『くるり』第10話 「記憶を失った恋人」を尊重する態度とは?『366日』との対比を見る

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2024年06月12日 14:01  日刊サイゾー

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 めるること生見愛瑠が記憶を失った女性主人公を生き生きと演じている『くるり〜誰が私と恋をした?〜』(TBS系)もラス前の第10話。次々とミステリーが紐解かれていきました。

 今期は記憶喪失のドラマがたくさんあって、ここでも『366日』(フジテレビ系)と『くるり』を追いかけてレビューしているわけですが、ここに至ってこの2本のドラマにくっきりとした対比が生まれる場面がありました。

 もうほんとに、絵に描いたようにくっきり。振り返りましょう。

■恋人が記憶を失ったらどうするか

『366日』ではアスカ(広瀬アリス)と付き合っていたハルト(眞栄田郷敦)が事故で頭を打って記憶を失い、病室でアスカが「私はあなたの彼女だったんです。だから、今も私はあなたの彼女です」と宣言して、関係の再構築が始まりました。

 いわば、ハルトという人物にはアスカという目の前の見知らぬ女性を“愛する義務”が課せられたことになります。覚えてないのに「おまえ誰やねん」「知らんし、急に好きなわけないやん」と言う権利がない。そうした発言が即、相手に対する裏切りになる。そういう状態です。

 一方の『くるり』では今回、ITイケメンの律(宮世瑠弥)と記憶を失ったまことさん(めるる)が過去に付き合っていたことが明らかになりました。

 律は、第1話でまことさんの前に初対面として現れた人物でした。公園で出会い、律は「はじめまして」で一目惚れをしたとまことさんに告げています。それは、律が仕組んで装った初対面でしたが、なぜ律がそんなことをしたのかが、今回明らかになります。

「ごめん、記憶が戻らないかもしれないって知って、もう一度、出会いから初めて、またちゃんと、まことさんに好きになってもらおうって」

 そうだよなぁ、と思うんです。それが健全だし、大人として誠実な態度だよなぁ。つらいけど、人を尊重するってそういうことだよなぁ。

 ドラマの登場人物なんて、誰かが作ったウソ人形ですからね。しかも、この2本のドラマは両方オリジナルストーリーで、アスカとハルトも、まことさんと律も、ゼロイチで作られたヒトモドキです。

 そうやって自分らが勝手に作ったヒトモドキを、どれだけ人間扱いできるか、ひとつの人格として尊重できるかというところって、フィクションを作るうえでの技術以前のマインドの部分だと思うんです。このシーン、この人物の行動原理だけ見ても、2本のドラマの大きな違いが見て取れました。

■結果、ミステリーを残してきた

 記憶を失った状態で目を覚ましたまことさんの手元には、ひとつのリングがありました。

 別に仲良くなかったのに、仲がいい男友達だと言って近づいてきた朝日(神尾楓珠)、付き合っていたわけでもないのに、元カレを自称していた公太郎さん(瀬戸康史)、そして実際に付き合っていたのに初対面を装っていた律。3人の「リングの男」候補は、結果として全員ウソをついていたことになります。

 このドラマでは、まことさんという記憶喪失の人間が記憶を失ったまま再生していく様子を丁寧に描きながら、ひとつずつ「リングの男」についてのミステリーを紐解いてきました。

 そして最終回に、まことさんが記憶をなくすきっかけになった事故の真相をミステリーとして残しています。事故の日、律は着ぐるみを着てその場にいたことが明示されている。そしてまことさんは去年のクリスマスまでの記憶こそ回復したものの、お花見シーズンだった事故当日の律との関係は、覚えていない。事故の日近辺には、ストーカーに遭っていたらしいという情報もある。

 一方でラブコメとしても、まことさんに大きな決断をひとつ残している。律と付き合っていたことは思い出したし、思い出したからには律と付き合うべきだという気持ちはある。

 でも今の気持ちとしては公太郎さんが好きだし、律とキスしてもぜんぜんときめかなかったという事実もある。

 すべての真相が明らかになったとき、まことさんには選ぶべき道が出現するだろうし、その選ぶ「べき」とは別に、このドラマは「感情に従う」「過去の自分を探さない」ことの大切さも説いてきている。

 そんなこんなで次回は最終回なのです。いやぁ、刮目しちゃうね。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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