河合優実が語る『あんのこと』。薬物依存や過酷な家庭環境……現実のなかに映画が見出した「救い」

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2024年06月10日 18:10  CINRA.NET

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Text by 森直人
Text by 西田香織
Text by 今川彩香

飛ぶ鳥を落とす勢い、というお決まりのフレーズが、いまこれほどリアルにハマる新鋭俳優もほかにいない。そう、現在23歳の河合優実だ。2019年のデビュー以来、卓越した演技力や存在感で業界内外の注目をぐんぐん集め、2022年には『由宇子の天秤』(監督:春本雄二郎)や『サマーフィルムにのって』(監督:松本壮史)などの演技で『キネマ旬報ベスト・テン』新人女優賞、『ブルーリボン賞』新人賞、『ヨコハマ映画祭』最優秀新人賞を獲得。今年(2024年)は宮藤官九郎脚本のTBSドラマ『不適切にもほどがある!』の“昭和の高校生”純子役で大ブレイクを果たし、幅広い層におなじみの顔となった。

さらに5月、『第77回カンヌ国際映画祭』監督週間に正式出品され、国際批評家連盟賞に輝いた主演作『ナミビアの砂漠』(監督:山中瑶子)も今年夏の公開が予定されている。本人の芝居もさることながら、出演作の質の高さに定評があり、最前線に立ち並ぶディレクターや作家たちがこぞって河合優実を指名する。こうなると映画、テレビドラマ、演劇など物語を紡ぎ出すクリエイションにおける、新しい時代のキーパーソンだと言わずにはいられない。

そして6月7日(金)に公開された『あんのこと』で、河合優実は苛酷な家庭環境で育ち、薬物依存に苦しむ主人公の香川杏を演じた。監督は『SR サイタマノラッパー』(2008年)をはじめ、『22年目の告白―私が殺人犯ですー』(2017年)や『映画ネメシス 黄金螺旋の謎』(2023年)など数々の話題作を手掛けてきた入江悠。これは2020年に自ら命を絶った実在の女性にまつわる記事から着想を得て生まれた物語だ。「彼女の人生を、自分が生き直す」と決意した河合優実は、自分と同世代の、しかしまったく異なる境遇を持つ存在となって社会のボトムを彷徨う。果たしてその壮絶な演技体験とは、また杏を通して見た世界とは――。

―今回、実在の女性をモデルにした主人公・杏の人生を映画の中で河合さんはどう生きたのか、なぜこれほど強い表現として映画に刻むことができたのか、非常に興味があります。撮影は2022年の年末だったそうですが、まず入江悠監督からオファーが来たときのお気持ちを聞かせてください。

河合優実(以下、河合):デビューしたてのころ、入江悠監督のワークショップを受けたことがあったので、監督とは以前から面識はあったんです。『SR サイタマノラッパー』など入江監督の作品はいろいろ観ていましたし、コロナ禍以降に撮られた『シュシュシュの娘』(2021年)も大好きでした。

今回の企画が動き出してからは、まず台本の準備稿をもらったのかな。もちろん本当に難しい題材だと思いましたし、場合によっては尻込みしちゃったかもしれません。でも『あんのこと』に関しては台本の持つエネルギーがあって、杏の役を請け負うことに強い気持ちを持てる自分がいました。「怖い」「逃げたい」「やりたくない」ということよりも、「大丈夫だ、大丈夫だ」と自分と杏に言い聞かせたい気持ちがすごく湧いてきて。

そのあと入江監督にお会いしたときに、「自分の考えを文章にしたので一度読んでください」とお手紙をもらったんです。そこには実在の人物や事件を映画として再構築する際のスタンスや、その責任を引き受ける覚悟のほどなどが、慎重に選んだことがわかる言葉で書かれていました。特に印象的で、今回の現場でもずっと私の心に刻まれていたのが「彼女の人生を生き返す」という一節でした。

河合優実(かわい ゆうみ)
2000年12月19日生まれ、東京都出身。2021年出演『サマーフィルムにのって』『由宇子の天秤』での演技が高く評価され、第43回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞、第35回高崎映画祭最優秀新人俳優賞、第95回キネマ旬報ベスト・テン新人女優賞、第64回ブルーリボン賞新人賞、2021年度全国映連賞女優賞を受賞。2022年は『愛なのに』、『女子高生に殺されたい』、『PLAN 75』をはじめ計8本の映画に出演し、第35回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞新人賞を受賞した。

―主人公・杏のモデルになったのは2020年5月上旬、コロナ禍で支援活動が途絶え、更生への道を歩む途中でありながら当時25歳で自死を選んでしまったハナさん(仮名)。映画のなかでは稲垣吾郎さんが演じているジャーナリストの桐野のモデルとなった、生前のハナさんと交流されていた新聞記者さんにも直接取材されたそうですね。

河合:はい。その記者さんには入江監督が脚本をつくるうえでも全面的に協力いただいていたので、「私もちょっとお話を聞きたいです」って申し出てみました。そこから入江監督も交えて3人で1日、狭い部屋にこもって結構長い時間、お話させていただくことができました。

―どういうお話をされたんですか?

