富永啓生が選んだ「日本代表経由NBA入り」の道筋 それはパリ五輪への断固たる決意の表われ

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2024年06月08日 10:10  webスポルティーバ

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 昨年のW杯で、バスケットボール男子日本代表のパリ五輪出場権獲得に貢献した富永啓生がアメリカ・ネブラスカ大学を卒業。当初より希望していたNBA入りを目指すために選んだルートは、その登竜門と言えるNBAサマーリーグではなく、日本代表のパリ五輪で自分をアピールすることだった。

 その決断の背景には、富永が自身を俯瞰した冷静な判断、そして日本代表、NBA入りへの熱い思いがあった。

【NBAの登竜門・サマーリーグを見送った理由】

 腹はくくった、といったところか。

 今、日本のバスケットボール界で最も気になる男のひとり、富永啓生が日本に戻ってきた。7月開幕のパリオリンピックへ向けて合宿に励む日本代表チームの活動に参加するためだ。

 3月に行なわれた全米大学選手権(NCAAトーナメント)をもって、3年間在籍してきたネブラスカ大学でのプレーを終えた23歳は、子どもの頃からの憧れであるNBA入りを目指しているが、このタイミングで帰国をしたのは、冷静かつ現実的な判断をしたと言っていい。

 5月終盤からサクラメント・キングス、ロサンゼルス・クリッパーズ、シカゴ・ブルズと3つのNBAチームのワークアウトに呼ばれ、得意の3Pシュートを筆頭とする自身の技量を披露してきた。

「自分のストロングポイントは出せたかなと思います。自分が見せたいプレーというのは見せられたかなと思うので、ワークアウトでの手応えはあります」

 6月6日、富永は日本での帰国会見で、そう語った。

 では、そのことで富永のNBA入りが有望視されているかといえば、そうではない。6月26日からNBAドラフトが開幕するが、わずか2巡しかない、つまりは世界の60名のタレントしか選抜されない場で、彼の名前が呼ばれる可能性は低いと見られている。

 そのことは、5月中旬に78名のドラフト候補の能力を見るためのイベント・NBAドラフトコンバインに富永の名前がなかったことが示している。

「ドラフトコンバインにも招集されなかったりしたので、ドラフトというところは、今はちょっと難しいかなと」

 富永は、静かにそう話した。

 しかし、それ自体が特段、大きな驚きだったわけではない。富永にNBAの可能性があるとすれば、それは2023-24まで6年間NBAでプレーし、来シーズンより日本のBリーグ入りの意思を表明している渡邊雄太のように、ドラフ外からワークアウトやサマーリーグでのプレーを経て、というのが現実的な道だと思われてきた。

 ところが富永は、たとえその機会が訪れたとしても「サマーリーグでのプレーはしない」と明言した。この段階でそう言いきったことで、関係者からやや驚きの反応を引き出している。

 サマーリーグは、ドラフトされた新人たちがNBAルールに慣れるため、またドラフト外選手や、その他NBAロスター入りの境目にあるような若手選手たちの能力を見極めるといった目的で、毎年開催される。同リーグは全米の複数の会場で催されることが多いが、最も多くのチームが参加する主会場はラスベガスで、今年は7月12日から22日の日程で行なわれる。7月27日からのパリ五輪の男子バスケットボールとは重なりはしないものの、日程は近接している。

 日本からはかつて、田臥勇太、竹内公輔、比江島慎(すべて宇都宮ブレックス)、川村卓也(元シーホース三河など)、富樫勇樹(千葉ジェッツ)、渡邊、八村塁(ロサンゼルス・レイカーズ)、馬場雄大(2023-24は長崎ヴェルカ所属)らが出場している。

 富永のNBAへの憧憬は、強い。が、そこに到達する道筋として、彼は、サマーリーグの話があったとしても参加しないという決断をしたのだ。

 腹をくくった、というのはそういうことだ。

【日本代表で描く自らの履歴書】

 代わりに、富永の頭のなかにあるNBA入りへの別の道筋は、こうだ。

 日本代表で、パリ五輪で、活躍すること――。

 富永曰く、NBAのワークアウトには参加し、この時期から代表に合流することは「もともと、決めていた」とのことだ。

 この決断を「自分の意思で」下したという富永は、「代表に対する思いも強い」と話している。

 富永が言う。

「去年のW杯でパリの切符を掴んだ熱狂、興奮は終わってからも、結構、心に残っていました」

 しかしこうなると、限られた試合数のパリ五輪で富永は高いレベルのパフォーマンスを披露しなければならない。

 日本が自力でオリンピックへの切符を手にする躍進を果たした昨夏のW杯。富永はチーム4位の1試合平均11.4得点を挙げ、3Pの成功率は37.5%と高確率だった。だが、ドイツ、オーストラリアというNBA選手を数多く抱える世界のトップレベルのチームとの対戦では、得点は計13点(平均6.5)で、計12本放った3Pはわずか1本しか決められていない。

