「母との別れ、悲しみ少しずつ話せるように」輪島の老舗眼鏡店、寄り添い寄り添われ…能登半島地震もうすぐ半年

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2024年06月13日 07:38  TBS NEWS DIG

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店の中はめちゃくちゃになった。石川県輪島市のメガネ・時計店「キロク」は、床一面にガラスが飛び散り、商品が散乱。壁には亀裂が入った。それでも、店主の木下伸一さんと妻・京子さんは、地震の1週間後から眼鏡を無償で修理した。5月に営業を再開してからも、客足は絶えない。眼鏡や時計を直すだけではない。お客さんに寄り添って、寄り添われた5か月だった。

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ガラスが大きく割れた部分は木の板をあて、粉々になったショーケースも新調した。奥の壁には大きなヒビが入ったまま。それでも、奥能登で開店しているメガネ店は少なく、次々訪れるお客さんたち。それぞれが被災の状況を語る。避難所のこと、仮設住宅のこと、家族のこと、変わり果てた街のこと…。

木下伸一さん
「メガネが壊れたとかであればもちろん直しますが、そこから一歩踏み込んで、お客さんの心情に寄り添うこととか、お話をお聞きすることも、私たち路面店の使命。出来る限り時間をとって対応するよう心がけています」

でも、妻の京子さんは、自分の悲しみは周囲に話せなかった。

2月、京子さんの母・たけのさんが亡くなった。93歳だった。同じ輪島市内に住んでいた、たけのさん。震災前は、けがも病気もなく、健康長寿そのものだった。
地震後すぐに、たけのさんは、県南部・かほく市の、京子さんの兄のもとに避難。
亡くなる前日まで食欲旺盛で元気だったが、突然、旅立った。

木下京子さん
「家や店の片づけに毎日追われていて、母に電話しようしようと思いつつ、していなかった。あっという間に地震からひと月が過ぎたころ、突然兄から着信があって、心臓マッサージをしているのが聞こえた」

たけのさんの住んでいた家も全壊し、思い出の品も何も取り出せない。
災害関連死の申請をしたが、まだ結果は出ていない。

「被災後に1回も会っていなかったのは、残念でしたね。電話してやればよかった」

衣料店で洋服を手にとったとき。かわいらしい雑貨を見かけたとき。
「お母さんに似合いそう」
でも、すぐに気づく。
「そうだ。もういないんだった」

木下京子さん
「震災で大変な状況のなかで亡くなった方もたくさんいる。温かい布団で救急隊にも来てもらって亡くなったのだから、良かったと思うしかない。輪島ではもっと大変な人がたくさんいる。高齢の母が亡くなって悲しいなんて、とても言えないなって」

つらいときは、袖ヶ浜の波を眺めて、何も考えないようにしていた。
ある時、友人にこう言われた。

「京子さんは、みんなに『何でも話して』って言うのに、あなた自身は何も話していないね」。

その言葉をきっかけに、少しずつ、自分のことも話せるようになった。

「あぁできた、こうできた、とも思うけど、答えは出ない。どうしたらいいかもわからないけど、これからも一日一日過ごしていきます」

輪島の町並みは変わってしまったけれど、震災で、人のつながりの大切さも改めて感じた。

店が壊れ、仕事ができない人もいる。過酷なきょうも、お客さんの話に耳を傾ける。

(news23 柏木理沙)

このニュースに関するつぶやき

  • 地域・過疎地ー人口が減れば「このような店も病院すらも経営難ー廃業」に繋がってしまう。ATM岸����馳せも「どこに金を使う?!」してんか?!
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