河合:もう根掘り葉掘り、私が思いつくあらゆる質問をした感じです。その記者さんがハナさんと接していたときの印象とか、どこで会って何を食べてたとか。何を着ていたかとか。話した内容や、そのときの態度。記者の方には守秘義務があるので、私はハナさんの本名も、顔も知らないんですね。でもそのときのお話を通して、たしかにこの世に生きていた彼女の存在を実感させてもらえました。入江監督も、それまで自分が記者の方にしてきた取材とは別の視点があったとおっしゃってくれました。

―なるほど、そうなると本当に現実に近い劇映画だという感じがしますね。

河合:ただ、ハナさんご本人を再現しようとすることは正しくないと思いましたし、そもそも無理なことなので。あくまで杏というフィクションの人物像を理解するに当たってのベースになった、という感じなんですが、う〜ん……(しばし沈黙して)、ここは確かに難しいところでしたね。

―これは作品の大きなポイントだと思います。ハナさんはハナさんであって、杏ではない。だがしかし、亡きハナさんの魂のバトンを受け継いで、もう一回映画のなかで新しい人生を生き直さなきゃいけないということが、河合さんや入江監督の動機になった。その距離感をどう捉えるか、というところ。

河合:はい。最初はハナさんへの思いが大きすぎて、いろいろなことを考えてたんですが、そういう状態で映画をつくるのは難しい。今回は薬物更生や介護の専門職の方にもお話を聞く機会をいただけて、いつもの作品に比べたら下準備に多く時間を取れたんです。それはとてもありがたかったんですが、たぶん、私がハナさんの実像に囚われ過ぎ始めたタイミングで、入江監督が「どこかでご本人とは離れなきゃいけないですよね」っておっしゃってくれたんですよね。あっ、たしかにそうだな、と思って。最初に監督からいただいたお手紙の文面にも「適切に距離を取る」といった一節がありましたし。

もちろん杏を演じるなかで、ハナさんの魂を手放すことは一瞬でもあってはならないと思っていましたけど、「私がハナさんになる」なんてことは傲慢だし、失礼だし……。あと、入江監督から、その「どこかでご本人とは離れなきゃいけないですよね」って聞いたときから、ようやく呼吸できるようになったというか、役との折り合いがついたというか。

でも難しいですね、距離の取り方。いまも答えは出ていないのが正直なところです。

―そういう演技体験は初めてですか?

河合:初めてですね。まったく新しかったかもしれない。

例えば、母親からの強い抑圧を受けて育った主人公で、実在する方をモデルにした役を演じたことはあったんです(NHKスペシャル『“宗教2世”を生きる』ドラマ編『神の子はつぶやく』の主演・木下遥役/2023年11月3日放送)。ただ今回の『あんのこと』は、自分の役のモデルになった方が、すでに亡くなられているということ。自分がもう会うことのできない女性の人生に向き合うということ……その事実を相当重く捉えてしまって。設定として多少近い役は過去にもあったかもしれないけど、演じるうえでは全然、いままでの役とは違いましたね。

―杏は子どもの頃から母親の虐待を受け、経済的な貧しさのため売春を繰り返し、深刻な薬物依存で、学校教育もちゃんと受けられていない。あまりにハードな環境のなかで生きてきた人物です。映画の中で河合さんご自身が杏として生き直すために共感の糸口になったものってありますか? 杏の中に入っていく回路になったものと言いますか。

河合:やはりハナさんについて記者の方に話をお聞きしていたときなんですけど、役を理解するうえでひとつ助けになったのは、「記憶の中のハナさんの姿やイメージってどんな感じですか?」って質問したときに、「いつもニコニコ笑っていて、人見知りというか照れているような感じ。仲のいい大人と一緒だとその人の陰に隠れたがるような、ちょっと幼い女の子のような印象」とおっしゃっていたことです。

多分それは、私が杏を演じるうえで設定や属性だけ見ていたら、自分からは絶対出てこない印象だなと思って。それを聞いたときに、初めて杏の姿を具体的にイメージできた気がしましたね。

―確かに実年齢からすると、杏の服装や佇まいにはどこか幼い印象がありますね。外見や日常でどういう格好をするかというのも、内面の表出だと思います。杏が身につけるアイテムなども、記者さんとのお話をベースに決めていったところもありますか?