 日本(世界ランキング26位)はパリ五輪の予選ラウンドの初戦で、再びドイツ(同3位、2023年W杯優勝国)と当たり、次いで開催国・フランス(同9位)、世界最終予選ラトビア会場勝者と対戦する。すべて強敵ばかりとの試合となるが、ここを勝ち抜き、決勝ラウンド進出という高い目標を掲げる日本にとって、富永という「飛び道具」の調子がひとつの鍵になると言っても差し支えはあるまい。

 サマーリーグなどに富永が出場しないことについて、まったく理解不可能というわけでもない。2019年にダラス・マーベリックスの一員としてサマーリーグに参戦した馬場などは当時、「もう少しボールがもらえれば」と漏らしながら、そこで己の力量を十全に出しきることの難しさを語っている。サマーリーグはNBAでの定位置を獲ろうと自身の力量を必至に示そうとする選手たちが集まるため、選手のタイプによってはパスが回ってこないことも起こり得る。そのような環境下では自身のよさを見せられないと、富永は考えたか。

 また、渡邊のように即、NBAのコートに立つのではなくNBAの下部組織・Gリーグでプレー(渡邊の場合はNBAとGリーグの両方でプレーできる「2ウェイ契約」)し、そこからNBA入りの道筋を視野に入れるというのも、現実的な可能性として考えているだろう。

 それに比べて、日本代表における富永の実力はトム・ホーバスHC以下、すべての選手たちがわかっていると言っていい。そのうえ、「ファストペース(fast pace)が好きだ」という彼にとって、速いテンポで3Pをどんどん打てる現在の日本代表のほうが、より力を発揮しやすいと言えるかもしれない。

 オリンピックという強豪ばかりの12チームのみが出場する舞台でのパフォーマンスこそが、自身の「履歴書」になる――。富永の視線はそこに定まったといっていい。

【すべてにおいて大事なのは「信じること」】

「来年の自分の所属先は決まっていないのですが、パリ五輪で活躍をして(NBAの)チームからオファーをいただけたらいいなと思っています」

 ネブラスカ大の最後の2年は主力となったこともあって、富永の大学周辺での人気は高まったが、同大が出場した3月のNCAAトーナメントの直前など、彼は注目選手として紹介されている。

 彼の卓越したシューティング能力だけで、そのような扱いをされたわけではない。シュートを決めてジェスチャーを交えながら興奮を体で表現する富永を、現地のメディアは「Animated(活気のある)」「Larger than life figure(とても魅力的な存在)」といったフレーズを使って紹介した。

 元NFL選手でスポーツ局ESPN『ザ・パット・マカフィー・ショウ』のホスト、パット・マカフィー氏はエキセントリックかつ歯に衣着せぬ物言いで有名だが、その彼は以下のように富永のことを熱く語っていた。

「富永啓生は大学バスケットボールで最も刺激的なプレーをする選手かもしれない。なぜこの選手がビッグ10ネットワーク(ネブラスカ大が所属する大学リーグ専門の放送局)だけでしか見られないんだ。全国放送で映すべきだろう」

 その後、富永はNCAAトーナメントの終盤に行なわれた大学オールスターゲームに招待され、3ポイントコンテストで優勝。その名は、さらにアメリカの人々の脳裏に刻まれた。

 富永は2022-23シーズン後にもNBAインディアナ・ペイサーズのワークアウトに参加(のちにNBAドラフトへのエントリーを撤回しネブラスカ大でもう1年プレーすることを選択)しているが、今年の3チームでのワークアウトではより進化したところを見せられたという。3チームの関係者からはとりわけオフェンス面で「いい動きをしていた」と好感触を得られた一方で、「ディフェンスでもうちょっとレベルアップができたらもっとよくなる」と、忌憚のない言葉を受け取ったという。

 ホーバスHCは2021年の東京五輪で日本女子代表を銀メダルに、そして同男子代表を昨年のW杯で先述の成功に導いているが、いずれの場合も彼の指導の下、選手たちが自分たちのバスケットボールと力量を「心から信じる」という気持ちがあったからこその成果だった。

 オリンピックでの活躍によってNBA入りの機会を広げようと目論む富永にとっても「心から信じる」気持ちは、失ってはいけないものだ。

「代表活動から学ぶことはたくさんありました。信じることは代表では特に言われていることで、ただそれは代表に限らず、すべてのことに対して一番大事なことだと思います」

 富永はそう言いながら、自身の選ぶ道に疑う気持ちを持たない決意を示した。

 子どもの頃から憧れてきたNBA入りを、現実的に考えられるところまで来た富永。その扉は彼にとって薄いものではない。だが、日本代表の一員としてパリオリンピックのコートでその才能を爆発させてNBA入りを実現させるという道筋を、頭のなかに描いている。

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