬斗が構えた。

 4−3−3に置き換えれば、アンカーが守田英正、インサイドハーフが鎌田と旗手怜央。堂安が右ウイングと言うより内寄りに構える、4−3−3を時計と反対回りにグイとひねり、3バック気味になった布陣。これがこの日の実験の全貌になる。

 左ウイングの中村は大活躍だった。三笘薫に追いつき追い越せとばかり、縦勝負を再三にわたり敢行。レベルを上げていることが明らかになった。しかし、中村がウイングプレーを決めるほど、堂安のプレイが中途半端となり、それが顕著になった。右からのサイド攻撃はあるときまでゼロに等しかった。

 この左右非対称な4−3−3。FIFAランク163位のミャンマーだからボロが出なかった作戦となる。左右非対称は、相手ボールに転じた瞬間、穴になる。攻守が切り替わった瞬間、堂安は中央付近にいることが多いので、相手の左SBにプレッシャーはかかりにくくなる。日本が右サイドで後手を踏むことは確実になる。

 菅原はひとりで相手のサイドアタッカーふたりを見ることになる。サイドにおける数的不利は、プレッシングサッカーにおいてはかなり致命的なエラーになる。サイドを制すものは試合を制す、なのだ。

 想起したのは、4−2−3−1の3の右を務めた中村俊輔が、そのポジションにいる時間が20%にも満たなかった岡田ジャパンであり、香川真司が4−2−3−1の3の左にいることが20%にも満たなかったブラジルW杯時のザックジャパンである。さらに言うならば、先のアジアカップのイラク戦で、4−2−3−1の3の左に、ウインガーとしての適性がない南野拓実を置いた森保采配も、そこに入れることができる。

 ポジションを守る概念がないサッカー。いるべき場所にいることの重要性を認識していないサッカー。プレッシングの概念が浸透していないサッカーを象徴する"絵"が、ミャンマー戦のピッチに如実に描かれることになった。

 落胆せずにはいられない。実験の正体は、日本サッカーの進歩、発展に貢献しない古典的サッカーの蒸し返しだった。この変則3バックは誰の発案なのか。少なくともチャンピオンズリーグなどでは絶対に見かけない采配である。選手の足を引っ張る采配とはこのことだ。あまり言いたくないが、日本の指導者のレベルを見てしまった気がするミャンマー戦だった。

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