河合:ありますね。今回、衣装は大きかったです。それがなかなか決まらなくて。

―試行錯誤はあった?

河合:そうですね。衣装合わせを2回したんですけど、入江監督やスタッフの方々と、何度も話し合いを重ねながら慎重に決めていきました。例えば新しいお洋服を気軽に買い足せるようなお金もないし、もしかすると小学校6年くらいから同じ服をずっと着ているんじゃないか、みたいなことを想像して。何となく家にあったお母さんやおばあちゃんのお下がりを着ているんじゃないか、とか。小学校で学校に行くのをやめているので、そこで外とのつながりがストップしちゃっていることが、中身の幼さやあどけない印象につながっているのかなと。

たぶん、杏がいつも背負っているリュックを決めたときに、イメージがひとつ固まったんだと思います。きっと街ですれ違っても、そんなハードな環境に居る子だなんて絶対気づかないよねっていうことが具現化した瞬間でした。

―荒れた境遇と本人の印象のギャップといいますか……ただそれも、こちらが勝手に抱いている偏見からのズレに過ぎないんでしょうね。

河合:そう思います。私にもやっぱり先入観や思い込みってありますし、まずそのバイアスを徹底的に壊そうって思いましたね。

私自身とは境遇があまりにも離れているので、そうなると、あらかじめ刷り込まれてる既成のイメージをなぞっちゃいそうになるときもあったんです。いままでやった役って自分とそこまで離れていなかったんだなって改めて思ったんですけど……行動原理が自分と違えば立ち居振る舞いも変わってくるので、今回は細かい部分について考えることが本当に多かったですね。

リアリティという点で言うと、映画の物語を知ったうえで杏を見ると、社会性を育んでこられなかった人物で、薬物を常習的に使っていることが身体的にも表現されていないといけない。でも例えば、通りすがりの人が、彼女のある日常のひとコマだとか断片的な瞬間だけ接したとき、スルーできてしまうラインというか。

そういう杏の姿を目指しましたし、明確なゴールが見えないなかで、私自身が納得しながら撮影を進めていけたのは、チーム全体でひとつひとつ必要な描写を丁寧につくっていけたからかなって思います。

―共演者の方々とはどういった話をしてつくり上げていきましたか?

河合:杏に更生への道を開いてくれる刑事・多々羅役の佐藤二朗さんや、ジャーナリストの桐野役の稲垣吾郎さんは、私のなかで役とご本人の印象が重なっているんですよね。

今回は順撮りに近いスケジュールだったんですが、カメラの前でその場その場の自然な感情に身を委ねることができたので、杏に対して親身に寄り添ってくれた多々羅や桐野のように、現場での二朗さんや稲垣さんの存在は本当に頼もしかったです。そのぶん、役や映画についてはそこまで話をしていなくて。いちばん話をしたのはお母さん役の河井青葉さんですね。

―河井青葉さんの凄まじい怪演には驚きました。杏に売春を強要し、容赦なく暴力を振るう毒親の役。娘の杏を「ママ」と呼んだり、彼女自身に意外な幼さが温存されていて、母親から娘へと受け継がれた負の連鎖を濃厚に感じさせたりもします。

河合:きっと杏はお母さんに泣いてほしくないし怒ってほしくない。お母さんには自分が必要だと感じていて、憎しみや怒りをぶつけたくはなかった。お母さんのほうは、そんな杏の気持ちにつけ込むかたちになっちゃっているんですけど、お互い良くも悪くも結びつきが強いから離れるのが大変だった。つまりある種の共依存関係にあった、ということなのかなと思っています。

「役から遠い」といえば、まさに青葉さんはそうで。普段は本当に穏やかで優しい方なので……今回は一緒に暴力シーンをつくっていくのが本当に大変でした。きっとゼロから100にまで瞬間的に振り切れるタイプの演者もいらっしゃるんでしょうけど、私たちはリハーサルのときから、その空気を作ることにものすごく時間が掛かりましたね。

難しいと思うんですよね、こういった作品でのコミュニケーションの取り方って。青葉さんの苦しさも、私の苦しさも、現場では結構漏れ出ちゃっていた気がします。お互いに。

―今回は東京・赤羽が舞台ですが、オールロケ撮影ですよね。杏が母親や祖母と住んでいるのは、ゴミが散乱している団地の一室。あの部屋の中に入れば、もう澱んだ生活の空気が醸成されている……そこでの演技はきつかったですか?

