「ご飯がおいしい」「部屋がきれい」――人々を救い、自らを癒やす家事代行サービスの物語/阿部暁子『カフネ』書評

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2024年06月11日 09:10  日刊SPA!

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阿部暁子・著『カフネ』(講談社)
 世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
 仕事やライフスタイルの変化により、近年、一般家庭の家事を代行をする会社が増加している。一方で、仕事とはいえ他人が自分の家にいることに抵抗感があったり、家事を金銭で解決することに違和感を持ったりする人も多い。どのような方法で日常を快適に過ごすのか選択はまちまちだろう。阿部暁子の小説『カフネ』は、家事代行サービスをテーマに、生活の悩みや人々の繫がりを丹念に描く、とてもハートウォーミングな物語だ。

 まず2人の女性主人公に注目してほしい。東京都八王子市の法務局で働く41歳の薫子は、溺愛していた29歳の弟・春彦の急死や不妊治療が原因の離婚により、ろくに食事を取らず毎晩アルコールに手が伸びる荒んだ生活を送っていた。そしてある日、春彦の遺言に従い、彼の元恋人で家事代行サービス会社「カフネ」で料理担当として働く、せつなと再会する。

〈まじめすぎて面倒くさい〉と親や周囲の人から言われる薫子と、〈あたたかい心とか持ち合わせてない〉と自称するせつな。意見も考えも違う2人だが、アルコールに依存し自宅マンションもゴミ屋敷一歩手前の薫子が、せつなと出会うことにより心境が変化する。部屋へ入ったせつなの冷静な指摘に、最初は言い訳をする薫子だが、だんだんと自分が置かれた状況を見つめ直す。また一つの料理が薫子の沈んだ心を温かく射抜くのも印象的だ。その時せつなが用意したのは、缶詰のツナと玉ねぎのみじん切りとトマトを軽く炒め、豆乳とコンソメで煮たものを素麺にかけたものだった。思わず箸を取りたくなる彼女の料理に、この作品のテーマである食事をする大切さ、人が作った料理を身体に取り入れることで、美味しいと思える感情が心に芽生える豊かさを再認識できる。

 そして元々掃除好きで綺麗好きな薫子は、せつなにその腕を見込まれて、「カフネ」が関わる無料で家事代行をする週末ボランティアに誘われる。
〈お腹がすいていることと、寝起きする場所でくつろげないことは、だめです。子供も大人も関係なく、どんな人にとっても〉(p84)
 「カフネ」社長・斗季子の言葉が重い。一見、外からは普通に見えていても、家のなかでは苦悩で溺れている人がいるのかもしれない。この言葉は少し前まで同じ経験をしていた薫子にとっても、アルコールを絶ち、新たな一歩を踏み出す力強い応援になったはずだ。

 やがて薫子はせつなと一緒に毎週末、依頼のあった家へ向かう。訪問先は、老いた親の介護や育児に疲れ果てた人がいる家、仕事が忙しすぎて家庭内に目が行き届かないシングルマザーの家……。各家庭で薫子は区別しないで無心に手を動かし掃除をして部屋を磨き上げる。せつなも目を見張るスピードと手際の良さで調理し、短時間でたくさんの身体にも心にも栄養がある食事を作り上げる。また凝った料理ではなくても、例えば家にいる子供とおにぎりを一緒に握ることによって心を通わせる。最初は遠慮している依頼者たちも2人の真摯な仕事ぶりに心を許して、少しずつ生きる気力が出てくる様子に、読者も他人事ではなく心を強く打たれるのではないだろうか。

 ボランティア先では協力し合う2人だが、それでも時にはお互いの考えと常識がぶつかり合う。環境や経済的に恵まれない人々が目立つようになった現在の日本に対して異論を唱えるせつな。いままで積み重ねてきた人生経験と世間の慣習により解決策を見出そうとする薫子。なかでも料理をすることで自身の感情を表現していたせつなが、あえて発した次の言葉はとても説得力がある。
〈人間なんてただでさえ行き違うものなんだから、言葉で伝えることまで放棄したら、相手にはもう何ひとつわからない〉(p144)

 だが言葉を交わしたとしても、ふとしたことで心を閉じたり、先の人生に対して絶望したりすることもあるだろう。そんな人に対してどのように接したら良いのだろうか。薫子とせつなの葛藤に考えさせられる。また2人だけではなく、誰にでも好かれ人柄の良かった春彦は、生前、せつなと一緒にこのボランティアに参加していた。両親の期待や周りを気にして弱音を吐けなかった彼に依頼者のある老婦人がかけた励ましは、同時に著者が日々の生活に苦しむ人々に対して、この本から届けたかった一つのメッセージなのかもしれない。
〈『あなたの人生も、あなたの命も、あなただけのもので、あなただけが使い道を決められる。たとえ誰が何を言おうとあなたが思うようにしていい』〉(p231)
 
 この世界で受けてしまった苦しみや傷を、すぐに治せる処方箋はないのかもしれない。それでもより良い方向へ歩もうとする薫子とせつなの言葉と行動は、まさしく生きるヒントになるのではないか。そして血縁やパートナー、友人ではなくても、2人のような大切な人にもし出会えたのなら、お互いに思いやり溢れる一匙の優しさをゆっくりと嚙みしめて味わってほしいと思う。題名でもある「カフネ」の意味は、ポルトガル語で〈愛する人の髪にそっと指を通す仕草〉だという。「カフネ」の想いを胸に抱きながら、いまどこかで辛うじて踏み止まり頑張っている誰かを助けてあげたい。当たり前に享受できる生きる喜びを届けてあげたい。少しでもそう考える人が増えてくれるのを願っている。

評者/山本 亮
1977年、埼玉県生まれ。渋谷スクランブル交差点入口にある大盛堂書店に勤務する書店員。2F売場担当。好きな本のジャンルは小説やノンフィクションなど。好きな言葉は「起きて半畳、寝て一畳」

―[書店員の書評]―

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