河合:そうですね。たぶん、私は演じる役にすごい気持ちが持っていかれてしまうタイプではないと思うんですけど、あの団地の部屋に2度目に行ったときは、やはり平静ではいられなかったです。

もうあの家からは逃れようと、二朗さんと稲垣さんが公園で待ってくれている間、杏が自分の荷物を取りに行くためにもう一度団地に行ったとき。「ああ、この場所に戻ってきてしまった……」って、胸がずーんと重たくなったのを覚えています。

―杏が戻りたくない場所。その感じは映画にものすごく出ていました。

河合:基本的に順撮りだったので、杏に同期していた私自身の感情の変化の過程を、できるだけそのまま映してくださいました。

※以降、物語の重要なシーンに関する内容を含みます。あらかじめご了承ください。

―これはぜひお聞きしたかったことなのですが、杏を光の差すほうに導いてくれる恩人のような存在であった、佐藤二朗さん演じる多々羅刑事は、別の相談者の女性への性加害容疑で逮捕されます(これも実際のエピソードをもとにしており、実際にはハナさんの逝去後に起こった性加害容疑での逮捕事件を、生前に杏が知るエピソードとして組み込んでいる)。薬物中毒者を献身的に支援するという善性を持つ一方で、人を深く傷つける犯罪をおかしていた……人間は一元的な存在ではないという矛盾を生々しく突きつける一件ですが、杏は多々羅の逮捕を知ったとき、どう感じていたと思いますか。また、河合さん自身はどう感じましたか。

河合:そうですね……いつもは物語全体について整理した状態で、自分の役回りや視点からいろいろ考えるんですけど、今回はそれをやめて、杏の主体に徹しようとしたんですね。だから杏にとっては、多々羅とのつながりこそが大切な部分で。逮捕のエピソードに関しては、多々羅と一緒に過ごす段階の撮影ではそのことは考えないようにしていました。

というのも、もし映画全体を俯瞰的に把握するかたちで、多々羅の性加害容疑という情報を意識していたら、ちゃんと杏を演じることができなかったと思うから。多々羅の行為に関しては、私自身はどうしても許せないからです。

でも同時に思ったのは、もし多々羅が逮捕されてなかったら、杏は生きていたかもしれないってこと。

多々羅とのつながりが切れていなかったら、杏を支える人が居続けたかもしれない。それを思うと……もう頭がぐちゃぐちゃになってしまうというか、どう受け取っていいか本当にわからなくなりますね。

ただ、ひとつ確かに思っているのは、多々羅が法で裁かれたり、週刊誌やSNSで叩かれたりする局面とはまったく別のところで、出口の見えない闇の中を彷徨っていた杏を引き上げてくれたのは間違いなく多々羅であり、杏が彼に見せてもらった光があるのは絶対本当なので。

世間では容疑者としての顔が一面的に判断されるんでしょうけど、でも多くの人たちが知らないところで、多々羅の優しさや温もりに救われた人がいた。それを映せたことは、映画にしかできないと思う、ということです。

―大切なことをおっしゃられたと思います。例えばニュースで、犯罪事件が情報として入ってくると、センセーショナルな見出しと事件の概要で我々は認識する。でも、それって実際には事柄と事柄の間が抜けている感じがするんですよ。

河合:はい。

―でも『あんのこと』を観ると、肝になるのが「瞬間」だという気がしたんです。つまり物語のアウトラインとしては、杏/ハナさんの痛ましい選択は変えられないし、多々羅の逮捕という残念な事実もある。しかし流れで観ていくと、幸福な瞬間が確かに訪れるときがいくつもある。杏が世界に祝福される瞬間の数々が映っている。そこで僕は、救われる映画だなって思えたんです。

河合:うん、そうだといいなと思いますね。あまりにも辛い現実を映しているので、「救いがない」という意見や感想も出てくるかもしれないんですけど。

いま、お話ししながらすごく思ったのは、杏の境遇を観客の皆さんは事前情報として持って映画を観るわけですよね。でも「起こってしまったこと」を超えて、いま生きている杏の姿と、彼女に起こるいろんなことの瞬間に心を奪われるような作品になっていたら本望だし、映画にしかできないことができたんじゃないかと思います。

じつは杏を演じたあとに、ニュースでちょっと近い内容の事件が流れてきたんですね。ああ、やっぱりこういうことって現実に起こっているんだな……ってすごく重く受け止めはしたんですけど、でも記事を読む限りでは、そのときに被害者の女の子が何を思っていたのかは入ってこないじゃないですか。

その簡単には見えない部分を、大変な作業ではあったけれども、入江監督をはじめチームみんなの想像力を最大限使って映画にした。もちろんささやかな試みではあるんですが、誰も目を向けようとしない場所に光を当てるという映画の持てる可能性が、社会にとっての一抹の救いになったらいいなと思うんですよね。

スタイリスト:高橋茉優
ヘアメイク:廣瀬瑠美
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